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こうして次はわたしが母になる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:鈴木ゆうみ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
ブーブーブー。着信、「お父さん」その文字を見て、私は胸騒ぎを感じた……
 
7年前の初夏だった。私は新卒で入社した会社で2年目の夏を迎えようとしていた。入社当初から、社会人の生活にも働くということにもかなり苦労してきたが、新人のわたしを気にかけてくれる会社の先輩たちにも救われ、ようやく穏やかな生活がようやく送り始めた頃だった。
 
その日、わたしは自宅から小一時間離れた場所で、外部講師の研修を受けていた。わたしはどこか上の空で、研修中も「次はいつお母さんに遊びにきてもらおうかな〜」なんて考えながら、講師の話しが終わるのを待っていた。夕刻から始まったその研修が終わったのは19時を回っていた頃だっただろうか。まだ夕焼けの跡が残っていた。
 
研修を終えたわたしは、先輩たちと「ご飯どうします〜?」なんて言いながら、研修中にまで頭をよぎっていた母に連絡しよう、と携帯をカバンの中から手にとった。その瞬間、
 
ブーブーブー。着信、「お父さん」
 
こんな時間に、父から電話がかかるはずない。
 
そう、我が家は何かあるといつも母から連絡が来る。父と話すのも母の携帯越しであることがほとんどで、着信「お父さん」の文字を見るのはいつぶりだろうか。
 
ヨクナイデンワニチガイナイ……
 
そう思いながら電話をとった。
 
「母さんが倒れた。すぐに帰ってこい。」
 
わたしの頭の中は真っ白になった。すぐに、って言ってもわたしの住まいから、実家までは車でも片道4時間はかかる。もうこの時間、電車もフェリーも間に合わない。それを分かっているはずの父が「すぐに帰ってこい」というなんて。
 
「ほらね、やっぱりヨクナイデンワだった……」
 
研修会場の入り口で、足が竦んで動けない。気にかけた先輩が、
「どうした?」
と声をかけてくれた瞬間、一気に現実に引き戻された。明日は大事なアポイントがある。上長は会食に行っていて連絡がつかない。帰っていいのだろうか……
「大丈夫だから、すぐに帰れ。」
そう先輩に言われて、わたしは車に乗った。
 
4時間の片道、何を考えていたか今もう全く記憶に残っていない。ただただ、ワンワン声をあげて泣きながら一度も休憩もせずにアクセルを踏み続けた。
 
無事に母の病室に着くと、髪の毛は全部剃られていて、たくさんの管に繋がれている母がベッドの上で眠っていた。
「どうしてお母さんがこうならんといけんのよ……」
 
それからのわたしは、毎日ただ泣くことしか出来なかった。職場に戻ることもできず、ただただ母親のそばを離れるのが怖かった。母を失ったことは、まるで自分自身を失ったかのように、ポッカリと穴が空いた。
 
母はわたしの鏡だった。
 
小さい頃から、何かあるといつも母が「大丈夫、ゆうみならできるよ」そう言ってわたしの背中を押してくれた。そして何より、母自身が、毎日毎日仕事仕事仕事……と仕事一色の人だったが、とても楽しそうだった。口を開けば仕事の話し、子どもとしては、全く面白くない話しを永遠と夢のように語っている。ド田舎の地元を世界に売り出したかったらしい。そんな母がいたからこそ、わたしも社会人として立っていられたんだろうな、と。
 
そんな鏡の母を失ったわたしは、ただ毎日泣くしかなかった。母はわたしの鏡。病室で眠っている母もその横にただ座っているわたしも、鏡越しの自分。母を亡くしたわたしはもう立てない、と思っていた。
 
ある日、自分の車で泣いていると、
 
コンコン。と窓を叩く音が聞こえ、顔を上げるとそこには父がいた。
 
「もう泣くな。母さんは生きてる。」
 
父はそう言ってまた、母の病室に戻って行った。考えれば、この事態、一番辛いのは父なはずなのに、父は笑顔だった。「こんなに毎日ゆっくりできるのは久しぶりだ!」と暇を持て余しているかのように、ノートを買ってきて動かない母の観察日記をつけてみたり、反応もないのに、テレビやラジオを聞かせて話しかけてみたり、まるで元気な母がそこにいるかのように父は過ごしていた。
 
わたしが少し落ち着きを取り戻してきた頃、父は言った。
 
「職場に帰りなさい。あんなに苦労して始めた仕事の実績が最近良くなってきていること、母さんも喜んでいた。ゆうみにはゆうみの人生がある。父さんも母さんもそのゆうみの人生を大事にしてほしいと思ってる。母さんは大丈夫だ。元気になるから。」
 
その言葉でわたしはようやく地元を出て職場に戻り、そこからの仕事はとにかく楽しかった。もちろん何度も思い出して泣いてを繰り返したが……
 
あれから7年。母は今生きている。
何度か訪れた窮地もくぐり抜けて、今では三人の孫を持つおばあちゃんになった。さすが、ド田舎を世界に売り込もうとしていた母だけあって、しぶとい。
 
わたしは、鏡を失ってはいない。寝たきりになってもまだ、母はわたしにずっと背中を見せてくれている。そしてこの鏡は永遠にわたしの心の中にある。
 
お母さん、もう大丈夫だよ。次はわたしがわが子たちの鏡となるからね。
 
 
 
 
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2019-12-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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