週刊READING LIFE vol,113

怒りを止められないママの泣きたい事情《週刊READING LIFE vol.113「やめてよ、バカ」》


2021/02/01/公開
記事:松本さおり(READIBGLIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
子育てのときって、正常な自分でいられなくなる。
心に余裕がないと、子どもに優しくできない。
 
お母さんという仕事には、休みがない。
 
まだ生まれたての赤ちゃんのときは、朝も昼も夜もなく、泣かれる。
自分の身体を酷使しておっぱいを与える。そして、時間なんて関係なく振り回される。
 
一人目のときは、それでもまだ余裕があった。
二人目の子どもを生んだ時、その振り回され方はマックスとなってしまった。
 
下の子が生まれたときは、上の子はちょうど第一次反抗期真っ最中の時期。
アレルギーの強かった上の子の食事や体調管理、仕事をしながらの子育ては、自分の想像をはるかに超えて大変だった。
 
自分の時間がほんの少しも存在しないということが、どれだけストレスを抱えることなのか、自分の意思で動けないということがどれほど苦しいことなのか、子育てを通して知った。
 
子どもたちは、よく泣く子だった。
上の子は、一度泣き出すと癇癪を起こし、それにつられて、下の子も火が付いたように
大泣きをする毎日。
 
これが繰り広げられる日常は、私の心に誤作動を起こしはじめた。
 
箸をまだうまく使えなくて、食べ物を床に落とした長男に対して「何してんのよ!本当にあんたはバカね!」と怒鳴り声をあげた。
 
落とした食べ物を拾って、口に入れた長男に「一度落としたものを口に入れるな! バカ!」と叫び、長男の口を無理やり開けさせ、中のものを吐き出させた。
 
この時を境に、ずっと溜め込んでいたイライラが、ほんのちょっとした出来事で噴火するようになってしまった。
 
噴火を許してしまった火山は、真っ赤に燃えたぎる猛獣だ。
内側に溜め込み続けた怒りのエネルギーは、燃え尽きることなく燃料をそこに注ぎ続ける。
 
日常の中にある些細なことであっても、心がすさんでいるときには、敏感に反応してしまい、小さな発火にもわざわざ油を注ぎ、大爆発をしたがるようになっていった。
 
その矛先は、立場の弱い子どもたちに向かってしまう。でも、人って悩みが深くなってしまうと、周りの人に相談もできなくなってしまうものなのだ。
 
こんなにも日常は怒りにまみれ、こんなにも泣きたいくらい辛い毎日なのに、家から一歩
外に出ると「優しいママ」の仮面をかぶり、ニコニコと人当たりの良い「優しいママ」の仮面をかぶり、その役柄を演じてしまっていた。
 
優しいママ仮面は、社会とのつながりを切らないための細い糸だ。
 
「ママ友」という小さな社会での自分の立場を失ってしまったら、もうこの世には自分の居場所がなくなってしまうような気がして、その細い糸が切れてしまわないように、いつも見張っていないといけないのだ。
 
子育て中の一番の辛さは、社会との関わり合いが薄くなり「こんな自分は、この社会に必要のない人間なんじゃないか」と思ってしまうことなのだ。
 
だから、唯一のつながりである「ママ友社会」にいられなくなってしまうことのないように
「優しいママ」の仮面を磨くことに一生懸命になってしまっていた。
 
その表面に見せている仮面の裏では、今にも泣きそうな顔を隠し、子どもを連れて毎日公園に行くのだ。ニコニコ笑顔で挨拶をし、ママ友の子どもたちにも優しい人に映るように言葉がけをする。
 
ママ友の社会は、ああ見えて弱肉強食の世界だ。
 
表面的には、仲良く楽しそうに振る舞ってはいるが、その社会での、ボス的な存在のママのご機嫌を損ねては自分の居場所がなくなる。
 
そのボスママの逆鱗に触れると、もうライオンに首根っこをつかまれて、あとは殺される運命のウサギのように、弱い小動物と化すのだ。
 
そうなると、もうその地域では生きていけない。子どものためにもそれだけは避けたい。
 
そう強く思ってしまった私は、仮面の裏の泣きそうな表情など絶対に見せることなく、周りの人たちのご機嫌を取りながら生きるしかなかった。
 
こんなにも泣きそうなのに、今にも折れそうなのに、誰にも助けを求められない。
自分がダメな母親であることを認めたくなくて、人にも相談できなくなっていった。
 
そして、その反動は、家庭という小さな箱のなかで噴出するのだ。
 
外でいい人をやった反動が、家という箱の中に入ったとたん、さっきまでの仮面がいとも
簡単に剥がれ落ちる。
靴の脱ぎ方がダメだ、手を洗った後の洗面台がびしょびしょだ、そんな出来事をきっかけに溜まっていた感情は放出を始める。放出し始めたら、またそこに油を注ぎ、いつでも爆発できるようにスタンバイする。
 
そんなときに、上の子が下の子の持っていたおもちゃをつかみ取って、下の子が大声で泣きだした。
 
「いい加減にしなさい!! なんで、いつもいつもそんなにバカなことばかりするの!!」
 
もう、我慢の臨界点を超えて大噴火だ。怒りが頭上を突き抜けて炎を上げた。
 
上の子もバカ! 下の子もバカ! みんなバカだ!
旦那だって、仕事だ、仕事だって言って逃げてばかりの大バカだ!
誰も私の気持ちを理解してくれる人なんていないんだ。
 
わたしの中の何かが、プツっと音を立てて切れてしまった。今まで溜めに溜め込んだ我慢が溢れてしまい、大泣きしている次男の隣で、同じくらいの大声を上げて、泣いた。
 
大人になって、こんなに泣くことなんてあっただろうか。
子どものようにしゃくりあげながら泣く自分を止められなかった。
 
そんなとき、5歳の長男が泣いている私のところに駆け寄ってきて、私を抱きしめてきた。
そして、その小さな手を私の背中に回し、トントンと背中を叩くのだった。
いつも、私が子どもたちを寝かしつけるときにそうやるように。
 
こんなダメな母親なのに、一生懸命に今、自分のできることを差し出してくるのか。
 
その小さな手のぬくもりに、溢れんばかりの愛を感じた。
それと同時に「なんで子どもに優しくしてあげられないのか」という自分を責める声が聞こえてきて、その溢れんばかりの愛を、受け取れない自分がそこにいた。
 
「やめてよ!! バカ……」
 
また、涙を止められなくなった。
でも、さっきよりは心は少しだけ軽くなっていた。
 
久しぶり過ぎるくらいに大泣きした私は、疲れてしまったのか、その後の記憶がない。
気が付いたら、私の右には長男。左には次男がいて、三人で川の字になって寝ていた。
 
そうか、私は泣きたかったのだな……。
 
子どもって、親のつけている仮面の裏にある「本当の顔」を引き出す天才なのだ。
それを「出してもいいんだよ」って教えてくれる。
 
いろいろ、手を変え品を変え、親の私の「泣きたい」を引き出すための作戦をやっているだけなのかもしれない。
 
子どもの寝顔は、本当に天使のようだ。
さっきまで、子どもに対してはらわたが煮えくり返るくらい怒り狂っていたくせに、その寝顔を見たら、なんだか幸せな気持ちが湧いてきた。
そして、さっき長男に私がやってくれたように、子どもたちの背中をそっとトントンとしてみた。
 
そのあどけない寝顔に向かってこう言った。
 
「ごめんね」

 

 

 

子育ては、ある意味、戦争みたいなものだ。
やるか、やられるか、みたいなひっ迫した気持ちになってしまう。
そんな気分になっているときは、言うことを聞かない子どもたちは、本当に悪魔のように
見えてしまう。
 
でも、子どもの視点からみたら、怒り狂っている大人のほうが、どう考えても大悪魔に
見えるだろう。
 
それでも、そんな大悪魔にも愛の手を差し伸べようとしてくる姿は、文字通り「天使」なのかもしれない。

 

 

 

15年ほど前、私が大悪魔だったとき、溢れんばかりの愛を与えてくれた長男も、もう成人し、社会人となった。
 
二十歳になったとき、長男が私にハンカチをプレゼントしてくれた。
そのハンカチのと一緒に入っていた手紙にはこう記されていた。
 
「お母さん、二十歳まで育ててくれてありがとうございます。無事、成人を迎えられました」
 
こういうのって、なんとも表現しにくい気持ちになる。
 
嬉しい気持ちと、ちょっと寂しい気持ち。
解放されたような喜びの気持ちと、自分がやることを奪われてしまったような虚無な気持ち。
 
いろんな気持ちがグルグルして、涙が溢れてくる。
でも、やっぱり嬉しい気持ちが勝っているかな。
 
「お礼なんて言わないでよ……。 バカ」
 
バカって、嬉しいときにも使えるんだな。

 

 

 

私の方こそ、こんなに未熟な母を選んでくれて、ありがとうございます。
無事に大人になってくれて、ありがとうございます。
 
元気に大人になってくれることが、何よりもの親孝行なのだな。

 

 

 

今、子育て真っ最中で、子育ての大変さに四苦八苦しているお母さんたちに伝えたい。
 
子育ての大変な時期には、子どもは悪魔に見えるし、自分も悪魔みたいになってしまうこともある。そうなってしまっている時期は、その時間が一生続くような真っ暗闇に見えてしまうのだ。
 
でも、その時間は、あっという間に過ぎ去っていく。
その大変さには終わりがあるのだ。今振り返ってみれば、ほんの一瞬の出来事だ。
 
そう考えたら、目の前の大変さも、少しは気楽に見えてくると思う。
 
今になって振り返ると、あのときの時間が、懐かしくて愛おしくて、人生の中でも最高に幸せな時間だったのだと気づくことができる。
 
あのときの人間できていなかったバカな自分も、バカな出来事も、最高に楽しい思い出になってくる。
 
何が正解か、なんて答えはないのだから。自分の思う正解を信頼して進んでいけばいい。
 
きっと、10年、20年たってから、昔を振りかえって「あの時の悪夢のような日々も宝物だったな」って笑って言える日が来ると思うから。
 
バカな自分、バカな母親、バカな子どもたち、愛すべき人たち、万歳!
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松本さおり(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

心理セラピスト
心理学やタロットを通して自分を知り自分と仲良くなる方法を伝えている。言葉の使い方、言葉の持つ可能性を広げるためにライターズ俱楽部に入部。言葉の持つ力をもっと活用できる人を増やしていくのが目標。

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2021-02-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol,113

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