メディアグランプリ

あの日、わたしが漕ぎ出した理由。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中村弥生(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
「乳がんの疑いがゼロではありませんね。」
 
検診の後、どこでランチを食べようかなと頭の中が食べログ化していた瞬間、目の前のドクターにこう告げられた。きっとわたしは、ランチタイム寸前のOLが上司に「これ今すぐコピーして」と言われた時にするような、ちょっと失礼な顔をしていたに違いない。
 
わたしは乳がん検診を年に2回、受けるようにしていた。
祖父も祖母もがんで亡くなっているし、今は転移もしてなくて元気にしているが、母も子宮がんで全摘出しているから、念の為と思って受診をしてきた。
 
今回もいつものように、マンモとエコー検査が終わって最後にドクターの説明、と検診はスムーズに流れていった。それなのになぜ……。
 
 
わたしはシングルマザーで娘と二人暮らしだ。
娘は高校3年生。どうしても看護師になりたいというので看護専門学校の受験を控えている。看護専門学校の授業料は、ハッキリ言ってとても高い。あと4年、バリバリがんばって働くぞ!と気合を入れた矢先だった。
 
「疑い」ってどれくらい疑わしいのかな。もしそうだったら、どうしよう。もしもガンだったら……。病院を出て駐車場まで歩き、どうやって車に乗り込んだのかわからないくらい、わたしは動揺していた。
 
「違う違う。先生は“疑いがゼロではない”と言っただけ。これは断定じゃない」
そう自分に言い聞かせながら先生の言葉を思い出し、猶予が3ヶ月あることに気づいた。いや、そう思い込みたかった。
 
「そうだ。この3ヶ月でガンを消してしまえばいいんだ!」
 
今考えると子どものような考えだが、あの時は真剣にそう思ったのだ。「病は気から」なのだ! そうだそうだ! と。
 
その翌日から、わたしの生活は変わった。
あぁ。なんて単純なわたし。抱きしめてあげたい。
 
夜は早く寝て、朝は6時に起きて散歩をすることにした。
添加物をなるべく摂らないように、原材料名欄を穴があくほど見るようになった。
肉や野菜はスーパーで買わず、無農薬などの宅配サービスに申し込んだ。
お笑い番組を見て笑うようにしたし、人にもできるだけ会って楽しく過ごすようにした。
そして、どうしてもやりたかったことを、思い切って始めることにした。
 
カヤックだ。
 
わたしの住む街は福岡市内でも海に近く、自転車で5分走れば大きな海浜公園に着く恵まれた場所だ。福岡は街と海と山がセットになっている。キャンプが好きなわたしは山にはよく行っていたが、海だけ縁が無かった。
 
いつか四国の四万十川でキャンプをした時、カヤッカー(カヤックをする人のことをこう呼ぶ)を初めて見かけ、かっこいいな、と思ったのがきっかけだった。いつかわたしもカヤッカーになりたい。そう思っていた。
 
物知りの知人に聞くと、自宅から車で30分のところにカヤッククラブがあると教えてくれた。持つべきものは物知りの友だ。
 
そのクラブのホームページを見つけ、翌日電話をかけてみた。
「ちょうど1ヶ月後に教室がありますのでその時に来られますか?」電話に出られたオーナーさんの優しい口調にホッとしながら、「すぐにやってみたいので、あさっての日曜日に伺います」と言って電話を切った。
なんといっても猶予は3ヶ月なのだ。ゆっくりしてはいられない。
 
その日、不安だったので娘についてきてもらった。娘はカヤックに何度か乗ったことがあるので少しは頼りになると思ったのだ。
 
クラブに着くと、憧れのカヤッカーさんたちが何人か談笑していた。胸がドキドキした。
体験カヤックをお願いしたわたし達は持ってきたウェアに着替えて一通り説明を受け、それぞれが乗るカヤックに案内され、パドルを手渡された。
 
「長い!」カヤックとパドルの第一印象だ。
カヤックは最長で5メートル。パドルは180センチほどある。本当に長い。でも、めちゃくちゃかっこいい! わたし、とうとうカヤックやるんだ! なんてかっこいんだろう!
憧れのこの海を縦横無尽にカヤックでスイスイ〜っとかっこよく漕ぐんだわ〜。という妄想は、ほんの10メートル船が進んだところで勘違いだったことを知った。
 
漕いでも漕いでもわたしのカヤックだけなかなか進まなかった。海にズボっと深く入れたパドルが重たくて動かない。バシャバシャと右を漕いだと思ったらすぐ左。その繰り返し。そしてなによりカヤックは「手」で漕ぐのではなく「足」を踏み込むことで前進するという。そんなこと知らなかった。これは全身運動だ。体幹が無いとできないスポーツだ。
 
もっとスムーズに進んで気持ちがいい乗り物だと思っていた。手は両手とも水ぶくれするし、腰も足も痛い。娘は経験者なのでやたら速いし上手だと褒められて得意げだ。
 
「上手になりたい!」
強い向かい風に押し戻されながらも懸命にパドルを動かし、ゴールの小さな島にたどり着いた時、わたしは猛烈にそう思った。
 
それから3ヶ月間、仕事そっちのけでクラブに通い、練習をした。上手なカヤッカーさんが親切に基本から教えてくれた。自宅でも毎日腕立て伏せをして、歩く距離を延ばしたり、柔軟体操をしたりして体もつくった。みるみる、とか、メキメキとは程遠いが、それなりに上達していったと思う。
 
そして3ヶ月後の再検診の日がきた。
 
「異常ありません」
結果はあっけないくらいすぐ出たが、心底ほっとした。涙が出た。
本当によかった、と、心から思ったし、感謝した。
 
でも、こうなることは、カヤックに初めて乗った日からわかっていたような気もする。
いつの間にかカヤックは、3ヶ月後のためにではなく、人生をかけて楽しみ続けたいものになっていた。
 
何か新しいことを始めるきっかけは人それぞれだと思う。
それがどんなきっかけでも、「やってみたい」と思ったことは先延ばしにせずやったほうがいいと、わたしは思う。
わたしがカヤックを始めたきっかけは、知人にも娘にも、誰にも言ってないが、もしも今あなたが、あの時のわたしと同じように不安な思いで結果を待っているのなら、自分が元気になれること、やってみたいと思っていたことを、ひとつ思い出してみることをお勧めしたい。
 
カヤックを始めて1年後。
宮崎県で行われた女子カヤックのレースで、わたしは3位入賞をした。
 
その1年後の今年の夏は、奄美大島の大会に参加する。
今日もその日に向けて漕いできた。
 
あの日、わたしが漕ぎ出した理由に、今はこころから感謝している。
 
 
 
 
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2019-04-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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