週刊READING LIFE vol.125

こんな部屋には住めないと思った話《週刊READING LIFE vol.125「本当にあった仰天エピソード」》


2021/04/26/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
その日、会社が斡旋した不動産業者が物件を案内してくれるというので、私は数人の同僚達と一緒に、とある賃貸マンションに来ていた。
 
地上40階位まである高層マンションで、外観はなかなか立派だった。地下鉄の駅前にあって、立地条件は文句ない。敷地内にはコンビニやクリーニング店等があり、中央にはプールまである。緑もほどよく配置され、散歩も楽しめそうだ。私にとって、中国で賃貸マンションに住むのは初めての経験だった。しかし、そこは家賃の高い外国人向けの部屋というわけではない。事前に色んな噂話を聞いていたので、正直言うと期待よりも不安の方が大きかった。それでも、敷地内の雰囲気は良かったし、案内された部屋の間取りはひとりで住むには十分な広さだった。備え付けの家具類もこぎれいだった。
 
「皆さんに紹介する物件は、大体同じ間取りです。ただ、それぞれ部屋のオーナーが違うので、内装は違います」
不動産業者はそう言うと、リビングからベランダへ出るガラス戸を開け、私たちを呼んだ。
「ここがキッチンね」
 
なに? ベランダを挟んだ外側にキッチン?
私と同僚は思わず顔を見合わせた。
 
ベランダには窓がついているタイプの部屋もあったが、窓が無いタイプの部屋もあった。窓が無いと、雨風が直接入ってくる。ベランダとはいえ、一旦外に出てキッチンに行くなんて、かなり変わった間取りだ。後から聞いた話だが、この地域は油と香辛料を使う料理が多いので、においや油汚れを避けるために、キッチンを外側に出す間取りにしているそうだ。
 
「キッチンが外なんて、夏は暑いし冬は寒いし、外からほこりも入ってきそうで、やだな。まぁでも、そんなに自炊もしないから、いいか……」
そう思ってリビングに戻り、次にトイレを見に行く。
 
事前に聞いていた通り、トイレと洗面台とシャワーが、タタミ3畳位の同じ空間に存在していた。そして、トイレとシャワー、洗面台との間には、なにひとつ「境界」が無い。つまり、シャワーを浴びたら、トイレにも洗面台にも水がかかって、ビショビショになる。おまけにシャワーとトイレがものすごく接近しているのだ。
 
シャワーカーテンを買ってきて吊せば、大部分の水はねは防げるが、床は地続きだから水浸しになる。だから浴用スリッパを履いてシャワーを浴び、その後はモップで床を掃除しなければならない。
 
「やっぱりトイレはこういう感じだったか」
私は同僚と言葉を交わしながら、ちょっと気が重かった。トイレのすぐ真横で体を洗うということがイメージできなかった。せっかく体を洗っても、その後にまた床掃除をするのも面倒な話だ。毎日のことなので、これからのことを思うと気が滅入った。
 
とりあえず早くシャワーカーテンとカーテンを取り付けるポールを買わないといけない。そうじゃないと、落ち着いてシャワーを浴びることもできないなと、頭の中でボンヤリ考えていた。
 
それから数日後、同じマンションに住む予定の他の日本人同僚達もそれぞれ住む部屋を決め、彼らから色々な情報が入ってくるようになった。
 
「トイレを洋式に改造する工事が終わったっていうから、今日見に行ったんだけど、よく見ると、どこにも排水口が無いことに気づいてさぁ。これじゃシャワー浴びれないじゃん。皆も排水口が有るかどうか、確認した方がいいよ」
「マジか! 明日確認しに行くわ」
「うちは今日見たけど、ちゃんと排水口有ったわ。ひょっとして、元々の和式タイプのトイレが排水口を兼ねてたんじゃないの?」
「ええっ! そういうこと?」
 
そんなやり取りがあった数日後、排水口ができたというので、試しに水を流して確認してみたそうだ。すると、排水口の方へは一向に水が流れてこない。でも、なぜか水は溜まらない。
 
「おかしいなと思ってよく見たら、元々設置されていた和式タイプの便器の上に洋式便器を置いただけでさ、床と便器との間の隙間を塞いでいたシール材の一部を切って、そこに水が流れこむようになってたんだよ。なんかもう面倒くさいし、これでいいや」
「でもそれ、もしもトイレが詰まったら、大惨事の予感がするけど……」
 
その数週間後、案の定流れが悪くなり、結局抜本的に改造することで決着した。
 
とにかく色々な事がスムーズには運ばなかった。
 
給湯器が作動しない、お湯が出てもすぐ水に変わってしまう、テレビをつけようとしたがリモコンがどこを探しても無い等、日本では考えられないようなトラブルが続いた。私の部屋も給湯器の排気配管が破れていたり、空調のコンセント形状が合わないまま放置されていたりと、散々だった。修理を頼んでも一発では直らない。一度現場を見に来て、それからまた道具を持ってやって来るという感じだった。効率悪いことこのうえない。
 
さらに、言葉の問題もあって、なかなかこちらの意図が伝わらない。そんな私たちに代わって、日本語のできる中国人同僚達は親身になって助けてくれた。強い口調で不動産業者に物申し、こちら側の要求をはっきりと伝えてくれた。
 
それでも、何につけてもいちいち壁が立ちはだかる感じで、最初は心が折れそうだった。でも、「日本ではこんなこと絶対に無いのに」と思ってみても仕方がない。ここは日本ではないのだ。
 
「~してくれない」と相手に期待するばかりでは、不満が募る。それよりも、今の状況でどうすれば少しでも快適に暮らせるのかを考えよう。そう頭を切り替えていくと、次々と起こるトラブルも、「きたきた。今度は何かな?」とちょっと楽しくなってくるから不思議だ。
 
私の部屋も、シャワーの温水が出なかった。給湯器に問題はなかったけれど、水量が足りなくて、シャワーを出しても給湯器が作動しないのだ。水圧を上げて欲しいと管理人に頼んでもあまり期待できない。
 
どうしようか?
 
シャワーと洗面台のお湯は、給湯器から同じ配管で繋がっている。ならば、洗面台のお湯とシャワーと両方出してみればいいのではないか? と思いついた。
 
試しに洗面台のお湯の蛇口を開け、ちょろちょろとお湯を出しながらシャワーを出すと、ベランダの方から「ボッ」と給湯器の点火した音が聞こえた。
 
シャワーの水量は十分ではないけれど、体を洗えないほどではない。それ以来、シャワーを浴びる時には、最初に洗面台のお湯を少し出してから浴びるようにした。他の同僚達も、ちょうどよい温度のお湯になる蛇口の開度等を研究したりしていた。
 
水回りは特にトラブルが多く、トイレの詰まりも度々起こる問題だった。トイレの詰まりは本当に憂鬱な問題になるので、できるだけ起きて欲しくないトラブルだ。
 
一般的に中国のトイレは使用済みの紙は流さず、備え付けのゴミ箱に捨てる。トイレットペーパーが水に溶けない、水洗水の水圧が弱い等の理由で詰まりやすいからだ。
 
でも自宅のトイレでは、やはりトイレットペーパーは流したい。そういうわけで、トイレに流せる日本メーカーのトイレットペーパーを購入し、何cm使ったら1回流すというような「条件出し」を、各自が工夫して対応していた。
 
それでも詰まる時は詰まるのだ。その中で、ちょっと心温まる話があった。
 
同僚の部屋のトイレが詰まった時のことだ。もともと水流が弱くて流れにくかったのだが、ある日ついに詰まってしまった。ラバーカップでパコパコやっても埒が明かないため、業者に連絡して来てもらうことになった。
 
しばらくすると業者がやって来た。手にはラバーカップを持っている。いや、あのパコパコはもう何回もトライしてダメだったから来て欲しいと頼んだのに……。もっとすごい専用の道具で対応してもらえるとばかり思っていた同僚は落胆した。
 
でも腕が違うのか、何度かパコパコしたら流れるようになり、問題はあっさり解決した。同僚はお礼を言って業者を見送った。しばらくすると、ドアのチャイムが鳴った。見ると、さっきの業者が立っている。
 
「あれ? 何か不都合な事でも有ったのか」と恐る恐る扉を開けると、その業者は何かを告げながらゴミ箱を置いていったそうだ。
 
どうやら、「詰まるから紙は流したらダメだ」というような事を言っていたらしい。そして、同僚のトイレにゴミ箱が無かったのを見て、わざわざ買ってきてくれたのだ。
 
トラブルは起きないに越したことはない。けれども、中国でのこうした体験を経て、日本の施工品質やサービスの素晴らしさを実感する一方で、これまでの私には「与えられてばかりいる環境」への甘えみたいなものがあったのではないかとも感じた。自分にとって最低限必要なことは何か? それが与えられるのを待つのではなく、自分から取りに行き、今できる最善を尽くす。そうやってトラブルを乗り越える度に、たくましくなっていけたと思う。もちろん、一緒に悩み、相談できる仲間の存在があったからこそ、乗り越えることができたのだけれど。
 
何でいちいちこうなのかと腹立たしく思うこともあったが、私たちの代わりに改善を要求してくれたり、わざわざゴミ箱を買ってきてくれるような中国人の優しさにも救われた。彼らも、困っている私たちの前で何とか最善策を考えて行動してくれていたのだ。
 
日本に帰ってきてから、もう1年が過ぎた。今住んでいる家は、もう17年になるけれど、お湯が出ないとか、排水が詰まったとか、水が漏れた等というトラブルは一度も起きたことはない。今まではそれは普通のことだと思っていた。でも今は違う。それは決して当たり前のことではないのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
20年以上の会社員生活に終止符を打ち、2020年に独立。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からライターズ倶楽部参加。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人の背中を押せる存在になることを目指している。

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2021-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.125

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