叶えたいのは焼酎のお湯割り
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記事:芝田エル(ライティング・ゼミ平日コース)
「そうだなあ。焼酎のお湯割りでいっぺえやりてえなあ」
松ちゃんが言うと病室の他の患者さんがどっと笑った。
「おれもビールできゅっと!」「俺も俺も!」
と部屋が沸きあがり、松ちゃんの話が中断してしまった。
「はい! わかりましたよ、みなさん! 今日はここまでね」と言って、私は笑いながらナースステーションに向かった。
松ちゃんはもともと小児麻痺という病気で足が不自由だった。
長年リハビリ施設で暮らしながら施設併設の工場で働き、すでに定年退職している。
家族はなく、工場のそばの平屋の一軒家で一人暮らしをしていた。
元気だったころは車いすでどこへでも出かけ、日本中を旅して自分のためにキーホルダーを一個だけ買い求め、写真と一緒に眺めながら暮らしていた。
旅の記憶は鮮明で、誰とどこへ行ったのかをしっかり覚えている。
ひょうきんで明るい性格だから松ちゃんの周りには人が集まってくる。
その人たちがどこかへ出かけると松ちゃんにキーホルダーのお土産を買ってくるようになり、居間の梁には数えきれないほどぶら下がっているという。
そんな松ちゃんは背骨の神経が傷んで、手がしびれて力がなくなった。
車いすに移動することもむずかしくなって、私の勤めていた整形外科病棟に入院してきたのだ。
患者さんのことを松ちゃん、だなんて呼ぶのは本来不謹慎だが、入院していくらもしないうちにまず同室者が「松ちゃん」と言い出し、自然にみんながそう呼ぶようになってしまった。
子どもの頃から病院と縁が深かったせいなのか、医療者と患者という垣根がないような、そんな風に思わせる不思議な人だった。
病院というところが、今よりずっとのんびりした時代のことである。
さて松ちゃんの手術が終わり、リハビリも進んできたところで、そろそろ家に帰る相談をする時期になった。まだ一人暮らしの家に帰るのは不安があるし、その頃は介護保険なんてものもないときだった。これからどうやって暮らしていくのか、同僚の中には
「無理無理。松ちゃんは高齢者の施設に行ったほうが幸せよ」という声が大半だった。
「でもさ、それを決めるのは松ちゃんだよね。本人に聞かないで勝手に決めるわけにはいかないでしょ」
ということで、代表して私が松ちゃんの意向を聴く役になった。
松ちゃんは一瞬の迷いもなく「うん、おれは自分の家に帰る」と言い切った。
なぜかっていうと、家でテレビを見ながら焼酎のお湯割りをストローでちゅーっと飲む。
これが松ちゃんの楽しみだったから。
松ちゃんがそう言うと、周りにいた男部屋の患者たちが、どっと沸いたのである。
骨折が多い整形外科の患者は、内臓が元気なだけに、みんな家に帰って一杯やりたいのだ。松ちゃんはそれを素直に言ったものだから、同室者が俺も俺もと湧くのは無理もなかった。お酒だけじゃなく寿司が食べたいだの、退院したらまっすぐ焼き肉屋に行くだのと盛り上がってしまったので、松ちゃんの退院の話は別な日にすることにした。
そうして松ちゃん退院プロジェクトが始まった。
「いっぺえやりたい」を叶えるプロジェクトである。
入院前の暮らしに戻るには、いろいろ環境を整えなきゃいけない。
ソーシャルワーカーや福祉機器会社の協力を得て、まず電動車いすと電動ベッドを手に入れた。それからそれらを家で使えるように、家の中の模様替えをしなければならなかった。松ちゃんに家の鍵を借り、家の中の見取り図を描いて家具をどう動かすかを話し合った。
私は車いすで出入りしやすいように居間にベッドを置こうと言ったが、松ちゃんは「人が来たら、居間にベッドがあるのはちょっとはずかしいなあ」と眉根を寄せた。
「でもね、松ちゃん。お客さんは来るかも知れないけど、その家で一番長く過ごすのは松ちゃんだよね。今までと体の具合が違うんだから、松ちゃんが居心地がよく暮らせることが一番優先されるべきだと思うよ」というと、じゃあそれでいいよと言ってくれた。
松ちゃんの家の模様替えは看護師たちのボランティアを募った。数人くらい、手伝ってくれる人がいればいいなあと思っていたら、夜勤の人を除いてほとんどの人が手伝ってくれることになった。
ある土曜日の朝から夕方まで、松ちゃんの家に集まってワイワイいいながら模様替えをした。古いベッドを運び出し家具を置き換え、掃除をして電動ベッドが運ばれてきたときは歓声が上がった。車いすでベッドへの乗り降りを試してみて、思っていた通りに配置できたことをみんなで喜んだ。
キーホルダーはそのままの位置にぶら下がっていて、ベッドからもよく見える。
これでよし。
そうして気候のいい6月に、松ちゃんは帰っていった。
夏になって松ちゃんからカードが届いた。
「焼肉パーティをするので我が家にお越しください」
日曜日のお昼、主治医やソーシャルワーカーたちと松ちゃん家に着くと、松ちゃんの友達が来ていて、もうすっかりバーベキューの準備が整っていた。
同室だった患者さんとその奥さんも来て、手作りのコロッケを揚げていた。
庭で肉を焼き、家庭菜園で採れたミニトマトをいただき、みんなでワイワイと飲んで食べた。
その光景を、松ちゃんは満足そうに満面の笑顔で眺めていた。
焼酎のお湯割りをちゅーっとストローで飲みながら。
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