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週刊READING LIFE vol,98

パンツの番人《週刊READING LIFE vol,98「 私の仮面」》


記事:なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
僕の家にはパンツの番人がいる。そいつは決まって夜現れる。僕がお風呂に入る時、シャワーを浴びる時。決まってそいつは現れる。そいつは僕の行く手を阻む。着替えを用意する僕の前に立ちはだかる。そいつはいつも違う形で僕を翻弄し邪魔をする。面白いけどさ。さっとお風呂に入りたい僕の邪魔をする。
 
多分夫はそう思っているだろう。何のことかって? 私は僕である夫がお風呂に入る時の下着の準備に決まって割って入ることをモットーとしている。お風呂に入る前、シャワーを浴びる前に夫は私に告げてから行く。そして上がった後も上がったことを教えてくれる。
 
それは結構な確率でドラマを見ている時。私はテレビが、ドラマが好き。片手間で見ることができない。いつの間にかのめり込んで、一言一句聞き漏らすまいとする。そんな時に夫から「お風呂入ってくるね~」「上がったよ~。入ってね」という言葉が入ってくる。勘弁してよ。今のこののめり込みを遮らないでよ、と思う。こっちものんびり「は~い」とか言えたら可愛い妻なんだろうけど、残念ながら私はそういった度量を持ち合わせてはいない。ドラマの空気感を害されたことに腹が立ってくる。せめてCMの時に声を掛けてくれればいいのに。
 
その苛々が募ってしまい、一度夫にテレビを見ている時にあまり声を掛けないで、と言ったことがある。結構尖った口調で言ったためか険悪な空気になってしまった。以降夫は私がテレビを見ている時は声を掛けなくなった。
 
ある時1時間のドラマを見た後に、別のドラマを更に1時間見続けた時のことだ。つまりは21時から23時まで見ていたことになる。そう言えば今日はお風呂報告がないな、と思い別部屋の夫に声を掛けた。すると、「ドラマ見てたからそっちに行かない方がいいと思って」と言う。そっちに行かない、イコールまだお風呂に入っていない、に繋がる。というのも、私がテレビを見ていたのが寝室で夫がいたのが居間だった。寝室に夫の着替えや下着は置いてある。夫はお風呂に入る時にそれらを用意してから入る。ドアを開けたって別にいいのに、と思いながら、私はそんな威圧的な空気を作っていたのか、と反省した。
 
とはいえ、ドラマは見たい。見始めるとどうしても集中してしまう。再度話し合いをする。できればCMの時に声を掛けてほしいと伝えたところ、ドラマを見たことがほとんどないからよくわからない、と言われた。そう言えば夫はテレビを持っていなかった。結婚する時に私が使っていたテレビを持ってきた。その後もテレビを見るのは私が大半で夫はほとんど見ない。たまに夫と一緒にテレビを見ていてもCMに変わったことにあまり気づかない。それにCMになる時間はドラマによって少しずつ違うし、別部屋にいたら分かるわけないか。
 
さてどうしようか。私だって苛々したいわけじゃない。苛々したっていいことなんかないし、そんなことで夫とギスギスするのも嫌だ。でも、ドラマを見始めるとどうしたってのめり込む。その世界に浸る。ドラマの最中に声を掛けられても夫に苛々しない方法……。
 
ドラマを片手間に見られるようになれれば多分それがいいんだと思うけど。ちょっと難しそうだ。それならCMの時にあえてテレビから離れてみようか。
 
CMになったらテレビから離れることを念頭に置いてドラマを見始める。CMになった。こともあろうに見たことのないCMだった。実はCMも好き。見たことのないCMはドラマ同様に見入る。そうしているうちにドラマの続きが始まる。駄目だ。離れられない。
 
ところが翌週、同じドラマの途中のCMでテレビから離れることができた。前回と同じCMが流れたのだ。これは見たことのあるCM。これならテレビから離れられる。テレビをつけたまま夕食の時の食器を洗いに行く。CM時間は約2分。2分では数枚のお皿を洗って終わる。食器洗いは途中になる。ドラマに戻る。そしてまたCM。これも見たことのあるCMだった。途中だった食器洗いの再開。これを3回ほど繰り返した。
 
CMの度に忙しい。でもなんだか楽しい。今までドラマの時間1時間はドラマにのみ集中していた。そしてその後に食器を洗う。それがこの日は、ドラマと食器洗いが同じ時間内に行えた。とても気持ちがスッキリしていた。そしてドラマを見ながらも適度な気分転換が、適度に違う空気が私の脳内に流れたことでいつもとは違った時間になった。この感覚なら途中でお風呂報告が来ても大丈夫かも。
 
でも一つ問題があった。CMの時限定だということ。CMの時に今ならお風呂入っていいよ、と私から夫に伝える? それはお風呂時間の強制になる。夫も他のことをしているし、その区切りがドラマの区切りと一致する確率は低いだろう。じゃあどうする?
 
何も思いつかないまま、見たことのあるCMの時限定だけど、その時間にテレビから離れることをしばらく続けてみた。するとだんだん、ものすごく集中しなくてもドラマを見られるようになってきた。片手間ではないけれど、適度に入り、適度に気持ちを抜いて見られるようになってきた。もしかしたらドラマの最中でも大丈夫になったのかも?
 
試しに夫に実験をお願いしてみた。ドラマの最中にお風呂宣言をしてもらった。やっぱりだめだ。前ほどではないけど、ドラマとは違う声が飛び込んでくることにイラっとする。
 
ある時テレビを見ていない時にいつものお風呂の報告が来た。テレビを見ていなければ全く苛々しない。それどころか、夫の着替えの準備を手伝いたくなった。寝室にある引き出しからお風呂に入った後に着るシャツとパンツ、パジャマを渡す。あら、なんだか私、いい奥様って感じじゃない? なんだか気持ちが良かった。これをドラマの最中でも大丈夫になればいいのに。
 
まてよ。今の感覚をインプットしておけばいいんじゃない? 今の感覚を仮面の様にしてドラマの時に自分の顔に貼っておけばいいんじゃない?
 
今なら、ドラマを適度に落ち着いて見られるからできるかもしれない。夫に今後はいつでもお風呂報告してもいいことを話した。そしてシャツとパンツとパジャマを出して渡すようにした。
 
始めはきつかった。CM開けの直後だったり、クライマックスの逃したくない台詞のシーンだったりとタイミングが合わなくてきつかった。前ほどではなくても、このままだとストレスが溜まる一方だ。その内に仮面だって割れてしまう。そしたらまた険悪になるかもしれない。それは避けたい。
 
ただ渡すだけでは駄目だ。何かこう、面白くないと。
 
面白くないと? 私はこの着替えを渡す儀式の様なものを面白くしたいのか? 面白く、面白く……。
 
夫はシャツとパンツをクルクルと筒状に畳んでしまっている。この筒状を何かに表現できないか。片手で持ってみる。リレーのバトンのようだ。この日は「アンカーを務めるのは○○選手、今バトンが渡りましたーーー!」と夫の名前を言って渡してみた。夫はびっくりしていたけど、なんだかこれ面白い。ドラマを邪魔されたことのちょっとした発散にもなっていた。
 
次の日は、クルクルした筒状を解いて「表彰状、○○殿。あなたは~」と言って賞状の様に両手で渡してみる。またもや驚きながらも乗ってくれた。やっぱり面白い。
 
その次の日は、シャツとパンツを抱え込みしばらくそのままの状態でいる。そして「温めておきました!」と言ってどこぞの猿の様に渡す。夫はうむ、と言いつつ「今からお風呂だから冷めちゃうよ」「それもそうだね~」と言いあって爆笑する。あれ、私、笑ってる。
 
こんなことを毎日続けてみた。すると、ドラマを遮られることが苦じゃなくなってきた。それどころか「お風呂入るよ~」の言葉がいつ来るのか待ち遠しくなった。シャツとパンツとパジャマの渡し方は毎日違う。似たものはあっても必ず違うものを混ぜている。
 
ちょっと疲れていて面倒だなと思っても、「お風呂に入る」というキーワードがあればスイッチが入るようになった。そのスイッチが入ると仮面の私が現れる。その時の即興でどうしたら笑いが生まれるか、面白がってもらえるか、自分が面白がれるか考えるようになった。その時間が過ぎるとまたドラマに熱中する私に戻る。そんな日々が続いた。
 
1日に1回は必ずお互い笑う、そんな感じで続けた。そうやっているうちに夫と話をする時間が増えた。私の考えを夫に話し、夫の考えを聞く、そんな時間が増えた。今までも普通には会話をしていたとは思うけど、その会話自体を楽しめるようになってきた。普段の会話にも笑いをそこここに挟めるようになった。
 
そうなると意識的に仮面をつけている時ではなくても、以前はつんけんした様な場面でもむしろ和やかに話せている自分に気づくことが増えてきた。私の仮面は、夫と心穏やかに接する、というものだったけど、心穏やかにするには、楽しむ、面白がる、ことが必要だった。
 
仮面は私に馴染んでいき、最近では一体化しつつある。仮面をつけている時の心の平静を保てるようになっている。始めに仮面をつける時に私はこの仮面を「パンツの番人」と名付けた。お風呂のなにがしかなんて可愛い名前ではなく、パンツの番人。夫にも「私はパンツの番人だから」と宣言した。そうすることで何をしていても私が夫の着替えを用意する、ここで会話を面白がる、という覚悟があった。名前だけでも面白くしなければ続かないと思った。そしてパンツの番人になることで苛々する心から離れることを望んでいた。それは考えていた以上の成果だった。
 
後日、夫にパンツの番人をどう思うか聞いてみた。その日による、という回答だった。時間がある時ならいいし面白い。でも他にやることがあって時間に余裕がない時はちょっと困る、とのことだった。今後の課題は夫の状況を見て、パンツの番人寸劇の長短を決めることだと分かった。
 
今ではパンツの番人にならなくても楽しく会話ができる。でもこの面白さ、パンツの番人は辞められない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都在住。2018年2月から天狼院のライティング・ゼミに通い始める。更にプロフェッショナル・ゼミを経てライターズ倶楽部に参加。書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている。

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2020-10-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol,98

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