勉強嫌いのあまり不登校にまでなった私が、先生になったワケ
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記事:香月祐美(ライティングゼミ・平日コース)
「あんたは将来、学校の先生になるけんね」
ちょっと天然で、どこかまじない師の様な雰囲気のある、不思議な空気をまとった母。
時折彼女の言葉を思い出すたび、苦笑する。
何の根拠も無しに、いつも唐突に。そしてどこからくるのか分からない確信を持って私に言っていた。
母には娘の将来が視えていたのではないか、と本気で思う。
だって20年経った今、私は確かにあんなに嫌いだった「先生」と呼ばれる仕事に就いているのだから。
10代の頃の親との会話なんて、99%は記憶に残っていない。そんな中、いくつか鮮明に記憶に残っている会話の一つがこれだ。
「ふーん」
先生も何も、そもそも勉強が嫌いだった私は、いつも不機嫌に生返事をしていた。
「先生なんてなるはずなかとに、なん言いよっとね」
そう思っていた。
親に「勉強しなさい」と言われた事は一度もなかった。
家で何時間テレビゲームをしていても、怒られる事もなかった。
進学校に進んだのは、自分の意思。
でも、だんだん勉強が好きではなくなっていた。
あるとき、どうして毎日たくさん、英単語を覚えないといけないのかが、分からなくなった。どの教科もそう。どうしてこんなに勉強するのか、分からなくなってしまった。
勉強が面白くなくなっていく。そんな私にはお構いなしに、授業は毎日どんどん進んでいく。
勉強なんて好きじゃない。という気持ちの大きさに比例するかの様に、成績もどんどん落ちていった。
今だから分かる。
あのころの私は、勉強する理由が分からなくなったのではない。
そもそもやる理由なんて持っていなかったのだ。
成績が落ちても相変わらず、親は「勉強しなさい」「どうしてできないの」とは一度も言わなかった。
「どうして勉強しなきゃいけないの」
という私の言葉に、
「高校を出て就職するのは大変だから」
「大学で人脈を作るといい」
と両親は答えてくれた。
でも、あの頃の私には、その言葉の意味が分からなかった。
だんだん、朝学校に行くのがしんどくなっていた。
両親は、共働きで私よりも早く家を出るため、私が学校に行かなくても分からない。
……と、そんなに甘くはなかった。
夕方になると、学校の先生から電話がかかってくるのだ。
厄介なことに、出るまでずっと鳴り続く。
仕事から帰ってきた母は、その電話で、私が学校に行っていない事実を知る。
きっと、理解できなかっただろう。
学校には友達もいるし、運動部にも入っていた。
なのに、どうして娘は学校に行かないのか。
ちょっと天然で、いつも明るい母が悩んでいた。
無理矢理行かせることも怒ることもなかった。けれど、母とは対照的に寡黙な父は、朝、会社に行くのが少しだけ遅くなった。
家の駐車場でしばらくじっとしているようになった。
二階の私の部屋から、駐車場にいる父の様子が見えていて、私を待っていてくれているのだと気が付いた。
私が時間になっても玄関から出て来ないなと思ったら、そのまま車に乗って仕事に行った。
学校には友達もいるし、部活にも入っている。
朝から学校に行くときもあれば、お昼くらいから登校したり。どうしても行く気になれずに休んだり。
そんな高校生活を送るようになっていた。
どうして勉強するのか。
一方で、そんなことを考えずに、学費を払って学校に行かせてもらっているだけでも有り難いと思い、ただ目の前のことに取組めればよかったのだと思う。
完全に不登校にはならなかったが、私も、両親もそれぞれ苦しかった。
10代を不器用に過ごし、私は社会人になった。
就職し、私は外食産業の人事部に配属された。
人事の中でも、新卒の採用を担当する部署だった。
外食産業は、決して人気のある業種とはいえない。
そんな中、仕事内容の前に、そもそも自分が何のために働くか、という価値観を大切にしている会社だった。
採用担当として、面接で大学生と会って話しているうちに、私はあることに気がついた。
勉強をする理由がなかったのは、何も私だけの特別な話ではなかったのだと。
就職活動をするとなって初めて、働くということを真剣に考え始め、迷いながら、面接を受けている大学生がたくさんいた。
社会に出て、働きながら、向き不向きや好きなことを見つけていくこともできる。
勉強する理由なんて無くても大人にはなれる。
ただ、10代のころに、いろんな働き方があることを知る場や、働くということについて考える時間が多くあってもいいのではないか、と思う様になっていった。
知っているから、選ぶこともできる。
それに、国家資格が必要なものだと、専門の学校で学ぶ必要があったりする。
一度社会に出てから学び直すのは、お金も時間も捻出するのは楽ではない。
採用担当として働いた6年間の中で、その思いが強くなっていた。
その思いを口にした時、
「一緒に働かないか」
と誘ってくれた方がいた。
勉強はもちろんなんだけど、そもそもどうして勉強するのか、そして、いろんな働き方があることを教えていける塾を作りたいと。
そこから、子ども達に「先生」と言わる仕事が始まった。
母は、どこまで見透かしていたのだろう。
転職して塾の先生になると、両親に報告した時。
「やっぱりあんたは先生になると思っとった」
相も変わらず、どこからくるのか分からない確信とともに母は言った。
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