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人生の最期を選べるなら


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記事:阿部まどか(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「開式の前に、故人が大好きだった曲を聴いて頂きましょう」と司会者。
普通に歌手が歌うCDをかけるのかと思っていたら、故人の歌声だった。お世辞にも上手とは言えなかったが、「斬新な式のスタートだな」と思った。
 
その告別式は、200人は入ろうかという会場の端から端まで供花がずらりと並ぶ圧巻さだった。主役は取引先の社長のお父様(93歳)で、私は会ったことのない人だった。
 
故人の歌で場が柔らかくなったところで、司会者が故人の一生をナレーションで紹介したあと、女性の導師様を先頭に2人の男性の脇導師様が入場された。「南無阿弥陀仏」から始まるお経は、まったく意味がわからず、故人の方との思い出も浮かばない私は、1ケ月前に参列した「母の大親友のご主人(73歳)」の告別式を思い出していた。
 
その告別式のスタートは、まるで結婚式のオープニングのVTRのように、故人が生まれてから、最近までスナップショットの数々とコメントだった。自身が子供だったころの両親との写真や、奥様や子供達とその孫たちと写る幸せそうなものばかり。それを見るだけで親族の涙は止まらなかった。
色んな式のかたちがあるのだなと感心しながら、93歳(大往生のご年齢)と73歳の参列者の表情の違いも納得できた。
 
取引先の告別式に意識がもどると、導師様の澄んだ声の読経は、睡魔を誘う心地のいいものだったが、私は必死に睡魔と戦いながら考えた。
「なぜ意味の分からない言葉をずっと唱えておられるのだろう。故人が極楽浄土に行けるようになるためなのか?」
「日本語に訳したお経は、ないのだろうか?」
「キリスト教の讃美歌のように、故人を想って歌うほうが弔いになるのではないのだろうか?」
 
最近は無宗教の方の葬儀も増えてきていて「祈りの時間がない分、間が持たない」と聞いたことがあるが、意味の分からないお経を聴くよりも、故人の好きだった歌を演奏したりするお式『音楽葬』もありかもしれないと思っていた。昔友達が私の葬式にはサザンオールスターズの『希望の轍』をかけてほしいと言っていたことも思い出した。
 
度々の告別式から、気になってお経の意味を調べると、
「生きている人のために、生きているときに本当の幸せになれる道を教えられている」とあった。そしてお経をあげるのは「故人がお釈迦様と生きている私達を繋げてくれるご縁」だとのこと。あの意味のわからないお経は、故人のためにあげられていると思っていたのに、「死んだ人のためではなく,生きている自分たちのため」とあり、困っている人の手を取り救ってくれる、お釈迦様の愛情だとわかった。
 
人の最期は通常自分では決められないが、スイスでは自殺ほう助というシステムがある。友達の同僚の叔母さんがスイスに住んでいて、そのシステムを使って、自ら命を絶ったと聞いた時は、かなりのショックを受けた。人生に疲れた人、体が不自由でどうにもならない、生きていく未来を思い描けない、家族にこれ以上迷惑をかけたくない等、理由は様々で、その機関に申請し、患者は本当にそれを望むのか、実在の『最期の審判』にかけられる。それが通ると致死量の薬を渡されて死を迎えるという。人の一生は誰にも決められないと信じていたのが、覆されたのだ。何が善で何が悪なのか? 人権とは何なのか? と考えずにはいられない。
 
そんなある日、母が『リビング ウィル』にサインをしていると知って、衝撃を受けた。リビング ウィルとは、人生の終末期を迎えたときの、医療の選択について事前に意思表示をしておく『印籠』のようなものだという。尊厳死の権利を主張し、延命治療を希望しないというものだ。実際にこれを使う場面に出くわした時、私は冷静にこの母の意志を受け入れることができるのだろうか。
 
私の理想の最期は20年前に亡くなった、おじいちゃんの死に際だ。病室で、妻である私のおばあちゃんをはじめ、子供である私の父とその兄妹とその妻と孫たちに何重にも囲まれていたおじいちゃんは、そこにいるひとりひとりとハグをして、ありがとうと言って、「わが人生に悔いなし」と言って眠るように死んでいった。享年83歳だった。
おじいちゃんはまるで安室奈美恵のラストコンサートのように、すべて出し切って、たくさんの人に惜しまれ、あなたが居てくれてよかったと想われて、人生の舞台から降りて行った。
 
そんな最期を迎えるために今私は何をするべきなのか?
仕事の愚痴を言っている暇はない。どうしたら愚痴らなくなるのか、自分が会社に、社会にできることは何なのかを考えること。自分の好きなものをたくさん見つけ、強みをいかして生きること。
 
いつか迎える最期の日まで一生懸命生きよう。天国に行ったときに大好きなおじいちゃんにほめてもらえるように。
 
 
 
 
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2019-05-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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