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海の向こうへの憧れ〜レコード盤の中の人


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:後藤里誉音(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
中学生の頃だった。
ラジオの洋楽ヒットチャート番組で、彼の楽曲が耳に飛び込んできた。
 
その曲は、なんとも言えないような優しく包むようなリズムと、ちょっとした哀愁を帯びたメロディだった。
海の向こうの人は、こんなにもムードのある曲を作るのかと、心を揺さぶられた。
 
時は1970年代の後半、海の向こうが遥か遠い時代だった。
どのくらい遠いかと言えば、当時は1ドルが250円だったというとイメージ出来るだろうか。まだまだ日本円は安く扱われ、海外旅行は芸能人か、選ばれしビジネスマンだけが行ける時代だった。新婚旅行だって、熱海か湯布院かという時代だった。
 
洋楽は、そんな海の向こうへの憧れが、そのままリズムとメロディとで表現されたようなものだった。
 
その頃は、まだレコードを買えるだけのお小遣いも持っていなかったので、ラジオ音源をテープに録音して何度もきいていた。
 
当時の雑誌「明星」だったか「平凡」だったかの付録のソングブックから、歌詞を一生懸命にノートに書き写して覚えたものだった。
 
80年代に入ると、洋楽はプロモーションビデオという形で日本に届き、ようやく歌っている人の動く様子を見ることができるようになった。しかし、彼のヒットはその少し前の時代だったので、顔も動く姿も、何もわからないままだった。
 
彼の名はアルバート・ハモンド、最初に出会った冒頭の曲は「風のララバイ」というタイトルの曲だった。彼は「カリフォルニアの青い空」、「落ち葉のコンチェルト」などのヒットを飛ばし、カーペンターズの「青春の輝き」やスターシップの「愛は止まらない」などの楽曲提供もしていた。
 
高校生になった時に、ようやく彼のアルバムに辿り着いた。
彼のアルバムは、まるで自分の心臓のようだった。
アルバム収録曲は、私の体の中で鼓動を刻み、体の隅々まで温かいものを送り込んでくれた。
全身で曲を感じながら、テープがすり減るほど聴き込んだ。
 
やがて90年代になり、1ドルが100円を切るようになった頃、様々な輸入盤のレコード盤やCDが大量に日本に入ってきた。
今のようにネット検索などという便利な方法はなかったので、レコード店を1件1件巡りながら彼のCDを探したものだ。
 
彼の曲を収めたカセットテープは、何十年もの間、何度車を乗り換えても、いつでもドライブの友だった。
 
さて、中学生の女の子が、50歳代に差し掛かったある日、ラジオから彼の来日の知らせが届いた。実に34年ぶりに日本でライブを行うというのだ!
 
こんなに長い間憧れていた人の生演奏を聞ける日が来るなんて、もはや想像すらしていないことだった。
 
迷わずチケットを買った。東京で開催される4公演の全てのチケットを手にした。
 
いよいよ迎えた当日、ライブの幕はあがった。
 
何十年もの間聴いてきた曲が流れ始めた。
 
体の中に染み込んでいた楽曲が、演奏に合わせて体を揺さぶる。
ただただ、涙が溢れて止まらなかった。
 
生きていてよかったと素直に感じた。
海の向こうで、顔も見たことがなかった憧れの人、35年もの間、レコード盤の中で歌い続けてきた人が今、目の前で歌ってくれている。夢ではない、いや夢だって良いとすら思えた。
 
曲の途中、彼はステージを降りて、客席を歩きながら歌った。
やがて私の目の前で、微笑みながら握手をして通り過ぎた。
 
ライブの後にはサイン会が開催された。
ライブの余韻の中、拙い英語で「あなたを30年以上待っていました」と言ってみた。
 
すると「僕もあなたに会える日をずっと楽しみにしていたよ」とアルバート、
会話が成立した!
 
もう私はこの日、人生が終わるのかもしれないと思ったほどだった。
これまで全く使う機会のなかった英語だったが、今日の日のために勉強してきたのだと納得した。
 
サインをもらい、握手をした後、勇気を出して、彼の楽曲の中から別れ際のセリフになっている歌詞を抜き出して小さな声で言ってみた。
すると、彼の顔がみるみる輝いて、その歌詞の続きを口ずさんでくれたのだ!
二つの声が重なった! まさに奇跡の出来事だった。
 
「皆聞いていたかい? 彼女は私の曲の歌詞を正確に覚えていてくれているよ、なんて素晴らしいことだろうか」と周囲の人に言いながら抱きしめてくれた。
 
子供の頃、大人になったら何でも出来ると思っていた。
でも、実際に大人になってみると、思うように出来ないことばかりであることを思い知らされた。その連続だった。
 
それでも、「ライブに行く」というのは、紛れもなく大人になったからできるようになったことだ。雑誌の付録から歌詞を写していたような、あの頃の私には想像もつかない世界である。
 
大人になってよかったと心から思えた。
 
この日のことを、35年前の中学生の私に教えてあげたら、どんなに喜ぶであろうか。
いやいや、それは大人になるまで秘密にしておこう。
秘密だからこそ、人生は面白いのだ。
 
今日も海の向こうの空の下で、アルバートは歌っている。
今では、彼の様子を毎日のようにFacebookが伝えてくれるようになった。
海の向こうの世界が、手のひらの中で見えるようになったのだ。
 
それでも海の向こうへの憧れは変わることはない。
さあ、今度は彼の曲を聴くために、私が海の向こうへ行ってしまおうかしら!
 
 
 
 
***
 
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2019-05-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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