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週刊READING LIFE vol,101

幼少時に体験した屈辱は、大人になった私に何を暗示していたのか《週刊READING LIFE vol,101 子ども時代の大事件》


記事:琴乃(READING LIFE 編集部 ライターズ倶楽部)
※一部フィクションです。
 
 
「いくぞー、せーのっ」
 
物心がついてきた幼少時代のことだ。小さな溝をまたいだ格好で、同じ方向に並んだ5人の子ども達は順番にきれいな放物線を描いた。その時、一番後ろにいた私だって気持ちの上では同じように放物線を描いていた。
 
だが、現実は違った。気がついたときには生暖かいものが私の内股を伝い、パンツとズボンをびしょびしょにした。
 
正直、何が起こっているのか自分でもわからなかった。私より小さい子も気持ちよさそうにおしっこを飛ばしていたのにも関わらず、大惨事になっているのは女の子の私だけだった。
周りにいた男の子達のリアクションとか、その後のことはあまり覚えていない。ただ、覚えているのは、自分だけがそれに失敗したことにかなり動揺し、惨めな気持ちで濡れて冷たく重くなったズボンを着たまま、がに股でとぼとぼと家に帰ったことだけだ。
 
私は幼少時代、近所に住んでいたのがたまたま男の子ばかりだったこともあり、いつも男の子と遊んでいた。かくれんぼや鬼ごっこ、虫やかえるを捕まえたり、日が暮れるまでどろんこになって遊んでいた。当時、自分が女で他の男の子とは違うということは分かっていたが、それが理由でできない遊びがあるとは想像すらしなかった。
 
その日の大惨事を両親に泣きながら話したところ、父は私をからかってこう言った。
 
「ダイエーにおちんちんを買いに行こう」
 
スーパー自体が目新しかった昭和のあの頃、ダイエーで買えないものはないともっぱらな噂だった。まだ幼かった私は純粋に父の言うことを信じた。ダイエーに行けばそれを買えるのだと。その夜私は夢を見た。ダイエーの文具売り場でおちんちんが売られている夢だった。ちょうどハサミや三角定規が厚紙の上にプラスチックでカバーされているように、おちんちんがパッケージに入って陳列棚にぶら下がっていたのだ。私は翌朝、意気揚々と父にその夢の報告した。「文具売り場に売っている。これさえダイエーで買えば皆と一緒におしっこを飛ばせる」と。しかし、言うまでもなくそんなものは売っているはずがなかったし、買えるものではないのだと聞かされた。私は諦めるしかなかった。

 

 

 

私はそれ以降、女の子であることにどこか劣等感を持つようになった。でも引き続き私は男の子とよく遊んだ。理由なんて無い。ただ、本能的にその方が楽しかったからだ。折に触れて男の子に生まれてきたかったと、男の子に対してある種の憧れをいただくようになっていった。
 
しかし、小学5年の時に父の仕事の関係で、大阪の下町に住んでいた私は関西の田舎に転校することになる。そこでは今までと同じようにはいかなかった。
 
転校生の私は、小学校5年という時期も関係し、自然に女の子と遊ぶようになっていった。今までとは勝手が違うがしょうがない。男子が楽しそうに遊んでいるのを横目で見ても、人目というのが気になる年頃になっていたし、その中に女子の私が飛び込んでいくほどの勇気はなかった。新しい環境で生き残るために、子供ながらに本能が私をそうさせたのだろう。学校生活にも慣れて自分を出し始めた頃、自分は他の女子と比べてガサツで声も大きいし、何か違う事に気が付き始めた。うまく言えないが、男の子と遊んでいたときのほうが自然体で楽だし、楽しかったということだけは分かっていた。
 
一方で徐々に大人になる自分の体が好きになれなかった。ブラジャーを着けないといけなかったり、ムダ毛を処理したりすることが煩わしくて仕方がなかった。

 

 

 

中学に上がってからの話だ。授業中に隣の席に座っていた上田君が小声で喋りかけてきた。
 
「胸触らせて」
 
私は当然「嫌だ」と答えた。だが、上田君は何度もしつこく同じことを聞いてきた。私は上田君を無視した。しかし、一瞬の間に不意をついて上田君は私の胸を触ったのだ。私達の席は一番後ろで端の方だったので、誰も目撃者はいなかった。
 
「誰にも言ったらだめだよ」
 
私は動揺して泣きそうになりながら上田君を睨みつけたが、上田くんはにやついてそう言った。
 
上田君は背も高くて成績も良くてスポーツも万能でクラスでも人気者だった。人の嫌がるような事をするようには見えなかった。だが今まで仲間だと思っていた、私の男子に対しての印象がそこで変わった。翌日私は先生に席を替えて欲しいとお願いした。理由は言えなかった。
 
高校時代には露出狂に何度か出会い、空いている電車の中でうたた寝ている間に痴漢にあったことがあった。仕事を始めてからは、信頼していた先輩から性的被害を受けた。女子力もないし、美人でもスタイルがいいわけでもないのにどうしてこんなに被害に会わないといけないのだろうか。自宅から駅までの途中で通り魔の痴漢にあった時は警察に通報した事もあったが、親身になってもらえず軽くあしらわれた。自分が受けた被害を他人に説明するだけでも精神的に負担なのに、取り合ってもらえないことは、更に嫌な気持ちになり恥を晒しただけのような惨めな気持ちになった。沸き起こる恐怖と怒り、やるせなさは持っていき場がなく、すきがあった自分を責めるしかなかった。
 
周りの友達は結婚する人もちらほら出てきて、とても幸せそうだったが、私は過去のトラウマから男の人を心の底から信用することができなくなっていった。お付き合いする人ができても過去の経験から、男の人を信用できず関係がぎくしゃくした。きっと男の人全てが悪い人ではないのだろうが、少なくとも私は自分を大切に扱ってくれるような人には出会わなかった。次第に私は結婚は無理だと諦めるようになった。ただ、どこかで子供を生んで育てたいという気持ちだけはあった。
 
恋愛にも性にも仕事にも自由にみえる男の人が羨ましかった。

 

 

 

30歳になる前、私はイギリスに留学した。今から20年前の事だ。イギリスの大学院では、女性と文学というコースを専攻した。女性文学をもとにして、フェミニズムの歴史や理論などを学んだ。そのコースで学ぶことは私にとって、今まで生きてきて、女性としての自分を改めて違う視点から考える機会となった。
 
子供の頃、立っておしっこができなかった経験なども、今ではもう古いと言われているし、たまたまかもしれないが心理分析者のフロイトの理論に当てはまるような経験だった。
 
学ぶ内容はとても興味深かったが、勉強の量は半端なかった。週2回のクラスだが、クラスの前には分厚い数冊の英語の参考書と、英語の課題小説を読んでいかないといけなかった。
 
数人いたコースのメンバーの中で、私は一番成績が悪かった。理論や小説はキリスト教がベースになることが多い。そういった場合、私は知識がないのでピンとこないためそこで躓いてしまう。私以外は皆ヨーロッパの出身だったので、この問題を抱えているのは私だけだった。学期末のテスト(エッセイ)でひどい点数を採った私は、コースの主任教授から、このままじゃ卒業できないかもしれないと言われる始末だった。コースのメンバーの一人で、クラスのリーダー的存在であるスペイン人のジュリーにその事を話したところ、彼女は他のメンバーにも声をかけてくれて、授業以外の時間で少人数のグループで一緒に勉強する場を作ってくれた。そこで、私は、疑問点を質問することができたおかげで試験の成績は上がり、論文も書き上げて卒業することができた。
 
ジュリーは、私よりも5歳年上で、私よりも背が高く、薄茶色の髪のショートヘアにジョンレノンがかけていたような丸メガネがトレードマークだった。姉御肌で友達がいない私にいつも声をかけてくれた。彼女の周りには常に人が集まっていたけれど、一人でいる私を見つけると、その輪から抜けて私のところにやってきてくれたた。時々手料理をごちそうしてくれたりして私のことをいろいろ気にかけてくれた。留学を終えて日本に帰る前に、ジュリーはスペインの家に私を招待してくれた。夏の終り、8月のことだった。
 
ジュリーも留学を終えて、仕事が始まるまで比較的時間があったので、2人で観光地にでかけたり、家で料理を作ったりして一週間を過ごした。私達はいろいろな話をした。政治のこと、女性の地位のこと、家族のこと、彼女の持病のこと。
 
私も立っておしっこができなくて悔しかった子供時代のことや、過去に受けた性的な被害や異性に関するコンプレックス等について話を聞いてもらった。彼女も彼女でいろいろな過去があったことを共有してくれた。国は違うけれど、それぞれの立場で苦労や悩みがあった。彼女は年上だったし、私よりもいろいろな経験をしてきたこともあり、自分の意見をしっかり持っていて私にいろいろアドバイスしてくれた。
 
私が日本に帰る前日、ジュリーは私をビーチに連れて行ってくれた。誰もいないビーチで、私達は子供のように水を掛け合って遊んでいた。ふとした瞬間ジュリーと目があった。メガネの奥の薄茶色の瞳は私をまっすぐに見ていた。
 
ゆっくりとジュリーは私に近づく。時間の流れが止まったように、私はその場に佇んでいた。気がついたときには彼女の柔らかな唇が私のに触れていた。
 
とても優しいキスだった。
 
その時、言葉はなかったけれど、私は確かに彼女からの愛情を感じていた。初めての感覚だった。今まで受けた無理やりなものとは違っていた。
 
しばらくそれが続いたあと、ジュリーはゆっくりと私の目を見て話し始めた。
 
「琴乃、あなたのことが好き。
 
私が男だったらよかったのにといつも思っていたわ」
 
自分と同じように女性であるが故に悩み、苦労し、それを同じ立場から一緒に共有できるジュリーに私は警戒心や劣等感、恐怖心はなかった。困惑しなかったと言えば嘘になるが、決して嫌じゃなかった。不思議な感覚だった。
 
私は何も言わなかった。どう返事をしたらいいのかわからなかったからだ。ただはっきりしていたことは、同性同士のわたしたちの間にその日から何かが始まるわけではないということだった。

 

 

 

日本に帰って、しばらくしてからジュリーからエアメールが届いた。彼女の近況報告が独特な癖のある文字でびっしりと書いてあった。最後に彼女は次の言葉で手紙を締めくくっていた。
 
「人生いろいろあるけど、書いているときは自由だということを忘れないで。
そこでは抑圧や男女の性差はない。
大学院のコースで学んだように、書くという行為、ペンを持つことがとてもパワフルなことも忘れないようにして」
 
その後、私は今の夫と出会い結婚した。
 
手紙はどこかにいってしまい、ジュリーとの連絡も途絶えたけれど、ジュリーの手紙の最後のそのメッセージとあの日の海での出来事は、今でも私の心の中に大切にしまっている。

 
 
 
 

□ライターズプロフィール
琴乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

昨年天狼院書店のライティング・ゼミに参加。その後、同書店ライターズ倶楽部にて書くことを引き続き学んでいる。

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2020-10-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol,101

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