メディアグランプリ

美味しいものご褒美デー


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:森嵜尚子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「はぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ……」
 
肺の奥底を突き破って、足先から抜けて地面にめり込みそうなため息が出る。
失敗した。仕事で失敗してしまった。
 
心のなかにいる自責ちゃんが、チクチクネチネチ反省会を繰り広げる。
やらかしたミスは取り返せない。もうどうしようもないのだ。
そんなの忘れてしまえばいいのに、やれもっとチェックのしようがあった「ハズ」だよね。だの、やれ迷惑を掛けられた方はめちゃくちゃ腹を立てている「ハズ」だよね。だの、心の中の自責ちゃんは自分いじめに余念がない。
溢れて垂れ流さんばかりのマイナスオーラは出ていたのだろう。隣に座っていたお姉さんが、いつの間にか席を移動していた。。
終わったことだと割り切れずに、後悔にも似た自責ちゃんが心のなかを駆け巡る。
 
地下から続く長い階段を階段を登りきる。
ふと上げた視線の先の白い暖簾に目が吸い寄せられる。
駅の構内にあるラーメン屋さんだ。
どこかの有名店が出店したらしく、開店当初はいつ行っても長い行列ができていた。開店してしばらく経った今でも、たまに行列しているのを見ると美味しいのだろう。
毎日その店の前を通るけれど、基本的に外食をしない私は横目で通り過ぎるだけで食べたことはなかった。
そのお店が、今日は空いている。カウンターに人はまばらで、料理人のお兄さんも少し暇そうにしている。
いい匂いが漂ってくる訳ではない。でも私はその店にふらりと立ち寄った。
 
「いらっしゃいませ」
声を掛けてくれる案内のお姉さんに、自販機で購入したチケットを渡す。この店はあっさり系の店のようで、鳥だしと魚介類のスープがメインのようだった。
カウンターしか無いお店は狭いけれど、清潔感があって綺麗で居心地が良い。一人に一枚銀色のプレートが用意されていて、見栄えが良い位置に水と割り箸とレンゲとお手拭きが置かれていた。
 
感じの良い店だな。そんな気持ちが自然と沸き上がってくる。店の中を眺めている間は、自責ちゃんも責め立てるのを少しやめる。
やがて出てきたラーメンは、店の雰囲気にそぐうとても上品なものだった。
黄金色のスープが張られた白い器の中に、薄切りでジューシーそうなチャーシューが隙間なく敷き詰められている。端には太いメンマも添えられていて、薄切りゆずの皮が色のアクセントになっていた。
 
レンゲを取ってまずはひと口。
「……美味しい」
私は思わず呟いていた。
澄んだ色のスープはその色の期待に応えてあっさりしていて、だけど物足りない訳じゃない。
カツオや昆布の和風だしの中に、貝柱のコクだろうか。一本芯が通ったうまみが白醤油の香りを纏いながら口の中いっぱいに広がっていく。
ジューシーなチャーシューの下に覗く麺も、とても美しい。
茹でる時は鍋の中で踊っていたに違いない。なのに今は一本一本整えたかのように綺麗に揃えて盛り付けられていて、まるで日本庭園の枯山水の庭のようだ。
ストレート麺を口に運ぶ。コシがあってのどごしがよく、あっさり味のスープの味を邪魔しない淡白な小麦味が、これがラーメンだということを主張しているようだった。
夢中で麺を食べる。あったかいスープとツルツルの麺が胃の中に滑り落ちていって、荒れた心をゆっくりとほぐしていってくれるようだった。
 
美味しい。
チャーシューも期待に違わずジューシーで、薄切りだから麺と一緒に食べても麺の食感を邪魔しないし、それだけで食べてもくさみのない肉の味が魚介に飽きた口中をリセットしてくれる。
 
美味しい。
色のアクセントにしか見えなかったゆずの皮が、単調になりがちな麺とスープをチャーシューとは別の角度から変化を与えてくれている。
 
美味しい。
計算された一杯に、心の中の自責ちゃんが少しずつ笑顔になっていく。
 
私をいじめている自責ちゃんは私自身の心の一部。なら自分を癒やせば自責ちゃんも一緒に癒える。
きっとそうなのだろう。自分が嫌でたまらない時は、自分が喜ぶことをしてあげなければならないのだ。
私を喜ばせるために、全て計算され尽くしたラーメン。この一杯に行き着くために、どれだけの時間と努力が積み重ねられたのだろう。
きっと大変なものだったに違いない。関わった人々の努力の集大成、最先端をいただけるのだ。
いただける立場にいるのだ。まだまだ捨てたものではない。
 
あっという間に完食して、スープを最後まで飲み切る。最後に水を飲んだ時、心の中の自責ちゃんも少しは笑顔になっていた。
明日また地の底を這うようなため息をついたって、浮上させてくれる美味しいラーメンがあるのだ。
だから大丈夫。きっと大丈夫。
 
嫌なことはあった日は、とっておきの美味しいものを食べる。そうすれば、嫌なことがあった日は美味しいものご褒美デーに変わるのだ。
「ごちそうさまでした」
案内のお姉さんに心から告げた時、ホッとしたように微笑んでくれた。
「また来てくださいね」
言われた言葉は社交辞令かも知れないが、少なくともそっと距離は取られなかった。
駅の構内の低い天井が、少しだけ高く見える。
 
さあ、明日もがんばろう。
嫌なことがあった日は、美味しいものご褒美デーなのだ。
そう考えると、嫌なことがある日だって悪くない。
顔を上げる私を肯定するように、改札機がピッと鳴った。
 
 
 
 
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2019-12-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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