メディアグランプリ

祖母と娘の生きる速度


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記事:久保田真凡(ライティングゼミ 平日コース)
 
 
先日実家に帰省した。
築、少なくとも60年、今にも崩れそうな古い一軒家の和室に1人座る娘を見て、ふと幼少期の自分を重ねた。
 
「もうちょっとゆっくり喋って」
 
当時、この和室の主である祖母が私によくかけた言葉だ。
祖母は耳が聞こえなかった。
 
34歳の時に病気で夫を亡くした祖母は、女手1つで私の父と伯母を育てた。ワンオペのストレスから徐々に聴力を失っていったらしい。手話を覚えるのはハードルが高く、補聴器は持ってはいたが、使っているのを見たことはない。雑音を拾いすぎて不快だと言っていた。
祖母はいつも口の動きを頼りに話を読み取っていて、だから耳の聞こえない祖母にとって、話し相手がゆっくり喋ることは必須条件だった。
 
祖母はいつも、私が何か言うと「まぁちゃんは、こう思ったん?」と、自分の解釈が間違ってないか、いちいち目を合わせ、聞き返してきた。
なんの障害もない大人同士の会話なら「あなたはそう思ったんですね」程度で、いや、なんならそんな確認もなく、どんどん会話は進んでいくところ、祖母は1つ1つ確認するように、私の話を丁寧に聞いてくれていた。まだ脳内の情報を処理する速さが遅い私にとって、祖母のその確認は、ものすごく自然なことで、何の違和感もなく会話に溶け込んでいた。
幼少期の祖母との会話が一番満足度が高かったように記憶しているのは、当時、私と祖母の生きる速度がおそらく一緒だったのだと思う。
 
しかしこの後、私の生きる速度はどんどん速くなっていった。そして祖母の生きる速度はどんどん減速していった。私はそうとも気付かず、祖母を置き去りにしてしまうことになる。
 
数年経って、小学生になった私はスラスラ字が書けるようになった。語彙も増えた。筆談ができるようになった私は、祖母の都度の確認が必要ないので、この方がいいだろうと祖母用のノートと鉛筆を用意した。
帰宅後、夕飯後、これまでのように祖母と会話をしたが、お互いの確認の為に都度合わせていたはずの私の目の向く先は、いつしか祖母からノートに変わっていった。
 
中高時代、当然のように私のコミュニティは広がり、友達づきあいの方が楽しくなってきた。部活もあって、家にいる時間も徐々に減っていった。自然と祖母との会話は減り、時折交わす会話は小学校時代に定着した筆談。けれど、その頃私の生きる速度は、祖母を優に超えていて、友達との会話のようにスッといけない感じにストレスを感じていた。早くこの話を切り上げたい。話に乗ったら長くなる。いつからか祖母との会話に負の感情を抱くようになっていた。
 
こうして私は祖母の生きる速度に寄り添うことなく、どんどん祖母を置き去りにしていった。そんなことに私は最近ようやく気付いた。というのも、ここのところ祖母ではない別の人物から同じ言葉を言われることが増えた。
私の娘だ。
 
「お母さん、もうちょっとゆっくり喋って。まだ子どもやけん、そんないっぱい喋られても分からん」
 
おっしゃるとおり。朝から夜まで、家事に子どもの世話に仕事に、時速何キロで生きてるかも分からないが、終始バタバタしている私が、合間に交わす子どもとの会話だけ、急に減速できるはずもなく、だめだなぁと思いながらもつい大人と会話するように話している。
娘が話を理解し心を通わせるには、私のペースは速すぎるのだ。だから「もうちょっとゆっくり喋って」と言っている。
 
祖母も一緒だった。
そしておそらくだが、祖母は気付いていた。私が徐々に彼女の速度に合わせることを面倒と感じ始めていたことに。どれほど寂しい思いをさせてしまっただろうか。今更だが祖母には悪いことをした。
 
娘とのコミュニケーションにストレスを生じさせている原因に気が付いた頃、祖母は亡くなった。
 
この速度差に気付いた今、私は娘に対して、比較的上手くギアチェンジ出来ているのではないかと思っている。娘が発する言葉1つ1つにうなずきながら、こちらの言葉も1つ1つ丁寧に返す。
話のオチが見えている時でも、徹底して娘の速度に合わせることで、娘は満面の笑みを浮かべるし、娘が私の速度に合わしていたら、諦めて言えなかっただろう言葉や思いを引き出すことができる。
 
相手の速度に合わせて、時に待ったり、時に気持ちを確認してみたりすることで、相手が自分に信頼を寄せる確率は、随分と高まると思う。とりわけ高齢者に関しては、それまでの人生において様々な経験を積んでいるので、身につけた技や知識は、大人の私たちでも到底追いつかないものを持っている。高齢者の速度に合わせるということは、それらを得られるチャンスと捉えると随分と贅沢な話だ。
 
私の両親や夫の両親も60代半ばを過ぎ、これから老いを重ねていく。身体的能力はもとより、その他様々な能力の低下は避けて通ることはできない。祖母には寄り添うことが出来なかった私ではあるが、年々減速していくであろう両親たちには、出来る限りギアチェンジを繰り返しながら寄り添いたいと思っている。
そして娘には、老若男女問わず、各々に生きる速度があること、その速度は速いだけがいいというわけでもないことを伝えたい。もし自分より遅かったとしても、相手の速度に合わせることで見えてくるものや、享受できることもあるということを感じてもらえると嬉しい。
 
 
 
 
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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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