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メディアグランプリ

「察し」と「思いやり」という幻想


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:鴻池 亜矢(ライティング・ゼミGW特講)
 
 

ああ、今年に入って4組目だ。
私は深々とため息をついた。
久しぶりに話したい、と言ってきた友人の話題は離婚の相談だった。
 
私はカウンセラーだが、離婚カウンセリングはやっていない。
しかし、私自身がバツイチということもあって、友人は離婚のことをよく相談しにくる。
こういう相談のとき私は、いつも意見を言わず、じっくり聴くことだけをしている。
なぜなら、その夫婦のことはその二人にしかわからないからだ。個別性が高いのだ。
しかし一方で、たくさんの離婚話を聞けば聞くほど、そこには何か共通点があるような気がしてならないのだ。それはどうも、私の離婚にも共通しているようだ。
 
気になる。共通点があるとしたらなんなのだろう? 私は数ヶ月この事を考えていた。
 
「俺が家に居ないほうが楽だと思うんだよね」
「あの人は私や家族のことをどうでもいいと思っているのよ」
「オレと結婚したからあいつは怒りっぽくなったんだ」
「あの人は私の顔なんてみたくないでしょうね」
「オレが引けば、あいつはこれから自由にやっていける」
「私がすべて背負えば、丸く収まるのよ」
あまりに気になるので、離婚話をしにきた友人のセリフを思い出して書き出してみた。
それで私はあることに気づいた。
 
これは「察し」と「思いやり」だ。
私たち日本人の美徳。
相手の状況やその場の空気を的確に「察し」て、そして、自分の判断をもって、黙って「思いやり」に基づき行動する。
なぜなら、その行動が相手の求めていることにハマると、「君、気が利くねぇ」となるから。
自分のやったことにプラスアルファの評価が乗ってくるのだ。
「私、あなたのためにこんな風に察してこれをやったのよ〜。どうでした〜?」なんて絶対言わない。
それでは「気が利く」にならないどころか、逆に評価が下がるからだ。
だから、自分の意図や、何を察したのかは一切言わない。黙って行動する。
 
少なくとも私には、こういう行動をとりなさい、と直接的に教え込まれた記憶はない。
もちろんそんなことは教科書にも書いていない。
しかし、私たちは無意識にこの「察し」と「思いやり」をやっているのが現実ではなかろうか。
 
そして、離婚の話だ。
多くの離婚する夫婦の話もこれをやっているのではないだろうか。
相手の状況を「察し」て「思いやり」を持って黙って行動する。
つまり多くの離婚する夫婦は、相手に良かれと思って離婚しようとしているのではなかろうか、と私は思うのだ。
私自身、離婚するときは、もちろん自分が自由になりたかったのもあるが、同時に、私のような好き勝手に行動する妻から夫を自由にしようとも思っていた。
みな、相手を傷つけようと思って行動なんてしていない。
離婚の理由はそれぞれだが、その背景にはこの「察し」と「思いやり」がうまく機能していないということが大きく影響しているのではなかろうか。
これは、離婚する夫婦だけでなく、あらゆる場所での人間関係もよく似た造りに見える。
例えば私の仕事では職場での失敗談を聞くことが多いのだが、こんな話がよく出てくる。
「この場の空気感だと絶対発言しないほうがいいと思ったんですよね」
「このことを報告したら上司に迷惑がかかる。言わないでおこうと思ったんですよ」
これらも「察し」と「思いやり」の問題に見えるのだ。
 
しかしなぜ、みな良かれと思って「察し」と「思いやり」をしているのに、うまくいかないのだろうか?
 
それは、「察し」も「思いやり」もファンタシーになっているからだ。
「ファンタシー」とは、直訳すると幻想という意味になる。
いま私が学んでいるTransactional Analysisという心理学に出てくる言葉だ。
「こうなったら、ああなるだろう」
「自分がこれを言ったら、相手はこう返してくるだろう」
こういったことは、私たちが頭の中で常々思っていることだ。
これらは、私たちの経験則から作られた「読み」のようなものだ。
しかしファンタシーの場合もう少し強烈で、「こうなるはずだ」「絶対こうだ」となる。
そして、これらは現実とズレていることも多い。
なぜなら、ファンタシーは、三つ子の魂百までも、というやつだからだ。
ファンタシーの材料は、私たちが小さな頃に体験したことなので、未熟な判断による大きな誤解や、強い思いが乗っているのだ。
加えて、ファンタシーは、気づかないうちにどんどん育っていってしまう。
ファンタシーがファンタシーを生み、どんどん、現実から離れていってしまうのだ。
 
「察し」は、いま現実はこうなっているのだ、という事に関するファンタシーだ。
「思いやり」は、自分がこういう行動をすれば相手がいい状態になる、というファンタシーだ。
そして、多くの「察し」と「思いやり」は、現実離れしてしまっている。
だから、うまくいかないのだ。
 
では、どうすればいいのか?
解決のための行動は至ってシンプルだ。
まずは、自分のファンタシーに気づくことが一番簡単で有効だ。
「本当にそうかな?」「私は何を見て/聞いてそう思ったんだろう?」
これら問いを自分にしてみることがそのひとつの方法だ。
もうひとつは、自分の「察し」や「思いやり」がファンタシーかどうかを、相手に確認すること。
「自分はこう思っているんだけど、実際にはどう?」
この問いを相手にしてみることが具体策のひとつだ。
離婚前の私であれば、夫にこう聞くのだろう。
「私みたいな好き勝手な行動をする妻と別れることであなたが幸せになる、と私は思っているんだけれど、実際にはどうかな?」
しかしこれはちょっと、かっこ悪い感じがするのではないだろうか。
それはそのはずだ。
私たち日本人にとって黙って「察し」て「思いやる」ことが美しいことなのだから。
 
でも、大丈夫。
相手に確認することは「美しくない」「かっこ悪い」こと。これ自体がファンタシーだからだ。私たち日本人が皆で作り出している壮大なファンタシーだ。
相手に確認することは「美しくない」のか? そんなことはない、と私は言いたい。
私たちはこのファンタシーを超えることができる。
そして、「察し」と「思いやり」の美しさより、一歩踏み出して確認することで立ち現れる現実のほうが、ずっと美しいはずだ。
そして、その美しい現実を私は見たい。
是非、あなたも一緒にどうだろうか。
 
 
 
 
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2019-05-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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