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週刊READING LIFE Vol.40

伝わらなくても大丈夫《 週刊READING LIFE Vol.40「本当のコミュニケーション能力とは?」》


記事:遠藤淳史(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

コミュニケーションとはなんぞや。

 

それを考えた時、真っ先に頭に思い浮かんできたのは就活だった。
コミュニケーション能力やコミュ力といった言葉は、この時期耳にタコができるくらいに毎日聞いていた。

 

同時に、めちゃくちゃ大事なスキルらしいことも、知るのに大した時間はかからなかった。そんなに大事なら義務教育で教えて欲しかったなあと、当時の私は呑気に構えていた。

 

就活中はどこもかしこも、要約すれば大体似たようなことを言っていたのを覚えている。

 

「一番大切なのはコミュ力だ。コミュ力さえあれば内定をもらえる可能性は高まるし、逆にそれが無ければ、どこを受けても内定は難しい」

 

それはまるで、鎧と武器をしっかり身につけて戦えば生き残れるし、何も身に付けずに戦えばすぐ死にますよと言っているようなもので、至極当然のことだと今思えばすぐに分かるのだが、当時ははっきりと理解はできていなかった。

 

コミュニケーション能力がない人は社会人としてのスタートラインにすら立てない。そう突きつけられている気がしていつも不安だった。

 

しかも、正体を探ろうと思っても中々形が見えてこないのも辛かった。
どうすれば身につくのか。
生まれつき持ち合わせているものなのか。
自分は基準と比べてどうなのか。

 

「あの人、コミュ力高いよね」と言われている友人を見ていても、よく分からない。
リクルートスーツという鎧を身に付け、コミュ力という剣を片手に自らをアピールしなければならない就活は非常に苦痛だった。

 

自分の剣がひどくちっぽけに見えた。
鋭さなんか皆無で、ちょっとでも固いものに触れてしまえば簡単に折れてしまいそいうだったのだ。

 

だから私は、あるかどうかも分からない自分の力に期待するのを止めた。
企業から求められる姿を、人事から見ればウケるであろう就活生を演じることにした。
面接で聞かれる可能性が高い質問に関しては、背伸びをしまくった回答を丸暗記した。

 

何回も頭の中でイメージトレーニングをしていたため、いざ聞かれた時は本当にそう思っているかのように抑揚をつけて語りに入ることができた。我ながらよくやったと思う。
その甲斐あって、数社から内定をもらうことができた。

 

最初に内定をもらった企業に入社したが、結局そこは1年で辞めた。

 

別におかしなことは何もない。
自分を偽りまくって入った会社だ。
合わないであろうことはなんとなく気が付いていたので、むしろズルズルと続けて抜け出せなくなるより全然マシだった。

 

働いていた1年の間で、最終面接で話した役員の方と顔を合わせることはなかった。
会社の規模が大きかったので、仕方のないことではあるのだが、
2人きりの部屋で、面と向かって、お互いの目を見ながら話したのはあの人が初めてだった。例え気に入られる為に演じていただけにしても、私の言葉にある種の共感を覚え、組織の一員として迎え入れることを決めたのはあの人なのだろう。

 

それなのに、なんだか申し訳ないことをした気持ちで一杯になった。
あの面接の場で伝えたかったことは、声を大にして言うべきことは何だったのか。

 

表面だけ取り繕って紡いだ言葉は、誰も幸せにしないことを私は就活で学んだ。

 

じゃあ一体どうすれば、コミュニケーションってやつは上手くいくのだろう。
それを考える上で以前、印象的な出来事があった。

 

「Can you speak in English?(英語話せる?)」

 

以前、仕事終わりの電車に揺られている時、隣に座った外国人の女性に話しかけられた。
突然のことで戸惑ったが、彼女は大きなキャリーケースをそばに置き、手には路線図を持っていた。その状況から察するに、おそらく空港までの行き方か、乗り換えのことについて聞きたいのだろう。

 

そこまで想像できていながら、私は
「a little……(少しなら……)」と遠慮気味に答えてしまった。

 

自信があった訳ではない。
けれども過去、数カ国だけだが海外を旅したことがある。
その時に、簡単な会話程度なら、身振り手振りと中学生レベルの単語で言いたいことの大半は伝わるということを身を以て知った。

 

だからこの時も、ジェスチャーと簡単な英語で案内程度ならこなすことができたはず。それなのになぜはっきり「イエス」と答えなかったのか。

 

私の中途半端な返事を聞いた彼女は、「Ah……OK」と、なんとも決まりが悪そうな表情をしたかと思えば、プイッと手元の路線図に目を落としてしまった。それはもう「自信がないなら結構です」と言ってるのと同じだった。戦力外通告を受けた野球選手のような気分になった。もちろんそれ以降、話しかけてくることはなかった。

 

どうしてあそこで遠慮してしまったのか。
しばらくそのことばかり考えていた。
英語が話せるかどうかの前置きなんていらない、直接要件を聞いてくれればよかったのにと、相手を攻める気持ちも少しあった。

 

でもそれは私の身勝手なエゴでしかなく、向こうからするとそんなこと知ったこっちゃない。分かっているけれど、モヤモヤは消えなかった。

 

「少しなら話せます」と言ったつもりだったが、彼女は
「少ししか話せません」と捉えたのだろう。

 

例えばある親が自分の子供に、お盆に乗せたご飯を運ばせる時、
「落としちゃダメ」と言うより、
「しっかり持ってね」と声をかけた方が、落とす確率は格段に減るらしい。

 

言い回し一つで、受け取る側の印象は全く異なる。
それを考えずに、謙虚さを出してしまったのは完全にミスだった。
それも慣れない外国人との会話なら尚更だ。
テンポだけを重視した会話ではなく、勘違いさせないための言葉選びもめちゃくちゃ大切なんだと思った。

 

このおかげで少しずつだが、コミュニケーションの本質が見えてきた気がする。
けれども何か、何かが足りない。
真ん中の核となる部分、それを前提として全てが関わり合っているようなものが。

 

それさえ見つけることができれば、もう就活の時のような失敗はもちろん、これからの生活で人と関わり合う時にも、前向きに臆せずコミュニケーションができるような自信があったのだ。

 

 

 

 

そして先日、その答えを私は映画館で見つけた。

 

現在公開中のアニメーション映画『海獣の子供』にあらゆるヒントが詰まっていた。

 

『海獣の子供』は、主人公の少女ルカが、ジュゴンに育てられたという2人の少年と出会い、海から始まる生命の誕生や神秘に迫っていくストーリー。
地球はどのように生まれ、そして私たち人間はどこから来て、これからどこへ向かうのか。誰しも一度は考えたことがあるかもしれない、あまりにも果てしなくて壮大な問いかけを、アニメーションならではの幻想的な映像、久石譲が奏でる音楽、スピリチュアルな展開で楽しませてくれる。

 

劇中、物語の鍵を握る重要な存在として、クジラが何度も登場する。
地球上で最も進化した存在と言われているクジラは、しばしば霊的な象徴として語られることも多い。

 

そんなクジラのコミュニケーション方法は独特だ。
映画の中でも語られるが、彼らは「クジラの歌」と呼ばれる大音量の呼び声を用いて仲間と会話する。それは、人間の鼓膜など簡単に破裂するレベルで、数百キロ離れた仲間の元へも届く、とても複雑な情報の波。
クジラは歌うことで、思っていることや感じていることを伝えることができるのだそう。

 

歌うことで思いを伝える。
シンガーみたいでロマンチックだなあと思っていたが、次に飛び込んできたセリフに私の身体は固まった。

 

「人間は言葉にしないと思っていることの半分も伝えられない」

 

え、ちょっと待って欲しい。言葉にしないと言いたいことの半分も伝えられない。
それはつまり、「言葉にせずに何かが伝わると思うな」ということで、
もっと言えば、「言葉にしたところで伝えられないことは山ほどある」と言っているようなものではないか。

 

でも確かに、言葉という共通基盤を与えられて最も知能が発達した私たち人間でも、思っていることや感じていること全てを言葉で伝えられているかと問われれば、答えは「ノー」だと思う。

 

だから表情や話し方など、言葉以外の部分で、それこそクジラは歌うことでアプローチをかけるのだ。

 

言葉で全て伝わることなんてありえない。
むしろ、言葉じゃ表現できないこと、伝わらないことの方が多い気がする。きっと。

 

なんでも便利、なんでも分かりやすいことが求められる時代になっても、言葉だけは分かりにくいままだ。

 

でもその分かりにくさの中に、コミュニケーションの本質は潜んでいる気がしてならない。どんなに気心が知れていても、血が繋がっていたとしても

 

「自分の言葉が、完璧に伝わることは絶対にない」

 

その前提を、最初から持っておくことができれば、
就活の場での面接官には、誠実な態度や清潔感を持って、
言葉の壁がある外国人には、ジェスチャーや身振りで、対話に臨むことができる。

 

言葉そのものだけでは不十分だと分かっているからこそ、プラスの付加価値を与えようと努力する。そうすれば、目の前の相手とより真摯に向き合うことができ、円滑なコミュニケーションが可能になる。

 

言葉は曖昧で面倒くさいと思っていたが、それが当然だった。
「全ては伝わらない」というある種の諦めと
「それでも伝えよう」とする意思。

 

この2つを持つこと。
それこそが本当のコミュニケーション能力だと、私は思うのだ。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
遠藤淳史(週刊READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

1994年兵庫県生まれ。24歳。
関西学院大学 社会学部卒業。
都内でエンジニアとして働く傍ら、天狼院書店のライターズ倶楽部に参加。
毎週末の映画館巡りが生き甲斐。

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2019-07-08 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.40

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