メディアグランプリ

ピンクのパンツ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:佐々木ちはる(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
*このお話は一部フィクションです。
 
 
私は、心の中で「ピンクのパンツ」を履いている。
 
のっけから何を言っているんだ、と思われるかもしれないが、これは私――野田真理子30歳にとって、大真面目で、ちょっぴり恥ずかしくて、とても大切な告白である。一応付け加えておくと、私のタンスにピンク色のパンツは一枚も入っていないし、「突然着けている下着をカミングアウトする変態」というわけでもない。それでも、外出の準備をしているとき、散歩に出かけたとき、美容院で髪を切っているとき、夕飯の支度をしているとき――何気ない日常の中で、可愛らしいピンクの布地がたくさんのフリルやリボンのイメージを引き連れてやってくる。こんなことになったのは、付き合って2年目を迎えた彼氏の一言がきっかけだった。似合わないとわかっているのに、“己とピンクのパンツ”に想いを馳せる日々……中々に奇妙な告白ではあるのだが、お見苦しくない程度に想像しながら話を聞いてみてほしい。
 
いよいよアラサー真っ盛りの私は野球観戦とベランダ菜園が生きがいで、2歳年下の青葉君と一緒に暮らしている。結婚はまだ。可愛げのない私と付き合っている彼は、猫をはじめ“可愛いもの”が好きな可愛い男性だ。
「新しくオープンしたカフェのパンケーキでも食べに行こうか」
「洗濯したシャツのボタンが取れかかっていたから、繕っておいたよ」
「生絞りのカシオレ一つと……わあ、真理ちゃんのジョッキ、びっしょりじゃん! 店員さん。おしぼりも一つ、お願いします」
……見た目の問題ではなく、甘党で器用で気の利く“理想の可愛い人”といった雰囲気の青葉くん。私はすっかり汗をかいたビール(もちろん大)を片手に、よくわからない敗北感を感じることがある。ないだろうか? そういう経験をしたことは。飼い犬に「あんたみたいに生きられたら……可愛いのにね」とアンニュイな表情で語りかけた時。母が作る夕飯は、定年間際の父の好物だらけであると知った時。ため息と共に出てくる感情は「あなたが可愛らしくて羨ましいよ、私はそうならないけど」と、嫉妬によく似た甘くて苦い味がする。私は彼と飲みに行く時には、可愛らしくて甘いカクテルを頼まないと決めている。彼にこんな、可愛らしくない感情を知られたくないからだ。
 
さて、回り道をしてしまったが、問題はピンクのパンツの話へと移っていく。ピンクの歯ブラシを使う青葉君はある日突然プレゼントを買ってきて言ったのだ。「真理ちゃん、ピンクが似合うよね」と。
差し出された箱を恐る恐る開けると、中には小さなピンクの髪飾り。パンツではない。リボン型の、金色の金具がついた、飾りゴム。間違っても私に似合わないソレは、青葉くんが渡すのにぴったりなプレゼントのカタチをしていた。
 
「真理ちゃんさ、あんまりピンクつけないけど。実は似合う、と思ってて」
「え、嘘。なんで。どこをとっても似合わないでしょ、私なんか」
「そんなことないよ、可愛いし。つけてみてよ」
「やだよ、やだやだ! 青葉くんがつければいい。青葉くんの方が、可愛い感じだもん」
「ありがと。でも“可愛い” のは、真理子でしょ」
急に、キュッと目を細めて顔を寄せる彼を、猫のようだと思った。やばい、顔が熱くなる。焦る気持ちと裏腹に、私は頭の片隅で、2人で水族館に行った時のことを思い出していた。
 
――初めて、海獣のパフォーマンスを見た時のことだ。イカやウツボや……小さな熱帯魚ばかり見ていた私を、青葉くんは海風の吹く屋外ステージに連れだしてくれた。所々塗料の剥げた水色のプールには、大きなシャチと斑のイルカが泳いでいた。時計の針が飼育員さんを連れてきて、プールの中の彼らは笛の音と手旗に合わせて飛び跳ねた。飛沫が、はじける。見たこともない景色に、私はいつしか前のめりになって固く手を握りしめていた。ショーが終わり、イチゴのアイスを抱えたアザラシのキーホルダーを買った彼は、私が到底たどり着けないような可愛さの境地にいる気がした。青葉くんといると、知らない世界が見えてくる。思い描く男と女の凹凸でなくとも、ひどく凸凹とした私達は心地よいカップルだと思った。
「また、私に見えないものを見てるのね、青葉くんは」
 
明くる日、私はこっそり有給を使って、一人でピンクの髪留めをつけてみた。手持ちの服と何一つ合わないピンクは、やけに浮いて見えて、そんな私の有様を“可愛い”と想像した青葉くんがおかしかった。ブラックコーヒーよりホイップ山盛りのラテを、焼肉定食よりオムライスを、TwitterよりInstagramを、陶芸展より羊毛フェルト展を選ぶ“完璧な青葉くん”は、私に関してだけ“青葉くんらしくない”のだった。目につくピンクは、主張しているピンクは、青葉くんの不器用な想いのようであり――私の青葉くんへの情熱のようだった。
「これは……恥ずかしいな」
パンツ丸出しのほうが、まだマシかもしれないと思うほどに、“彼の色”であるピンクは特別な色になっていた。青葉くんの言葉が胸の中でこだまする。うん、ピンクは、心の中でだけ楽しむとしよう。髪留めを慎重に外した私は、こっそりひっそり、スカートの中にある私だけの秘密として、小さなピンクを封印した。それからである、私が心の中で「ピンクのパンツ」を履くようになったのは。
 
小さな化粧ポーチやシャープペン。ハンカチ、靴下。誰もが気に留めないようなピンクを、私は意識してしまう。「ピンク色、珍しいね」と言われると、「今日はピンクのパンツなんだね」と言われているような恥ずかしさがあり――青葉くんへの想いが透けて見えてしまうようで、居ても立っても居られなくなる。
それでも不思議なもので、ピンクのパンツを履くのはやめられない。自然と背筋が伸びるような、景色が明るく見えるような、明日はもっと素敵な日になるような気がして。ひとひらのピンクは、まさに私の恋の色だった。
 
 
 
 
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2019-05-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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