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メディアグランプリ

自分の中は「おさがり」の宝庫


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:鴻池 亜矢(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
「あら、ステキねぇ。単衣もあるのね。これだけあれば、一年通して着物が着れるわよ。あなた、いいお母様がいらしてラッキーね」
着付けの先生は、朱色の帯締めをいじりながらおっしゃった。
床には、色とりどりの着物と帯、帯締めや帯あげなどが広げてある。
 
去年、香道を始めたのをきっかけに、着物の着付けを独りでできるようになろうと決心した。
母が着物をたくさん持っていることは知っていたので、すぐに連絡をした。
そう。お金をかけずにお稽古を始めるために「おさがり」をもらう戦略だ。
母は、私が着物を着ようとしていることが嬉しかったらしく、うきうきした声で「見繕うわ」と言って電話を切った。
2週間後、着物が7着、それと対になった帯、小物類を含めて、大きな段ボール4箱の品々が届いた。
しかし私は本当に着物のことを知らない。
送られてきたものをどうしていいのかわからず、私は途方に暮れた。
考えあぐねた結果、私が出した結論は、すべて先生に見てもらおう、だった。
そしてすべての着物をごっそりと着付けの先生のところに持ってきてどうするべきか相談を始めたのだ。
 
ふと先生のお顔を見ると、ちょっと曇っている。次の組み合わせをご覧になっている。
「あら?でも……これと、これを、合わせるのは、ちょっと……」
「?その組み合わせですか? 母が送ってきたのをそのまま持ってきました。ある程度どれをどれに合わせるのかは見繕ってセットにしたから、と申しておりました」
「そう……。でも、これ、とこれ、ねぇ……。素材がちょっと……」
「あまり良くない組み合わせなのでしょうか?」
「いえ! おかしいとかそういうことじゃないのよ。でも、ねぇ……」
先生の表情と語調は、おっしゃっている内容と裏腹だった。
どうやら、母が選んだ組み合わせは、ちょっとおかしいらしい。
 
その夜、どうしてその組み合わせを選んだのかを母に聞いてみた。
「あのお着物と帯なんだけど、なんで組み合わせにしたの?」
「ああ、あれはね、私のじゃないの。しいちゃんのなのよ。しいちゃんが、あの2つを合わせるように、って言ってくれたの」
しいちゃん、とは母方の祖母のことだ。祖母の名は「静」なので家族は皆「しいちゃん」と呼んでいた。
「ふうん。でも先生はあまりあの組み合わせはしないようなことを言っていたよ」
「……それは私もよくわからないわ」
「え、だってお母さんだってあの組み合わせで着ていたんでしょ?」
「そうよ。そういうものだと思っていたから。でもね、私もお友達にあなたが言っているのと同じようなことを言われたことがあってね。しいちゃんになんであの組み合わせなのかを聞いてみたのよ。でもしいちゃんも知らないって」
「は?」
「あのお着物はね、しいちゃんが昔、奉公をしていたお家の奥様がくださったらしいのよ。それを、古くなったから私が染め直して着ていたの」
 
この組み合わせの出どころは、かなり、さかのぼるらしい。
しかも、なぜこの組み合わせにしているのかは、すでにわからない状態だ。
でも、祖母も、母も、「そういうものだ」と信じて着てきた。
染め直した色は、明らかに母の趣味だなぁと思う。
だが、素材の合わせ方は、母ではないなにかが、決めていた。
どこまでが母で、どこまでが祖母で、どこまでが奉公先の奥様の選択なのだろう。
 
よく考えると、似たことはたくさんある。
例えば料理。おせちやお雑煮、卵焼きや味噌汁の作り方は、レシピなんて見ずに覚えた。
母が教えてくれた方法を「そういうものだ」として、いまではほぼ無意識にやっている。
母によく聞いてみると、おせちに入っている田作りの作り方は、父方の祖母、つまり母の義母から教えてもらったそうだ。しいちゃんが出どころではない。
でも、卵焼きは、しいちゃんが作ったものと母が作ったものはそっくりの味だった。
私のなかの「そういうものだ」の出どころにはいろんな人が混じっているようだ。
 
普段の振る舞いだってそうだ。
こういう場では、こういう風に振る舞うのよ、ということを先生や親から言われてきた。
「そういうのは粋じゃないからやめなさい」というのは、母の口癖だと思っていたが、母の父、私の祖父の口癖だったことが、父の証言でわかっている。
私は、両親や他の大人たちから無意識に取り込んできたものを「そういうものだ」と思ってやっている。
それらの、どこまでが「わたし」の選択なのだろう?
 
いま学んでいるTransactional Analysis(TA)という心理学では、人間の心を「容れ物」だと考える。
私たちは小さな頃から、周りが言っていること・やっていること、本で読んだことなどを自分という容れ物の中に取り込んでいる、という考え方だ。
青信号で横断歩道を渡って、赤信号では止まる、ということを私たちはいつ覚えたのか?
誰が言ったのかすでにわからないその情報も、私たちはどこかの時点で自分の中に取り込んで「そういうものだ」と思って行動している。
もちろん、私たち自身の経験や感情、そういうものも記憶として容れ物である私たちの心に入っている。いろいろ、混ざっているのだ。
そして、私たちは容れ物に入っているそれらの情報を、いま起きていることと照らし合わせながら、いろんな選択をしている。
 
この考え方からすると、私たちの心の中には、人からもらった「おさがり」がたくさん入っているということだ。
その中には、今回の母の着物の組み合わせのように、時代や暗黙のルールに合っていないものも入っているかもしれない。
一方で、とてもステキで、貴重で、大切なものも入っているかもしれない。
 
いま、私は自宅の居間に、「おさがり」を広げて見ている。
紺色、紫々、若草色、藍、緋色、朱色、山吹色。かすり、紬、しぼり、ちりめん。
色とりどりで、素材もいろいろな着物、帯、小物たち。
自分の中にも、色とりどりの「おさがり」があるのだろうと思う。
自分は、容れ物の中にどんな「おさがり」を持っていて、どれをどのように使っていくのか。
そして、どれを使わないのか。
それをじっくりと見繕っていくのも、また楽しい時間だな、と思いながら。
 
 
 
 
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2019-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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