臭いものに、蓋、とはいかない
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:射手座右聴き(ライティング・ゼミ秋の9日間集中コース)
午前8時47分東京駅発の、のぞみ号。
私は、嬉しさで小さくガッツポーズをした。なんと、隣の席が空席だったのだ。私の席は、13号車の1列D席。2列シートの通路側だ。
窓際に人が乗ってこなかったのだ。
座席を予約する時点で、この電車は満席に近かった。
もちろん、コンセントのある窓際席はなかった。
困った。出張先の名古屋までPC作業をしなければならない。
電源なしは、不安だ。こんなときの最終手段。
各車両の最前列か最後尾の席を狙った。1番か、16番の席だ。
ここなら、コンセントがあるのだ。
ギュウギュウを我慢すれば、作業はできる。最後の切り札として確保した席だ。
運のいいことに、隣が来ない。のかもしれない。
期待に胸が高鳴る。品川までの5分。
ホームに電車が滑り込むと、ビジネスマンがたくさん待っている。
ドアが開き、何人ものスーツが目の前を通り過ぎていく。一人、また一人。
そして、人が途切れた。やった!
品川、セーフ。新横浜さえ過ぎれば、幸運は現実になる。
名古屋まで座席のブルーオーシャンが期待できる。
あと10分。新横浜さえ超えたら、朝ごはんも食べよう。
そんなとき、ケータイが鳴る。得意先の方からだ。デッキにでる。
「あの話、解決しました。問題ないので進めてください」
今日はいいかも。
席に戻ると、新横浜のホームドアが開くのが見えた。
肩幅の広いスーツの40代が乗ってきた。
がーん。
彼は、迷わず私の目の前を横切り、隣の席に座った。
夢は、敗れた。しかも、大男は、大荷物だったのだ。
彼はかばんを、ドンと置いた。少しこちらにはみ出すくらいの大きさだ。
ジャケットを脱ぎ、壁にかける。どっかりと椅子に座る。
事件は、そのあとに起きた。
彼は靴を脱いだのだ。
靴を脱ぎ、靴下で、足をカバンに乗せた。シートを目一杯倒した。
異変を察知したのは、鼻だった。なんだ、この匂いは。
どこかで経験したことのある匂いだ。
そうだ。夏の匂い。夏の部室の匂い。運動部の部室だ。
これって、ダメな匂いじゃない?
少し気分が悪くなってきた。汗の匂いとしょっぱいような重い匂い。
「かすか、だが、しっかりとした悪臭。年代物の男だけが放つ独特の風味。
これは1970年代ものですね」
匂いソムリエという職業があるとしたら、
そんな風に表現するのではないだろうか。
この匂いと旅をするのか。
また、電話がかかってきた。
「昨日、納品してもらったんですけど、一個だけ修正してほしい場所があるんですよ」
すぐに、協力会社さんに電話しないと。
普段なら、少し躊躇するような事案だったが、
あの席に戻るくらいなら、と思うとすぐに連絡したくなった。
しかし、留守番電話サービスにおつなぎされてしまったので、仕方なく、席に戻った。
大男は、くつろいで動画を見ていた。タブレットが小さく見えた。
あ、そういえば、ごはんどうしよう。
乗る前に買ったのは、一口おにぎりのセットだ。
炭水化物を減らしたいと思ってこれにした。
5個入りで、しゃけ、おかか、からあげ、たらこ、山菜、ちょっとずつ楽しめるようになっていた。
しかし、だ。
この匂いの中で食べるのだろうか。
無理なのではないか。
名古屋に着いたら、得意先へ直行だ。どうしたらいいのだろう。
ひらめいた。
これは一口おにぎりだ。
一口で食べてしまえばいいのではないか。
思い切って、弁当箱を開けた。素早くシャケを箸でつかむ。
できるだけ滞空時間を少なく、口に放り込んだ。
ちょうどいい塩味。お米も固すぎず柔らかすぎず、美味しかった。
が、しかし、1つだけ残念なことがあった。
シャケの香りに、ブレンドされていたのは、靴下からの匂いだった。
なんということだ。
でも、収穫はあった。一口でいけることがわかったのだ。
できるだけ匂いと接触せずに、食することは可能だ。
あと4個。できるだけ、いい状態で楽しみたい。
私は大きく息を吸い込んだ。レントゲンの要領で息を止めた。
口を開けて、おにぎりを入れようとしたが、これはむせてしまった。
そうか、息を吸い込んではダメだ。単に息を止めて、食べるのだ。
おかかで試した。普通に成功した。味はするが、匂いのしないおにぎり。
おなかを満たすことはできた。
からあげ。本当なら風味も楽しめたはずなのに。
たらこ。塩気を楽しむことに集中した。
むわー。匂いがやや強くなったので、横を見ると、大男が足を組み替えていた。
あとひとつ。あとひとつだ。
最後に残った山菜を息を止めて食べると、なんだかホッとした。
「なんでここまで気を使わなければならないのか」
息を少し止めながら、お茶を飲みながら思った。
でも、これはクレームとして、言いづらいな。
大男は不潔なわけではない。身なりもしっかり整えたビジネスマンに見えた。
ただ、靴を脱ぐのはどうかと思った。
洗面所に行った帰りに、後ろのお客さんを端から端までみたが、
靴を脱いでいる人は、ゼロだった。
ためしに、写真をとり、この様子をSNSで実況的に書いてみた。
すると、男女ともに、かなりの反応があった。
「ひどい。靴下は脱いではいけない」
「車掌を通して、クレームを言った方がいい」
などなど、同情的なご意見をいただいた。
私は、今、匂いで辛い思いをしている。でも、彼には、自分のシートでくつろぐ権利がある。感情的に言えば、きついけれど、それを口にだしたところで、彼は、理不尽と感じるのではないか。
匂いの問題は、とても難しい。生理的に苦しいけれど、そこに明確なルールはない。身だしなみを整えた人でも、やはり匂ってしまうこともあるだろう。電車のシートならば、降りるまでの辛抱だが、共同生活、集団生活のようなシーンではどうなるのだろうか。
そんなことを考えていた、ピンチを救うアイテムが、カバンからでてきた。
マスク。私の救世主だ。
掛川をすぎたあたりから、マスクを装着し、平常心を取り戻した。
のぞみを降りて、大きく深呼吸をした。
名古屋駅の空気が、南アルプスのように感じた。
帰りは、もっと混んでいた。
やむなく、グリーン車にチケットを変更した。
「お隣に、今からお客様が座ります」
車掌が窓際席の女性に案内した。
「うわ、このおっさん、匂いそう」
そんな目で女性が私を見た、ように見えた。
汗拭きシートの残り、なかっただろうか。
私は慌てて、カバンの中を探した。
匂いの迷惑か、人の自由か。
臭いものには蓋、とはいかない問題かもしれません。
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