ひと冬の居候
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:谷口季代子(ライティング・ゼミ平日コース)
「母さーん、例のヤツ出たよー!」
長男が呼んでいる
私は、中性洗剤で満たされたトラップを持ってその場へ向かう。
割りばしで「それ」をぽとりとトラップに落とした。
これで一件落着だ。
刺激をしなければ、それは何の害もない。
夫の知人の山小屋を不定期で使わせてもらうようになって、2年になる。
山小屋は、琵琶湖の西岸がわずかに見える山あいにある。
知人はこの山小屋を、アウトドアのベースに使っているようだ。
しかし、なぜか秋が深まるころから春先にかけて、知人はこの山小屋に来ない。
それでこの季節に、私たち家族は、管理人を兼ねてこの山小屋を使わせてもらっている。
山小屋の夜は、無音の世界に包まれる。そのため本当によく眠れる。
しかし、ときどき天井から物音がする。
こそこそこそこそ。
家族は布団の中で身を固くする。
ズー、ズー、ズー。
ドタドタドタドタ。
……静かになった。
山小屋にはお客が多い。
大小さまざまな蛾(ガ)やコオロギの他、良く分からない虫が、どこからともなく入ってきて壁に張り付いている。
あるものは蛍光灯の周りを回り続けている。
それを狙う、トカゲやヤモリ、大型のクモもやってくる。
天井から聞こえる物音は、おそらくネズミだろう。
そして、引きずるような音はアオダイショウか何かのヘビかもしれない。
晩秋に大挙してやってくるものがいる。
例のヤツである。
家のあらゆる「すきま」を探す名人だ。玄関のドアとレールのすきま、窓のパッキンのゆるみ、ポストの投函口、そんなすきまから温かい家の中を狙って入ってくる。
ありがたいことに、それは群れでは来ないが、ゲリラ的にパラパラと入り込んでくる。
そして、ひと冬を温かい家でやり過ごし、春になると山へ帰っていく。
危険を感じると、それは放屁する。
強烈な臭気だ。
狭い空間でその屁を吸い込むと、それ自身もあまりの臭さに、息が絶えてしまうそうだ。
お分かりかもしれない。
例のヤツとはカメムシである。
街中ではあまり見られないが、ちょっと郊外に行くとありふれた虫だ。
体長は1.5cmくらい、形は六角形、色は茶色かみどり色が多い。
秋に大挙して現れるのは、秋に卵からかえるからだ。たいていの虫は春から夏に成虫になるのだが。
秋に生まれて、何とか冬をやり過ごし、春になると森に帰って樹液などを食す。
なにしろカメムシの放屁はくさい。
どんなにおいかと言われると、「青くさい」系のにおいである。
そして、そのにおいはなかなか去ってくれない。
ファブリーズ系のスプレーをすると、においが混ざって事態が悪化する。
たまらず窓を開けると、なんと別のカメムシが入ってくる。
網戸と窓のすきまに入り込んで、窓が開いて網戸だけになるのを待っているのだ。
そうすれば苦労せずに室内に入れる。なかなか戦略的である。
室内に入ったカメムシは特に悪さをしない。
ただし驚いたり、身の危険を感じたりすると放屁する。
カメムシが窓に張り付いているのを知らずに、うっかりカーテンを閉めたりすると、驚いてにおいを出す。
ある夜、PCで仕事をしていると、強烈なカメムシ臭がしてきた。
「今は私一人だし、特に何もしてないけど?」
不思議に思い、においの方向を見上げた。
一匹の例のヤツが、蛍光灯の周りをぐるぐると飛んでいる。
蛍光灯にはカバーがついているが、カバーの中にも入り込んで飛んでいる。
「コン」と当たる音がすると、まもなくあのにおいが漂ってきた。
蛍光灯に当たって、「熱っ」となり、びっくりして放屁したのだろう。
「知らんがなー……」
やっぱり、外に出て行ってもらおうと思った。
脅かさないように、やさしく木の枝でお尻をちょんちょん。そっと紙の上に移動してもらい、戸外へ出す。
観察していると、そいつは明るくて暖かい山小屋へ移動を始めた。
いずれ、窓や戸袋にこっそり潜むのだろう。
外に出す作戦はどうやら失敗のようである。
カメムシには天敵がいない。
カメムシの卵を食したり、卵に寄生したりする虫はいるようだが、カメムシそのものを好んで食べる虫や鳥はいない。
体内のにおい成分があまりにも強いからだろう。
窓のレールにはさまっている死骸を、窓を閉める時にうっかりつぶしてしまうと、死骸からも強烈な臭気が出る。
この無敵なカメムシを退治するにはどうしたらよいのか?
近所の人に教えてもらったのが、2リットルのペットボトルを使ったトラップだ。
ペットボトルを上下半分に切断して、底側に中性洗剤を満たす。飲み口側をさかさまにして重ねたら完成だ。
使い方はかんたん。
カメムシを見つけたら、そのトラップにそっと落とす。
飲み口に向かってペットボトルが坂になっているので、カメムシは滑るように飲み口から中性洗剤へ落ちていく。
静かに揺らすと、カメムシはすぐに息絶えた。
私は、浮かんだ死骸を見て、ちょっと物悲しいような気持になった。
ゴ〇ブリの圧倒的な嫌悪感と比べると、カメムシはそんなに嫌な感じがしない。
においさえなければ、動きものんびりだし、じっと見ているとちょっと可愛くも思えてくる。
そうか、カメムシは春になったら出ていく、ひと冬の居候だ。
山小屋に来ている私たち家族と、同じではないか。
ゴ〇ブリみたいに、「いつ出ていくか?」「増えるのでは?」などという心配がない。
そのうちいなくなるのが、分かっている。
だからそんなに嫌な感じがしないのかもしれない。
この山小屋の持ち主の知人は、きっとカメムシを避けて、この季節に来ないのではないかと想像している。秋冬を避ければ、カメムシの害はまったくない。
知人は、確かパクチーが苦手と言っていた。
カメムシのにおい成分は、トランス-2-ヘキセナール。パクチーの成分と一致する。
春になったらここへ戻ってくる知人へ、ひと冬の御礼に、窓のレールや戸袋をきっちり掃除して明け渡そうと思う。
知人がうっかり、窓で例のヤツを潰さないように。
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