メディアグランプリ

赤べこになりたかった日


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:なすさとみ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「お母さんやけどね。おばあちゃんが亡くなったよ。忙しいやろうけど、帰っておいで」
 
祖母は入浴中だった。湯船にぷっかり浮かんだ状態で見つかったという。誰にも看取られず、一人で逝ってしまった祖母。
「おばあちゃんは苦しんだかもしれん」
こらえ切れず、母は電話口で泣いた。
私は母の声を不思議な気持ちで聞いていた。悲しくて寂しかったけど、心は凪いでいた。私には祖母の死が安らかであったという確信があったからだ。
 
私はおばあちゃんっ子だった。おばあちゃんは、赤べこみたいな人だった。ゆらゆらと頭を上下させながら、私の話を聞いてくれた。そして、なぜか私の好きなアイスクリームやジュースを熟知していた。
「何で私の好きなものが分かるん?」
そう聞いても、祖母は「なんでかね」とふんわり笑うだけだった。でも、今ならわかる。祖母のゆらゆらが始まると、私の口はつい軽やかになってしまうのだ。
 
そんな祖母が一人で暮らせなくなったのは、亡くなる数年前のことだった。私は就職し、東京で暮らしていた。祖母は大病を患っていたわけではないけど、ぼんやりすることが増え、足元もおぼつかなくなっていた。「祖父と暮らした家で最後を迎える」ことを祖母は望んでいたという。しかし、責任感の強い私の母は、おばあちゃんをひとりにできなかった。それからは、帰省中の私の日課が一つ増えた。祖母と一緒におやつを食べることだ。おばあちゃんは、相変わらず私の話をよく聞いてくれた。「仕事の話なんか聞いて面白いのかな」と思いながらも、祖母の頭が上下にゆらゆらとリズムを刻むごとに、私の口は滑らかになっていった。
 
「あれ?おばあちゃんは?」
いつものように実家に帰省したら祖母が消えていた。母が目の手術をすることになり、叔母の家に移ってもらったらしい。しかし、母の手術は数か月前に終わっていた。
「早く迎えに行かないと」と思いながらも、決心がつかないのだと母はうつむきながら言った。私が知る限り、祖母は身の回りのことは自分でできたし、痴呆症状も見られなかった。それでも、毎日少しずつできないことが増えていく。そんな自分に祖母は苛立つこともあったようだ。祖母が「老い」と対峙し、苦しんでいたことを始めて知った。
その年は、叔母の家で私の「日課」が行われた。お菓子とお茶を前に座るおばあちゃんは小さく見えた。そして、ふいに「早く死にたい」とつぶやき、叔母と母に叱られると、黙りこくってしまった。二人は今後の介護について討論を始めた。こんなに居心地の悪い「おやつの時間」を過ごすことは、後にも先にもないだろう。
「おばあちゃんのいるところで、無神経なんやない?」
そう言えば良かったのだろうか。しかし、介護の現実を知らない私に、二人を非難する資格はない。
「おばあちゃん、本当に死にたいんかな。おばあちゃんが本当に望むことならそれでもいい。神さま、おばあちゃんをお願いします!」
私は心の中で何度も祈った。
その日、おばあちゃんと私はおやつを残した。
 
東京に戻ってからも、祖母のことが頭を離れなかった。大好きなおばあちゃんに何もしてあげられなかったことを後悔していた。でも、あの時私に何ができたのだろう。
 
「明日、温泉に行こう」友人に誘われたのはそんな時だった。
週末の北陸新幹線は混んでいた。「思い立ったが吉日」で旅行を決めた私達は、離れた席に座るしかなかった。
「目的地まで寝よう」
そう思った時、隣の席に年配の女性が座った。最初は、「いいお天気ですね」とか、「今日は電車が混んでいますね」とか、そんなふうに話しかけられたのだと思う。極度の人見知りの私は、必要以上に話を広げたりしない。「はぁ」とか「へぇ」とか無難に答えて、話を終わらせようとしたのだが……
「美容院に行ったときにね」
「私の趣味はね」
……女性の話は縦横無尽に広がっていく。
「よし。話が途切れたら、さっと横を向いて目をつぶろう」
そんな悪魔の声が私の中で響き渡った時、女性は鞄の中から「スペードのエース」を取り出した。
「これ、私の孫」
それは、高校生ぐらいの女の子と女性が仲良く写っている写真だった。
 
「スペードのエース」は、私の中の悪魔を一瞬にして消し去るほどの衝撃をもたらした。突然、「答え」が降ってきたのだ。
 
「あの時、おばあちゃんの話を聞いてあげたかったな」
 
こんな簡単なことをどうして思いつかなかったのだろう。おばあちゃんはいつも私にしてくれていたのに。
 
それから約2時間、私は何度も何度も頭を上下に振った。おばあちゃんや赤べこのように、優しく頷けなかったけど、私は必死だった。
「もう降りなきゃ。ありがとう、楽しかったわ」
姿かたちも年齢も違う相手が発した言葉なのに、祖母がそう言ってくれた気がした。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「疑似おばあちゃん孝行」を終えた私の心は晴れやかだった。
 
祖母の急逝を知ったのは、その日の夜だった。
「おばあちゃん、死にたかったんじゃなくて、おじいちゃんの近くが良かったんやろ?二人は仲が良かったもんね」
新幹線で出会ったあの女性は、祖母が祖父と相談して、私のために準備してくれたんだと思えた。そうでないと、私がずっとずっと後悔し続けるから。
「おばあちゃん、ありがとう。まだ先だと思うけど、私がそっちに行ったら、今度こそ私がおばあちゃんの話を聞くからね」
 
 
 
 
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2019-06-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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