週刊READING LIFE vol.125

わが家で語り継ぎたい「Mさんの法則」《週刊READING LIFE vol.125「本当にあった仰天エピソード」》


2021/04/26/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「あの~、すみません、Mさんですよね」
 
不意にそう呼びかけると、その男性はサングラスをかけた顔をうつむきかげんにしながら、小さな声で「はい、そうです」と答えた。
プライベートのシーンで、ファンから声をかけられて、戸惑っているという空気がひしひしと伝わってきた。
今から10何年か前の、ハワイはビーチウォークにあった、ある画廊での出来事だ。
 
私には、3学年上の兄がいる。
兄は、高校時代から音楽に没頭し、家では勉強よりもギターを弾いている時間の方が長い人間だった。
友だちとバンドを組み、休みのたびに活動をしていた。
兄の部屋に友だちが来ると、私や妹も交わって、ギターに合わせてみんなで歌を歌ったり、楽しい時間を共有したりもしていた。
そんな兄は、大学卒業後、一般企業での仕事を1年やったのち、音楽の世界へと入っていった。
ライブハウスでの演奏などもやっていたが、この世界で食べてゆくには才能の限界を知り、同じ音楽業界でも裏方の道に進んだ。
関西ではなかなか仕事がなく、上京することになった。
大阪での音楽関係者のつてで、東京のある音楽事務所での仕事が始まると、あるヘビメタバンドの担当になり、ライブハウス活動のため、全国を回るようになった。
関西の地元に来る際には、私も妹と一緒にライブハウスを訪れ、兄の活動を応援していた。
 
それからしばらくして、兄はすでに売れていた「T」というグループのマネージャーとなった。
当時、大阪球場でコンサートをするほどのビッググループだった「T」。
そのコンサートにもお邪魔したが、熱量のすごさに圧倒された。
やっぱり、売れているグループのエンターテインメント性は素晴らしいし、ファンの方の迫力も目を見張るものがあった。
 
ところが、兄の希望は、もう出来上がった、売れているグループではなくて、これから売り出す新しいアーティストにつくことだった。
そんな中、兄の勤める音楽事務所から、ある男性ロックユニットを売り出すこととなった。
今では、世界でも認められるようになった、そのユニット。
そのアーティストの誕生に兄が携わることとなったのだ。
 
当初、マネージャーは兄一人しかいないので、移動時の車の運転から、スケジュールの管理から、何でも全て兄がやっていたようだ。
大阪でのコンサートは、最初、大会場ではなく、中ホールのようなところからのスタートだった。
それでも、ユニットのMさんのギター技術は格別で、ヴォーカルのIさんはセクシーな声質が印象的で、私自身もファンになっていった。
彼らの音楽性はすぐさま頭角を現し、見る見るうちに大きくなっていった。
 
最初は、コンサートチケットを兄に取ってもらっていたのだが、だんだん、それもかなわなくなっていった。
何よりも、大阪に来てホテルに滞在している兄から、チケットを受け取ることができなくなったのだ。
当時、携帯電話もなく、ホテルを通して連絡をとっていたのだが、ファンが宿泊ホテルをつきとめ、電話連絡をするケースもあるので、取り次いでもらえなくなったのだ。
売れることによる、様々な問題もあったようだが、何よりも彼らの音楽性は素晴らしく、世の中の多くのファンの方たちを魅了する、素晴らしいアーティストとなっていった。
兄としては、希望通り、新しくアーティストを育ててゆくという夢が叶い、忙しく仕事ができる時期にはいっていた。
 
そんな時、実家の父が亡くなった。
ガン体質で、何度も繰り返しガンを患っていた父が67歳で亡くなった。
関西の実家でとり行う葬儀に、兄の担当していた「B」のメンバーは参列してくれることになった。
それは、とても大変なことで、彼らの専用車をスタッフが東京から走らせ、彼らは新幹線で大阪入りをしてくれた。
そこから専用車で、実家に向かい、通夜の席に参列してくれたのだ。
テレビで見る、華やかな二人は、そこではとても寡黙な青年だった。
とても礼儀正しく、控えめな態度が印象的だった。
仕事の面では成功し、各方面からの高い評価ももらい、華々しい世界にいながらも、常識的な一般の精神を保っている彼らは、素晴らしいと思った。
何よりも、あんなにも忙しいスケジュールの中、マネージャーの父親の葬儀に、わざわざ参列してくれるお二人には感謝しかなかった。
そうそう、メンバーのIさんに関しては、わざわざお父様からもお手紙とお香典をいただいた。
そこに書かれていた文章は、このような弔いの際にかける言葉として、素晴らしいものだった。
こんな手紙が書けるIさんのお父様、さらには、マネージャーの父親の死を、ご自身の親にも告げるIさんの姿勢にも感動したものだ。
そんな、たくさんの人からの思いをいただいて、父の葬儀は無事にとり行われた。
私は、ますます兄の担当する「B」を好きになったし、彼らの放つヒットソングはとどまるところを知らなかった。
 
勉強が嫌いで、高校時代から音楽にのめり込んでいた兄も、東京で家庭を持ち、仕事も順調なことに、妹としてもとても嬉しかった。
 
私自身は、子育てに専念し、それなりに充実した日々を過ごしていた。
その成長した娘と、私はよく海外旅行に行くようになった。
夫の会社を手伝いながら、娘の休みに合わせて二人でよく出かけたものだ。
時には、実家の母も加わり、女ばかりの旅は気遣うこともなく楽しいものだった。
海外、とくにハワイがお気に入りで何度も訪れたのだが、私たちには楽しみがあった。
 
それは、娘と一緒に、とっかえ、ひっかえ、おしゃれを楽しむことだった。
日本から、ハワイでのスケジュールに合わせて、その日に着る洋服を考え用意していったのだ。
今日は、イルカと泳ぐツアーに行くから、このカジュアルな洋服。
今日は、美味しいディナーを頂く日だから、このワンピース。
そんな具合に一日のうちでも、何度も着替えるくらい楽しみなこととなっていた。
だから、毎回の旅行では、スーツケースは洋服などでパンパンになっていた。
それでも、ハワイで過ごす時間、お気に入りの洋服やアクセサリーでおしゃれをすることがすこぶる楽しかったのだ。
 
そんなある時のハワイでのこと。
明日、帰国するという夕刻、せっかちな私はスーツケースのパッキングをほぼ終了させたかった。
お土産も加わり、スーツケースの荷造りには工夫が必要だった。
なので、洋服は先に詰めてしまい、総量を見極め、最悪、追加でバッグを購入しなければいけないからだ。
最終日の夜はどこへも出かけず、荷造りに徹するのが常となっていた。
 
その時の旅行の最終日、だいたいのパッキングの目途がたったのが割と早い時間で、思ったほどの時間がかからなかった。
なので、最後に娘と近くのショッピングモールをぶらぶらすることとなったのだ。
娘が大好きな画家の作品がある、ある画廊へと足を運んだのだ。
 
すると、どこかで見かけた男性が先にいたのだ。
その横顔でピンときて、気づいたら声をかけていた。
彼は、ご家族でハワイに滞在中で、別荘に飾る絵を探していたようだった。
そんな、いきなり声をかける一ファンに対してとまどう彼に、私は言葉を足した。
 
「以前、マネージャーでお世話になっていた〇〇の妹です。いつかは、父の葬儀の際、ご参列までしていただき、本当にありがとうございました」
 
そんな内容を話すと、彼の表情が変わった。
 
「ああ~、〇〇さんの妹さんですか。お世話になっております」
 
そんな、お世話になっているのは、こちらの方なのに、なんて素敵な人なんだ。
そして、側にいた奥様、お子さんたちも、あいさつに来てくれたのだ。
こんなに売れっ子のアーティストなのに、ご家族皆さんもとても丁寧で礼儀正しく、派手なところが全くないのだ。
ますます、彼らのユニットの素晴らしさは、その音楽性だけではなくそれぞれの人間性からも生まれているんだな、と確信した。
そして、ご挨拶を終えると、それぞれが絵を楽しんでいたのだが、Mさんご家族が先に画廊を立ち去るとき、わざわざ「お先に失礼します」と声を掛けに来てくれたのだ。
もう、素晴らしすぎて感動した。
 
ところが……。
 
ところが、だ。
 
私の姿と言ったら……。
翌日の帰国のための荷造りで頭がいっぱいで、最終日のハワイを満喫することを捨てていたのだ。
いわゆる、「部屋着」のような、しかも少々くたびれた、テロテロのどーでもいいようなものを着ていたのだ。
あんなにも、おしゃれに過ごしたハワイのバカンスだったのに、よりによって、そんなハワイで、あのMさんに遭遇するときに、こんな格好だなんて、悲しすぎる。
人生、一体、いつ、何が起こるかわからないとはよく言うが、この時ほどそう思ったことはない。
さらには、いつも、ちゃんとやっていても、気を抜いたときにボロが出るものだ。
常に、意識を高く持って、どんな時間も自分の心地よさを持つことを大切にしたいものだ。
 
そんな反省を込めて、わが家では「Mさんの法則」と呼んでいる。
 
まさか、あの兄がお世話になった、父の葬儀にも参列してくれた、日本を代表するアーティストと、ハワイのビーチウォークで出会うなんて、誰が想像できよう。
ああ、ホント、Mさん、私、さっきまで素敵な洋服でしたのよ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2021-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.125

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