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般若かと思っていたら、天女でした


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:Tenco (ライティング・ゼミ7月開講通信限定コース)
 
 
私の周りには祖父母以外にお年寄りがいなかったので、血のつながらないお年寄りに可愛がられたり、逆に叱られたりする経験がなかった。
けれど大人になってから、ひとりだけ、20年近く経った今でも忘れられない経験をくれた老婦人がいる。
 
その方は、私が習っていた能楽のお教室の古参のおばさまだった。
銀髪で、上品でかくしゃくとしていて、谷崎潤一郎の『細雪』に出てきそうな綺麗な船場言葉を話す方だった。
 
私は大学でサークル活動として能楽に出会い、卒業したあと、とある能楽師に弟子入りした。
その能楽の師匠は各地にいくつかお稽古場を持っていらしたが、私はその中の大阪の稽古場の一員で、仕舞(しまい)のお稽古をしていた。
「能楽を習う」とは、一般的には謡(うたい)か、仕舞という5~15分くらいの舞を習う。
仕舞は能の曲の中から舞の見せ場を取り出したもので、舞台に立つときは自分ひとりだけで舞う。
 
私の稽古時間は仕事が終わってからの18時半頃からで、そのおばさまはお昼間にいらしていたからほとんど顔を合わすことはなかったが、年に一度くらい、私が午後に休みを取って稽古場に顔を出したときや、年に二回ある弟子の発表会でお会いした。
お会いしたと言っても挨拶程度で、まともに話をしたことはなかった。
なぜって、私はほぼ無視されていたからだ。
 
ある時、夕方から友達とコンサートに行く約束をしていた日に、私は仕事を午後から休み、コンサートの前にお稽古を済まそうとした。
稽古場の襖を開けると、そこに師匠と例のおばさまがいらした。
 
手をついて挨拶をする私に、おばさまは一瞥をくれただけで、すぐに師匠との雑談に戻った。
私自身のお稽古が始まる気配はない。
さっさとお稽古を済ませて退出したかった私は焦れたが、割って入ることも出来ないので黙って待っていた。
一向に話が途切れないので、さすがに師匠が気を遣って話を中断して稽古をつけてくださった。
しかし雑談を中断されたことで一層心証を害されたのか、退出の挨拶の時にもそのおばさまが私を見ることはなかった。
 
そんなこともあり、私はそのおばさまが怖くて、とても苦手だった。
直接的に何か意地悪をされるということもなかったが、お年寄りに免疫がないことと、お稽古場は縦社会ということもあり、一緒の場にいるときはピリピリと神経を使った。
 
弟子入りして4~5年経った頃、私は発表会で少し難しい曲に挑戦することになった。
難しい曲だけに、仕事の合間を縫って真面目に稽古もしていたつもりだったのだが……。
発表会まであと2週間、しかも本番までは最後の稽古という日、突然、師匠から強烈にダメ出しをされた。
それまでの数年間、稽古不足などをやんわり叱られたことはあったが、間違えて覚えている時はああして、こうして、と指示してくださり、怒鳴られたことなどなかった。
 
「ちがう!」
 
その一言で中断してやり直すのだが、また「ちがう!」を浴びること、十数回。
師匠が私の手を取って正してくださる訳でもないし、何が違うのかも具体的に教えてもらえない。
ただひたすら「ちがう!」だけ。
 
一体何がいけないのさっぱりわからずパニックの一方、なまじ真面目に稽古をしてきたはずなのにという思いもあって、だんだん泣けてきた。
30歳近い大人が本気で泣きながら、それでも普段の倍の時間をかけて稽古をつけていただいた。
結局のところ、その曲に挑戦するという心構えからしてなっていなかったと、師匠は思われたのかもしれない。
 
それまでのんびり楽しくやってきたが、その舞台だけは、絶対に成功させねば! と、発表会までの残りの2週間、それまで以上に気合を入れて自宅で稽古した。
 
その甲斐あってか、師匠の御指導の賜物か、その舞台は私にとって忘れられないものになった。
なぜか「それでもやっぱり師匠のお気に召さなかったらどうしよう」という気持ちは無く、やるだけはやった、というほどよい緊張感で舞台に上がった。
舞台上の自分の動きにこれまでに感じなかったキレを感じ、そして何より舞うことを楽しんだ。
楽しくて楽しくて、終わった時は本当に残念だった。
 
舞台を降りたあと、私は能楽堂のロビーで、観に来てくれた友人たちと落ち合った。
すがすがしい気持ちで友人と談笑している私の肩を、誰かがポンとたたいた。
振り返ると、そこにいたのは何と、例のおばさまだった。
 
顔にこそ出さなかったが、心の中では「ひっ」と叫んだ。
さっきの舞台のお小言? それとも日頃の態度について何か言われる?
思いっきり身構えた私に、おばさまは言った。
 
「よかったわよ」
 
それだけ言って、立ち去るおばさま。
予想外のことに、私は呆然として「ありがとうございます」と言うのが精いっぱいだった。
 
強烈な稽古のあとについてきたものは、まさかの怖かったおばさまからの労い。
それまでのようにのほほんと舞台に立っていたら、きっとこんな言葉はもらえなかったろう。
あの泣きながらつけていただいたお稽古に、心から感謝した。
こうして、この舞台はいろんな意味で忘れられないものになった。
 
私は出産を機にお稽古をやめたので、もう何年もあのおばさまにもお会いしてない。
実はちょっと、いつかあんな老婦人になってみたい。
品が良くてかくしゃくとして、すこーし意地悪だけど、褒めるべきときには褒める、カッコいいおばさまに。
 
 
 
 
***
 
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2020-10-03 | Posted in メディアグランプリ, 未分類, 記事

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