人生の最期に見る景色
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事: 熊元 啓一郎(ライティング・ゼミ平日コース)
「先生、西川さんの血圧が下がっています!」
揺れる救急車の中で同乗していた看護師の声が響く。
「先生、早く指示してください!」
「は、はい。え、えっと」
「昇圧剤を使いますよ!」
私よりもひと回り年が離れているベテランの看護師は自分の態度に見兼ねたのか持ってきていた薬をアンプルから引いた。
「すみません、お願いします」
私は動転していた。こうなることは予想できたけど、いざ起こるとどうすればいいか分からなくなってしまう。
ただ、このまま混乱していてもどうにもならない。
落ち着いて、冷静にならないと。
私は深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
「西川さん、分かりますか?」
「うう……」
横になっている西川さん。うめき声が聞こえるが、意識はほとんどない。
このままでは、搬送先の門司港の病院まで間に合わないかもしれない。
どうしてこんな状態になってしまったのだろうか。
西川さんは、感じの良いおじいさんだった。
「悪くなった右足の親指は、地元の病院じゃ見れないから大学病院に行けって言われてですね」
入院時の診察で、笑いながら私に右足を見せてくれた。
「うわ、親指が感染してかなり赤黒く腫れてますね。膿も出て痛そう」
「そうなんですよ、痛いけど全然良くならなくて。もともと肝炎や糖尿病があるから治りにくいんですかね」
私が傷口を消毒している間は、本当に痛そうに右足を抑えていた。
「そういった病気を持たれている方は、体の抵抗力が落ちていて治りにくいですね。時間がかかるかもしれませんが、しっかり治療していきましょう」
そこから西川さんの入院での治療が始まった。ただ予想していた以上に治療は順調で、2週間程度で親指の腫れは引き、もう少しで退院できるところまできていた。
「ありがとうございます。先生のおかげで良くなりました」
西川さんはにこやかに笑った。
「良くならなかったら、地元の門司港に帰れなくなるかもしれないって」
「そんな大げさな」
「大げさかもしれません。でもね、余生が短くなると考えるんですよ。門司港は生まれ育った場所だから、死ぬなら門司港の海の見える場所で死にたいって」
西川さんは病室の窓から外を遠く眺めながら私に言う。
その日の夜、西川さんは急変した。
悪くなった原因は分からなかったが、足の親指の感染はあっという間に全身に広がり、西川さんは寝たきりの状態になってしまった。
「西川さん、分かりますか?」
声をかけても西川さんは会話をすることすらままならない。
「う、うう……」
最初はなんとか声に出そうとしていたが、次第にそんな力もなくなっていった。可能な限り最善な治療を尽くしたが悪くなる一方で、元の状態に戻るのは絶望的だった。
そんな時だった。
「転院させて欲しい」
西川さんの奥さんが私にお願いしてきた。
「えっ?」
私はどういう意味か分からず聞き返す。
「今の西川さんは非常に危険な状態で、転院させると状態を悪くなって命を縮めてしまう可能性が高いです」
「先生の言っていることは分かります。でも今の状況から良くなる見込みはないんでしょう? そうであれば死ぬ前に地元に連れていってあげたいんです」
そして、その場で死を迎えさせてあげたい。それが奥さんの意思だった。
多くの医師が反対だった。
当然だと思う。瀕死の患者を搬送するなど、命を縮めるどころか搬送中に無くなる可能性だってある。そんな危険を冒してまで転院搬送する必要があるのか。
私も奥さんの話だけ聞いていたら反対していたと思う。
でもそれは西川さんの意思でもある。
死ぬなら門司港の海の見える場所で、急変前にその言葉を聞いた私は、本人と家族の意思を尊重する形で門司港の病院に転院搬送することを決めたのだった。
「先生、着きました!」
救急車を病院の搬入口に停めると、救急隊の人たちが先に救急車を降りる。
「西川さん、着きましたよ! 門司港に!」
私は必死に声をかけたが、ほとんど西川さんに反応しなかった。心電図の音だけが、西川さんが生きていることを伝えていた。
救急隊が急いで救急車の後ろのドアを開ける。ドアを開けた瞬間、遠くから波の音が聴こえ、潮の香りが風に乗って入ってきた。
心電図モニターのけたたましい音が救急車内に鳴り響いたのは、その後だった。
「西川さん? 西川さん!」
西川さんは全く反応しなかった。心臓が止まったのだ。そのまますぐ病院内に運ばれて救急蘇生を行ったが、帰らぬ人となった。
あれから数年が経った。
多くの患者さんを診察し何人もの患者さんをお看取りしたが、その度に西川さんのことを思い出す。西川さんのことはあれで本当に良かったのだろうかと。救急車の中というのは快適なものではなく、かなり揺れることもあって状態の悪い方が乗るには負担がある。西川さんに最期苦しい思いをさせてしまっただけではないかと後悔することだってあった。
でも最近は違う思いが芽生えつつある。
状態が悪くなった時に自宅や地元の病院に戻りたいと話す患者さんが非常に多かったのだ。中には這ってでも帰りたいと言う人もいた。
人生の最期。多くの人が地元、可能なら自宅で過ごしたいと考えているが、8割の方が病院で最期を迎えている。人生の最期に見る景色というのはやはり病室内の景色が多いのだろう。西川さんに門司港の景色を見せられたか分からないが、多くの人々が人生の最期に見る景色が自分の望むものになることを考えるようになった。
「主人は門司港の病院にきてすぐ帰らぬ人となりましたが、門司港に戻ることができて本望だったと思います」
あの後、西川さんの奥さんの言葉は本当にそうだったと信じて今日も医療を続けようと考えている。
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