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メディアグランプリ

言語を学ぶということ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:なすさとみ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
私は英語が大嫌いだった。文法学習や英単語の暗記など、地味な作業が多い割に、見返りが少ないというか……。はっきり言ってしまえば、「英語が喋れるようにならなかった」からだ。
大学時代、世界遺産を擁する地に住んでいた私は、海外からの観光客によく話しかけられた。
「Excuse me, where is ……」
数ある通行人の中から私を選んでくれたことに対して、誠意をもって応えたいという気持ちはある。しかし、私の脳は「英語」を認識すると、定番メッセージの再生ボタンを押す。
「I’m Sorry. I can’t speak English!」
こんなことが起こるたびに、私は罪悪感に打ちひしがれ、いろいろな言い訳を考えるようになった。
「しどろもどろの英語に付き合うのは時間の無駄。さっさと諦めてもらうのが相手のため。それに、海外に出なければ、私に英語なんていらない。日本語ができれば、全日本人と言葉が通じる」
今思うと、ただのアホとしか言いようがないのだが、日本人全員とコミュニケーションが取れるという思い込みは、ひどく私を安心させた。外国人は無理でも、日本人相手なら私でも役に立てるかもしれないのだから。
 
そんなある日、家族と見ていたテレビ番組のワンシーンに私の目は釘付けになった。何の番組だったかは覚えていない。網膜に焼き付いているのは、ひらひらと動く手の様子だけ。
 
手話!!
 
「手話をマスターせねば!」
英語嫌いの言い訳でしかなかった「コミュニケーションで全日本人制覇!」は、いつの間にか私の矜持になっていたらしい。その思いは数年経っても消えることなく、とうとう私は全日制の手話の学校のドアを叩いた。
 
「叩くだけにしておけばよかった」
これが入学直後の素直な感想だった。なぜなら、ドア開けたらそこは「異国」だったからだ。ドア一枚を隔てた「国内留学」の幕が開けた。
(当たり前だけど、)言葉は全く通じなかった。学習効果を高めるため、教室内では声を出すこと、つまり日本語で話すことが禁止された。先生や同級生に自分の気持ちを伝える手段は、手話しかないということだ。手話ができない私は、「ジェスチャーゲームで、手足よりも口がパクパク動く鯉みたいな人」と化し、何度も先生に怒られた(無声だとしても、日本語そのまんまの「口パクパク」は禁止だった)。
先生の繰り出す手話は、まるで放水車から吹き出す水のようだった。水圧に吹き飛ばされないように必死で食らいついた。放課後は、手話動画を何度も何度も見た。手話で語られる笑い話に「クスッ」とした時、嬉しすぎて泣いてしまったことを今でも覚えている。その頃には、手話が「熱めのシャワー」程度に感じられるようになっていた。そうなると、複雑な話は無理でも、ちょっとした会話の相手が欲しくなるのが人情だ。しかし、当時の私の手話スピーキング力は「I am a pen!」と平気で言っちゃうレベルだったと思う。つまり、私と意思疎通を図るには、相当な忍耐力が必要だった。しかし、ネイティブの手話話者の中には、私との会話を面白がってくれる人がたくさんいた。最初は「なんて優しい人たち!」と感動したものだが、場合によっては、例えば「異国」ならば、スムーズに通じ合えないことが旅の醍醐味になりうるのではないだろうか。当時の私は、まさに「手話の国」にやってきた異邦人だった。時間を巻き戻せるなら、英語嫌いのせいにして「人でなし行為」を繰り返していた私に教えてあげたい発見だった。
 
発見と言えば、「異文化体験」にも言及せねばならない。ドアを開ければ始まる「留学先」での公用語は「手話」だ。日本国内であっても、言語の違いは異なる文化や慣習を育んでいた。例えば、講演会の会場で、主催者が参加者の注意を惹きたい時はどうするだろう。  恐らく、司会者がアナウンスを入れるのが一般的な方法ではないだろうか。では、「手話の国」ではどうか? 答えは「会場の電気を点けたり消したりする」だ。最初はチカチカと点滅する会場のライトを見つめながら、何が起こったのかと軽いパニックになったが、耳ではなく、目に入る刺激を使うという理にかなった方法なのだ。
もう一つ、驚きと共に感激したのは、「駅の向かいのホームにいる相手と会話ができる」ことだ。恋人と楽しい時間を過ごした後、後ろ髪引かれる思いで、反対側のホームに降りて行ったという体験が皆さんにもあるのではないだろうか。昔の私なら「あー、もっと話したかったなぁ」と思いながら電車を待っているだけだった。しかし、「留学後の私」は向かいのホームにいる恋人と手話で話すことができた。視覚に働きかける手話であれば、電車に視界を遮られない限り、駅の喧騒をよそに「また会おうね」とか「大好き!」なんてことを数メートル先の恋人にダイレクトに伝えられるのだ。
他にも「視覚」をうまく使った慣習がたくさんあるのだが、文字数の関係で紹介しきれない(興味のある方は、「ろう文化」というキーワードで検索してみてほしい)。私は英語を「言葉の勉強」としてしか捉えられなかったが、本来、言語を習得することは異文化への関心と理解につながるものなのだ。
 
「国内留学」により、私は第二外国語として「日本手話」を習得することができた。そして、言語習得の過程における異文化体験は、私の中にある「こうあるべきだ」とか「これが当たり前」という考え方を少しずつ変えてくれた。手話を身に付けても「日本制覇」は果たせなかったが、「違いを認めて、それを楽しむこと」ができるようになったと思う。
 
私は今、第三外国語を習得すべく「英語」を勉強している。「あの時もっと勉強していれば」なのだが、今だからこそ自発的な学びにつながっていると感じる。留学は無理だけど、旅先で片言の英語でコミュニケーションを取ってみたり、その土地の慣習にびっくりしたりしてみたいという気持ちが私を突き動かしている。
 
 
 
 
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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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