週刊READING LIFE Vol.29

子供の頃の私が教えてくれた、命を救った相棒の存在《週刊READING LIFE Vol.29「これがないと、生きていけない!『相棒アイテム』」》


記事:飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「好きな飲み物って何?」
この質問を人にしてみると面白い。好きな飲み物にはその人の思い出が一緒になっていることが多く、相手の人となりが見えるので私はこの質問が好きだ。
私の好きな飲み物にも、いくつかの思い出がセットになっている。
一つは、大学受験の勉強中の夜、母がいれてくれた温かい緑茶。母がいれる緑茶は驚くほど甘く、それでいてシャキッと目覚めるような渋味もあった。それ以来、休憩しつつもう少し頑張りたい時には緑茶を飲む。
また、高校の文化祭の準備で飲んだファンタグレープも忘れられない。夜までかかった準備が終わり、さぁ明日から本番を楽しもうと意気込んだ帰り道。実行委員会の仲間と、道端で乾杯して飲んだファンタグレープは格別だった。今でもひとりで密かな打ち上げをしたい時、帰り道にファンタグレープを買ってつい飲んでしまう。
忙殺されて余裕を失った時は、ほうじ茶ラテを飲むようにしている。それは、以前の職場にいたかわいい先輩がいつも飲んでいたからだ。ほうじ茶ラテを飲むと、自分の中の辛辣さと焦りが溶けていく気がして好んで飲むようになった。

 
 
 

飲み物を飲むことは、お金も時間もあまりかけずにできる気分転換だ。仕事のおともやリラックスをする時、人と楽しい時間を過ごす時、誰にとっても欠かせないアイテムだ。

 
 
 

私も、このように欠かせない飲み物を、その時の気分に合わせて選ぶのが好きだ。それは子供の頃の苦い思い出が、執着心として影響している。
私の母は、お金を使う場面にメリハリをつける主義だった。我が家は一般的な家庭で、特別お金持ちでもなければ貧乏でもない。外にはよく遊びに連れて行ってくれるし、習い事もたくさんさせてくれたし、食事も新鮮で良質なものを惜しみなく使って料理してくれていた。でも、ある一点だけ、異様な節約ポイントがあったのだ。それが「飲み物」だった。
家族で外出する時も、水筒に麦茶を入れていくか、ペットボトルを家族で1本買うかのどちらかで、ジュースなんて飲ませてもらえなかった。外食に行っても、飲むのは基本的に無料の水だけ。ワンドリンク頼まないといけない雰囲気のところでは、選択肢はお茶のみ。友達の家族とレストランにいっても、みんなが好きなジュースを頼む中で我が家はお水だった。友達は飲んでいるのに、私は飲めない。そんな分かりやすい比較の光景があったからか、飲み物への羨望が日に日に高まっていった。そんな私をだめ押しするかのようなあるものを、ある時私は目にしてしまった。

 
 
 

レストランにあるドリンクバーだ。あの機械にはジュースが何種類も入っていて、ボタンを押すと好きなだけ出てくるらしい。しかも、ドリンクバーと注文すれば、いろんな種類のジュースを何杯でも飲み放題だというのだ。あれは夢の機械なのか! ドラえもんの道具なのか! と少女の私は熱烈に憧れた。
もちろん、憧れるだけで飲めはしないのだ。いつも指をくわえながら、ドリンクバーを桃源郷のごとく見つめ、水を飲んでいた。

 
 
 

そんな私が中学生になり、行動範囲が広がると今まで抑制していた思いが爆発した。少ないお小遣いをやりくりし、コンビニでとにかく好きな飲み物を買った。今日はこの飲み物の気分とか、新しくでたこれを試してみたい、と自分の気分で選び、買ったものを自分だけで全部飲んでいいという喜びは格別だった。
そして、ついに友人とレストランに行き、念願のドリンクバーデビューも果たした。かけつけメロンソーダを一杯、子供の時に頼めなかったオレンジジュースを一杯、余裕が出てきてお茶を挟みつつ、トイレを何往復もしながら、何杯でも飲めるからと片っ端から全種類飲んでいた。粗末にならない範囲で、ドリンクを混ぜてオリジナルジュースを開発するのにも夢中になった。
ドリンクバーに憧れる背景は友達に言ってなかったから、できるだけ種類を多く飲もうとする私を異様に思っていたかもしれない。
当時、私のお店選びの基準はただ一つ、ドリンクバーがあるかどうかだった。そして、ハッスル状態で夢の機械を使っていたドリンクバー初心者の私も、ドリンクバーを使い倒していくうちに、いつしかドリンクバー十年選手になった。もはやその頃には、ドリンクバーにときめきを感じることはなくなった。

 
 
 

それでも、好きな時に好きなものを飲みたいという気持ちは大人になってからでも健在だった。仕事をするようになってからは、仕事の気分転換として飲むようになった。お金も時間もかからず、手軽にできるし、飲み物を飲んだら気持ちを切り替えられる、スイッチの役割としても重要だった。ビタミン不足を気にして野菜ジュースを買ってみたり、ブラックコーヒーに目覚めカフェや喫茶店に行くようになったりと、大人になったことで好みも増え、飲み物との新しい関係を築いている頃だった。

 
 
 

ある日、ジャスミン茶を美味しいと感じた。花のイラストが可愛くて手を伸ばしたが、味もすっきりして美味しいし、緑茶やウーロン茶とも違う独特な香りも気に入った。次の日もまた飲みたい、と思ってコンビニで買った。以来、私はよくジャスミン茶を買うようになった。その時はまだよかったのだ。
今思えば、その頃仕事がうまくいっていなかった。繁忙期で通常の何倍も忙しく、ミスも増えていた。焦ることで萎縮してしまい、周りに相談するのをためらっているうちに悪循環になり、処理できない仕事が山積みになった。いくら残業するのに仕事は減らない、後輩の指導もしないといけない、営業中にひっきりなしに電話は鳴っている。そんな状態で意識はなく体だけが動いているような毎日で、仕事中はおろか、自分の時間でさえ、無気力無目的になってしまっていったのだ。その時は、毎日始業前にコンビニに寄り、無意識でジャスミン茶を買う。仕事が終わっても、家の近くのコンビニで同じジャスミン茶を買う。そんな日々が何週間も続いた。私は、ただ機械的にジャスミン茶に手を伸ばしていた。そこに気分や感情を挟む余地もなく、もちろんジャスミン茶を飲みたいなんて気分は皆無だった。家では飲み終えたジャスミン茶の空のペットボトルが、ゴミ袋にいっぱいになっていた。
ある時、ゴミ袋に溜まったペットボトルのラベルを剥がそうとカッターを使った。カッターの刃先が軽くラベルに入り、すーっと抵抗なく切れていくのを気持ちいいと感じた。あ、楽しいと思ってカッターで切り続けた。何かが楽しいと思えたのは久しぶりだと感じたのと同時に、こんなにジャスミン茶を無意識に飲んでいる自分は、いつもの自分とは違うと思った。
全部切り終わったあと、なぜか涙が止まらなくなった。心の張り詰めていたものが切れたのだろう。キッチンに座り込んで声をあげて泣いてしまった。

 
 
 

ひとしきり泣いた私は、お腹が減るのを感じた。体の底から欲求が湧いてくる感じも久しぶりだった。私は、財布を握りしめて外へ飛び出した。向かったのは、大通りにある店だ。目についた気になるものを次々とオーダーをして、最後に付け加えた。

 
 
 

「あとドリンクバー、セットでつけてください」

 
 
 

メロンソーダ、カルピス、オレンジジュース、ジンジャエール。好きな飲み物をこれでもかというほど飲んだ。食べたいものもたらふく食べた。自分の欲求や気分に真正面から向き合った。そして、もう食べられないというところで、またドリンクバーに向かった。温かいハーブティーを飲んで、はぁと大きく息をついた頃には、だいぶ気持ちは落ち着いていた。

 
 
 

それから、どんなに忙しくてもおざなりに飲み物を決めない、と心に誓った。
飲み物なんて、喉や口が潤えばなんでもいいのかもしれない。実際、なんとなく目の前にあるものを飲んでいたって、何も人生に行く先に影響はない。だからこそ、なのだ。
生死や人生の大きな選択に影響しないとしても、人間の体や心には微細な変化や移ろいがある。そうしたものを自分が敏感に感じて、受け止めてあげなければ一体誰が受け止めてくれるだろう。ストレスや違和感が手軽な気分転換で解消できるレベルのうちに、いなしてしまった方がいい。

 
 
 

私にとって、飲み物を選ぶことは、自分の人生をハンドリングして舵を切ることと一緒なのだ。大きな流れに飲み込まれそうになった時に、自分がいる場所、向かう場所を確認するために、好きなものを飲みたいのだ。きっと子供の頃の私も、ジュースそのものよりも、好きなものを「自分で選べる」という行為に魅力を感じていたのだと思う。それがたとえ、些細な飲み物ひとつに過ぎなくても、自分で決断できたこと、選んだものが手元にやってくる充実感や安心感は、子供も大人も変わりなく大事に思うことなのだと、子供の頃の私が私に教えてくれた。

 
 
 

今、我が家には自家製ドリンクバーがある。緑茶、紅茶、コーヒーが20種類ほど、冷たい飲み物も水、炭酸水、麦茶、ジュースなど用意している。いずれはレストランにあるようなドリンクバーを置くのが野望だが、今の自家製ドリンクバーもかなり充実していて気に入っている。朝一番、仕事の休憩中、夜寝る前のひとときに、私は自分に問いかける。今日はどんな気分か、今は何が飲みたいのか。
はっきりと言える。大げさではなく私はあの時、ドリンクバーに救われた。そしてこれからも、相棒であるドリンクバーが私を支えてくれるに違いない。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神奈川県生まれ、東京都在住。
大学卒業後、出版社・スポーツメーカーに勤務。その後、26年続けている書道で独立。書道家として、商品ロゴ、広告・テレビの番組タイトルなどを手がけている。文字に命とストーリーを吹き込んで届けるのがテーマ。魅力的な文章を書きたくて、天狼院書店ライティング・ゼミに参加。2020年東京オリンピックに、書道家・作家として関わるのが目標。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

http://tenro-in.com/zemi/82065



2019-04-22 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.29

関連記事