炎天下「長岡大花火」の会場で屋台で「本」を売ってみた。〜用意した本は300冊、観客50万人。はたして本は何冊売れて、いくらの利益があったのか?〜《天狼院通信》
その会場は熱気に溢れていた。
世界的な建築家隈研吾氏がデザインした斬新な市庁舎前には、屋台が軒を連ねていた。
そこに、人が溢れていた。
買う人も、売る人も、ある種の熱狂の中にいて、買うことも、売ることも、祭りの一部に包含されているので、自然と財布の紐も緩むというものだ。
活気のある呼び声の元に、列が客の列が連なる。
「冷えたビールはいかがですかー!」
「冷たいかき氷はいかがでしょうかー!」
その声の中に、妙な掛け声が混じる。
「本はいかがですか?」
僕である。わかっている。場違いである。
8月3日、世に名高い長岡大花火の日に、僕がいたのは、長岡市の市庁舎前にできたフェスティバル会場である。
日本三大花火は、伊達ではない。
8月2日、3日が、今年は土日だということもあって、両日の延べ観客数は実に103万人にも及んだという。おそらく、3日だけでも50万人ほどはいたのではないだろうか。
その限りなく天文学的数値に近い、およそ想像がしがたい数を実感したのは、この後に向かった信濃川の河川敷でだった。
夥しい数の人が、満ち溢れていた。
「関ヶ原の戦い」は、東軍西軍合わせて軽く10万人を超えていたというけれども、50万人はそれ以上である。ただ、この写真をみると、案外、50万人は本当にいたのではないかと思えてくる。
とにかく、僕はその日、花火のちょっと前まで、50万人の多くが通った市庁舎前の屋台群の、しかも、一番の特等席に陣を布いていた。
少なくとも、数十万人は僕の前を通ったはずだ。数万人は間違いなく僕の「本はいかがですかー!」の声を聞いたはずだった。
インターネットのマーケティング的に言えば、インプレッション(表示)数としては申し分ない数であった。
そして、売っている商材としては、これ以上ない物を用意した。
数日前に発売されたばかりの、長岡大花火と伝説の花火師について書いた名作『白菊』山崎まゆみ著(小学館)である。大きなポスターも二枚用紙してもらった。当日、小学館さんと長岡市役所さんのご協力を得て、運び込んだ本の刷数は300冊に及んだ。
来る前に、皮算用してきた。
観客数は50万。その1000分の1が買ったとしても500冊は売れる。
もしかして、300冊では足りないかもしれないとも危惧したくらいだった。
また、こうも思っていた。それだから著者の山崎さんにも、小学館さんにもこうお伝えしていた。
「300冊完売か、あるいは、0だと思います」
ひとつ、熱狂的な波ができれば、「おれも、私も」と群集心理が作用して、一気にはける可能性があった。列になって応じられないということもあり得る話だと思った。
ただ、熱狂的な波を、形成することができなければ、全く売れないということもありうるだろうと思った。
予想は、悪い目として出た。
まるで売れなかった。
結果から最初にいってしまえば、用意した本の山から売れたのは、たったの10冊だった。
嫌な計算になるが、『白菊』は税込みで1,620円である。10冊の売上は16,200円である。
書籍の粗利がおよそ23%であるから、今回の利益は以下のようになる。
¥1,620×10冊×23%=¥3,726
もちろん、そこに行くまでに交通費や宿泊費がかかっている。
また、その会場に本を届けるために宅急便代もかかっている。
¥3,726の利益に対して、かかった出費はおよそ¥4,4000である。
ざっと、¥40,000円の赤字である。
僕の人件費と場所代がかかっていなくてこの数字ということは、商売が成り立たないくらいの大赤字である。
実は、売りだして10分くらいですでにこの数値の概数が頭の中ではじき出されていた。
これは苦しい戦いになるだろうと思った。
「どうぞ、本いかがですかー? 長岡花火の本、いかがですか?」
誰よりも一番いい場所で、誰よりも声を出していた。
けれども、
「冷えたビールはいかがですかー!」
「冷たいかき氷はいかがでしょうかー!」
「おいしい焼きトウモロコシはいかがでしょうかー!」
の声の方に人がごっそり持っていかれた。
それはそうである。
僕だってビールやかき氷や焼きトウモロコシが欲しいくらいだった。
近くではFM放送が生放送をしていて、沢田知可子さんなどがゲストで来ていたのだが、パーソナリティはこんなことを言っていた。
「ひえー! ついにここは43℃になりました!」
アスファルトからの照り返しを受けて、温度はどんどん上昇していた。
僕はテントを用意してもらったが、実はテントが熱を貯めていて、頭付近はまるでビニールハウスみたいに暑かった―はずだった。
なのに、僕は冷や汗をかいていた。
売れない。絶望的に売れない。
このまま売れなければ、大きな損になる。
勝負の8月なのに大きな赤字を計上しなければならないかもしれない。
しかし、僕は元来、悲観的な人間ではない。
どちらかといえば、楽観的な人間である。
もっといえば、どんな状況もプラスに捉えられる気質である。
そうだ、と思いついた。
もし、40,000円の赤字が出るのだとしたら、それを授業料だと思って、40,000円以上、ここで勉強して行こう!
そう頭を切り替えると、ここが何よりの実地の勉強の場であることがわかった。
花火会場ではなぜ「本」が売れないのか?
その理由をマーケティング的に徹底的に考えてみようと思った。
そして、売る方法があるかどうか、考えてみようと思った。
インターネット・マーケティング的にいえば、大量に目の前を通り過ぎる人々、発生したインプレッション(表示)に対して、クリック率(足を止める人の割合)がものすごく低かった。
クリック率が低いものだから、自然、コンバージョン数(売れた数)も少なかった。
これをリスティング広告などでは「クリック率・コンバージョン率が悪い」と表現する。
そもそも、僕は書籍を売ることに対して、理論をすでに完成させていた。
本を売るということを公式化すると、以下の単純な式になる。
インプレッション数×クリック率×コンバーション率(クリックに対するコンバージョンの割合)=コンバージョン数
これはリスティング広告とまるで同じ考え方である。
リスティング広告とは、検索に付随したインターネット・広告のことである。
たとえば、Googleの窓に「本」というキーワードを入れてみてほしい。
検索結果の上の方に、こんな表示が出てくるはずだ。
この上の2つの項目、Amazonさんとジュンク堂さんの行に「広告」という文字が黄色で浮かんでいるのがわかるだろうか。
これがリスティング広告である。つまり、Amazonさんとジュンク堂さんは、「本」というキーワードに対して、広告を出稿しているということになる。
このリスティング広告のコアとなってくるのが、先ほどの公式なのだ。
つまり、その広告が表示された回数「インプレッション数」に対して、何回クリックされたかが「クリック率」、どれくらいの成約があったかが「コンバージョン率(成約率)」であって、いかにクリック率、コンバージョン率を上げるかが、リスティング広告の肝となる。
これは、本を販売するのとまるで同じことである。いや、本だけではない。あらゆる販売にこれを応用して考えることができる。
本の前を何人通ったのか?
その中の何人が本を手にとったのか?
その中の何人が実際に本を買ったのか?
この3つの数値だけで、「本の販売」は成り立っている。
もう一度、さきほどの公式を振り返ってみよう。
インプレッション数×クリック率×コンバーション率(クリックに対するコンバージョンの割合)=コンバージョン数
これに本の販売に置き換えてみるとこうなる。
インプレッション数(本の前を何人通ったのか)×クリック率(その中の何人が本を手にとったのか)×コンバージョン率(その中の何人が実際に本を買ったのか)=コンバージョン数(実際に売れた本の数)
今回の場合、一番いい場所に販売場所があったので、圧倒的にインプレッション数があったことになる。
そして、実は本を手にとった人のおよそ75%が実際に買っているのでコンバージョン率も高かったことになる。興味を持った人のほとんどを、意地でも逃さなかった。
問題は、クリック率、つまりは通った人の数に対して本を手にとった数が圧倒的に少なかったことだ。
なぜ、長岡花火に来た人は、本を手に取らなかったのか?
そもそも、数万人という規模の大きな往来は、花火を観に来た人である。
それが大前提である。
極論を言えば、ここでゲームソフトを売っていたとしても、買うはずがない。
大前提にそぐわないからだ。
それでは、なぜ、ビールやかき氷は買うのだろうか。
それは、「花火を楽しむ」という大前提を、補完するために必要となるものだからである。
たとえば、それはパソコンを買いに行ってプリンターを買うようなものだ。
買うためのインセンティブが十分に担保されている。
今回僕が売ったものはどうだっただろうか。
上の例で言えば、「本」という商材は、ビールやかき氷よりは、ゲームソフトに近い。
ここに来ている人の大前提にはそぐわない。
しかし、今回の本は長岡花火を描いた『白菊』という作品だったということが、大前提をある程度補完する要素になるはずだった。けれども、決定的なインセンティブとまではならなかった。
ゆえに、クリック率が伸びなかったのである。
逆に、それなのになぜ10冊の本が実際に売れたのであろうか。
ここまで考えていくと、たとえ10冊でも売れたほうが不思議である。
それはこの本を買った人の類型を考えると見えてくる。
なぜ、買った人の類型までわかるのか?
僕が一人一人と十分に会話した後に販売したからだ。
「どこから来たのか?」
「長岡花火は観たことがあるのか?」
「今日はこれからどうするのか?」
全ての人に、これを聞いた。
類型としてある少年が特徴的だった。
その少年は、およそ、この本を買う類型とは思えなかった。
待ち合わせの間の暇つぶしで、本を手にとったのだろうと僕ははじめ推測した。
様子が違っていた。
「これ、面白いか」
完全にタメ口で話しかけられたものだから、さすがにちょっとむっとした。
というよりか、驚いた。
絡まれるのだろうかと思った。
けれどもすぐに、あるいは、と思った。
この少年、見た目は完璧に日本人だが、もしかして、外国人なのではないかと。
たとえば、中国か台湾、韓国から旅行に来た人なのではないか。
「私、話はできる。でも、これ読めない」
『白菊』をめくりながら、その少年は笑顔で言った。
しかし、読めないのならどうして、買おうか迷っているのか?
「お母さんが長岡出身で、僕はアメリカで生まれて、僕だけが従兄弟に会いに帰ってきている。お母さんに何を買っていくか迷っている。昨日観て、感動した。今日も、観る」
そういうことか、と腑に落ちた。
「食べ物だと、消えてなくなるでしょう。けれども、この本なら、残る。お母さんも喜ぶと思います」
そう言うと、笑顔でその少年は『白菊』を買って行ってくれた。
また、別の若い女性は関西弁だった。もう一人の女性の友だちと一緒に長岡花火を観に来たと言う。
今日がはじめてですか、と問うと、その女性は首を横に振った。
「昨日も観ました。今日もこれから観るんです。三年前から毎年来ているんです」
「はじめて観たとき、感動しましたか? 泣きましたか?」
「泣きはしませんでしたが、泣きたくなる気持ちはよくわかります」
「この本には、長岡花火が泣ける理由が書かれています」
少し迷って、彼女はこういった。
「私、これ、買います。帰りに読みます」
「ありがとうございます」
老夫婦がゆっくりな足取りでこちらに向かってきた。
本、いかがですか、というと、笑顔で立ち止まる。ゆっくりと本を開く。
「昨日、花火を見て、今日、これから新幹線で帰るんです」
ご婦人のほうが言う。
「よかったですか?」
「ええ、それはもう。このカバンに入るかしら」
と、肩から下げている小ぶりのバッグを開いてみる。
私が、持とうか、と旦那さんが言う。
「ううん、大丈夫、入りそう。それじゃあ、これください」
「ありがとうございます」
その日、僕が売った本は、たったの10冊だった。
けれども、その10組のお客様、すべてのやりとりを鮮明に覚えている。
たしかに、今回の商売はマーケティング的に見ると失敗だったろうと思う。
けれども、不思議と、ここで本を売ることで、いろんな人と触れ合うことで、かけがえのない体験をさせてもらったと思えた。
経営者の僕にとっては、300冊分のたったの10冊だったが、お客様にとっては、想いを込めて選んで買った大切な1冊であり、同時に一販売者としての僕にとっては、その販売したひとつひとつのストーリーが素晴らしい体験だった。
あの日買ってくれた10組のお客様は、すべて、すでに長岡花火を前日に観た人だった。
もしかして、今から花火に観に行く人の流れではなく、帰る人の流れに対して声をかけられたら、もっと多くの本が売れたのかも知れない。
たとえば、3日の午前中、長岡の新幹線ホームでなど売れたかも知れない。
炎天下、汗だくになった僕は一度、ホテルに帰ってシャワーを浴びて着替えてから、長岡大花火の会場に向かった。
19:00くらいに会場に着いた。
ここからは、一観光客だった。
一観光客としての長岡大花火体験については、以下の記事に書いた。
翌日、帰りの新幹線で今回のことについて振り返ってみた。
たしかに、10冊しか売れなかった。
経理上は、赤字だった。
しかし、本を売るとはどういうことなのか、真剣に考えるいい機会になった。
また、1冊1冊本を届けることの喜びを新たに噛み締めることができた、素晴らしい体験だった。
そして、何より、長岡大花火が素晴らしかった。
こう考えてもいいのではないだろうか。
長岡大花火にいったついでに本を売った。
感動して、10冊の本も売れた。
そう考えると、プラスでしかない。
いずれにせよ、今回の長岡出張販売は、プライスレスな体験となった。
つきなみな言い方で恐縮だが。
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