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キラキラネームは罪なのか?


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山谷里緒(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「うぉ! うぉ! うぉ!」
始めにいうが、これはアシカの鳴き声ではない。
ライオンの雄叫びでもない。
何かの気合をいれる掛け声でもない。
 
名前。私が小さいころから呼ばれていた、意地悪な男子を筆頭に連呼されていた私の名前である。
 
私の名前は里緒という。
「りお」じゃなくて「りを」。戸籍上にはふり仮名の登録はない。だから公的に証明された訳ではないが、とにかく「りを」と名付けられた。
小さいころはなんとも思っていなかったこの名前が、だんだんと私の人格に影を落とすことになった。だって、誰からも正しく読まれない。からかわれる。何より可愛くない……。
 
私の名を考えたのは父である。一度だけ名前の由来を聞いたことがある。
父は、松尾芭蕉の俳句の一節から取ったと自慢げに話した。
「古里や臍の緒に泣く年の暮れ」
この句の「里」と「緒」を取ったんだよ、どうだい? いいだろう?
……なんにも良くない。意味も分からない。
 
普通、子どもの名前を付けるのならば、「健やかな子に育ってほしい」とか「優しい花のような女の子になるように」とか色々あるよね? なんで俳句なの? 他人に名前の由来とか聞かれても答えられないし、第一、古い俳句にこだわって「お」じゃなくて「を」にしたなんて完全な自己満足。親のエゴ! 普通の「○子」とか「○美」が良かったのに……と思うようになった。(令和の時代においてはまたこれは古いタイプになるのかもしれないが)
 
おかげで「りうぉ!」と、ことさら「うぉ」を強調されてからかわれる幼少時代を送る羽目になった。ひとたび私の名前が「りお」じゃなくて「りを」だと知られると、冒頭のウォウォ連呼が始まる。名前では呼ばないように、友だちには敢えて苗字で呼んでもらっているのに、小学生男子という人種はからかいポイントを見つける達人である。見逃してくれない。容赦ない。
 
そんな幼少期を過ごしたため、自分の名前を極力強調しないように、苗字で呼んでもらえるように気を遣うのが当たり前になった。中学・高校は女子校に進学した。そんな低レベルのからかいはなくなるだろうと期待は膨らむ。
 
しかし。女子という生き物は互いを名前で呼んだり、ニックネームを付けあうことで距離を近づけてコミュニケーションをとる生き物なのだ! 今度は友達を作ること自体がおっくうになった。
今から思えば名前くらいで、とも思うのだけれど、当時はそれでかなりヒネクレてしまった。いうなれば一匹狼系女子、女子校なのに女子と群れないという偏屈で切ない思春期となる。今でも中学・高校時代の知人は苗字で私を呼ぶ。名前は知らないだろう。
 
○○ちゃん、て名前で可愛く呼ばれている愛され女子が羨ましかった。
女の子同士の親密な名前の呼び合い、やりとりをしたかった。
キラキラネームの定義が「読めない」「変わっている」だとすれば、当時私は立派なキラキラネーム。女の子の名前は「子」が付くのが当たり前の時代に「を」なのだから。
 
ところが暗黒の時代を乗り越えた先に、なんと「りを」という名で素晴らしい発見をした。
「知人」と「友人」をはっきり区別できるということに大人になって気付いたのである。
私に「りおちゃん」とメールをしてくる人。これは友人ではなく知人。だって私がこんなに苦しんできた名前をあっさり間違えているのだから。
大して私に対して興味もないし、音の響きでしか覚えてくれていない程度の関係性だということを測れるモノサシ。
この便利な機能に気づいてから、苗字だけでなく、名前も覚えてもらうように逆にアピールするようになった。覚えてくれた人=友人。大事にしよう! 大好き!
覚えてくれない人=知人。仲良くしているように装っても、ほら、化けの皮が剥がれているよ。ふふふ。こういう捉え方が出来るなんて、なんだか悪いもんじゃないなと思えたのだ。
 
そんなことで人を判断するの? 性格悪くない? と言われそうだけど。
実際性格は確かに悪いのだと思うが(笑)今でも私の人との距離を測るモノサシとして現役で活躍している。
 
キラキラネームは罪なのか? 答えは「否」だ。
 
人一倍、名前に苦しみ、付き合い、折り合いをつけていくことでアイデンティティを確立していく側面もある。正しく読まれなかろうが、人からからかわれようが、その名前と向き合うことで自分自身を見つめ、他人と距離を測っていくツールになる。
そして何より、名前をちゃんと呼ばれた時、それは素直にとっても嬉しい。
 
実は歳を重ねるにつれ、自分の名前がどんどん好きになっている。
もちろんモノサシとしての機能は保持しつつ、ちゃんと名前を呼んでくれた時や、「素敵だね」なんて褒められようものなら、すぐその人を好きになる。ありがとう、という感謝の気持ちでいっぱいになる。私を手なずけるならば(笑)、なんと簡単なことであろうか。
 
これからお子さんが産まれる予定のある人、また、未来の子どもにどんな名前を付けようか? と思いを馳せている方には、「この名前はキラキラかなぁ?」などと深く考えなくてもいいんだよと伝えたい。子どもは子どもなりに自分の名前と向き合い、愛し、人からその名前を呼ばれて生きていくのだから。
 
私の名前を付けた父に対して、今では「ありがとう」と素直に思える。
今では私の名前をちゃんと呼んで、愛してくれる人が私の周りにたくさんいる。
そんな大切な人たちを引き寄せてくれたのもまた、この名前なのだ。
 
 
 
 
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2019-05-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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