「生きるスイッチ」のオンとオフ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:いわし(ライティング・ゼミ夏期集中コース)
「はい、では息を止めてください。口を手で押さえて、限界になったら手を放して息をしてください。では、用意、始め」
自称「関西のおっちゃん」、インストラクターの中川さんの授業はここから始まる。
「30秒」、「45秒」、「1分」、「1分15」
限界に達した仲間たちが次々に手を放す。そして、おもいっきり息を吸う。
僕はまだまだいけた。外から感じる陽の光の温かさに意識を集中して、苦しさを感じないようにした。人間は皮膚でも呼吸すると言われているが、僕は皮膚で呼吸できるようだ。
「2分。オトナの最高記録更新や」
本当はもっと息を止められていたけれど、「ズルしてるんじゃないか?」と思われるのも嫌だったのでそこでやめといた。
ここは脚本家倉本聰が主催する富良野自然塾の一角にある広場。
2005年に開設された富良野自然塾の敷地のほとんどは、ゴルフ場だった場所だ。
2005年当時、敷地には当然フェアウェイとグリーンがあり、一面芝生に覆われていた。
2020年、今は、フェアウェイもグリーンもない。あるのは自然の森。富良野自然塾の職員が人工的に貼られた芝生を剥がし、元の土に地道に木を植えていった。15年たって森に還った。
富良野自然塾では訪れる人たちに環境についての体験学習をしている。今、中川さんから受けているのは、その中のプログラムの一つだ。
僕が息を大きく吸ったところで中川さんは問いかける。
「皆さん、普段は当たり前に空気を吸って息をしてるけど、人間は空気から何を取り入れてる? そう、酸素やね。じゃあ、酸素は誰が作ってくれてるんかな。そう、植物の葉っぱやね。ここにある森の葉っぱは、二酸化炭素を吸収して、酸素を出してくれる。だから僕らも呼吸ができるんやね」
そう言われて、周りの木々を見渡すと、一本一本の木が、すごくありがたい、特別なものに見えてくる。
中川さんは10mほど先の木を指さして言った。
「じゃあ、あそこにある二股になってる木に葉っぱは何枚付いているでしょうか?」
参加者はそれぞれ、「1万枚?」、「5万枚?」、「10万枚?」と答える。
中川さんが回答を言う。
「僕ら、1枚1枚数えました。全部で7万5千枚ありました。」
さらに中川さんは続ける。
「7万5千枚の葉っぱを敷き詰めるとどれぐらいの広さになるでしょう? 200㎡になります。ここの広場と同じぐらい。20ⅿ×10ⅿ。木一本あたり200㎡分の葉っぱが光合成して酸素をだしてくれてるんです」
森の木一本が、200㎡の光合成パネルを持っている。森は僕たちが生きるために不可欠な酸素を生産してくれる工場。
次の授業に入る。
「じゃあ、『裸足の道』のプログラムを体験してもらいます。人間の感覚には何があるかな?」
参加者が次々答える。
「そう、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感やね。そのうち一番情報を取っているのが視覚です。まずはその視覚のない状態で山の道を歩いてみましょう。裸足になって、二人一組になってください。一人はアイマスクをしましょう。もう一人は相方の手を取って道を歩くナビゲートをしてください。では行きましょう」
アイマスクを付けて歩き始める。
足の裏が、芝生からひんやりした土を感じる。丸太の階段を上る。ヒノキのような木の香りがする。鳥が鳴いている。日なたに出たのか顔に熱を感じる。砂利道だ。足の裏が痛い。ツボが刺激されている。そういえば皮膚には痛みを感じるところと、感じないところがあったな。10分ほど歩いてコース終了。相方と役割交代。
今回は視覚がある。周りが見える。こんなところを歩いていたんだ。さっきはこの辺で木の香りがしたんだけど今回はしないな。しばらく森の中を歩いて、コース終了。
全員戻ってきて中川さんが話し始める。
「皆さん、歩いてみてどうでしたか? 視覚があるときとない時で、同じ道でも感じ方が違いませんでしたか。 いつもは感じない、かすかなニオイや音を感じましたか。これが五感のスイッチをオンにして、感じるということです。呼吸をして『生きる』ってことです」
子供のころを思い出した。
金沢で育った僕にとって稲を刈った後の田んぼが自分の野球場だった。靴は汚れるから足許はビーチサンダル。足についたねっとりとした田んぼの土の感覚、藁のニオイ、「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ」の音。北陸ならではのフェーン現象による「もわっ」とした暑さ。昔は五感のスイッチをずっと押していた気がする。
東京に戻った。
電車に乗って会社に行く。IDカードでゲートが開く。席についてパソコンを起動させて仕事を始める。モニターを見る。テレビ会議で誰かがしゃべっているのを聞く。マウスを握ってクリックする。仕事のことを考えながら昼食で何かを口に入れて飲みこむ。パソコンをシャットダウンして、ゲートを通って電車に乗って帰る。もちろん何か見ているし、何か聞いているし、マウスに触っている。ただそれはほとんど無意識でやっていることで、感じることに意識はしてていない。
だけど東京でも「生きている」ことはできる。
毎週通っている鍼灸院の前の歩道には、色々な植物を誰かが植えている。チューリップ、アジサイ、タンポポ、ガーベラ、向日葵。帰りに、裏通りの空き地でタンポポの綿毛に触ってみる。
初夏の夜、寝ようとすると赤ん坊の泣き声と聴き間違うような、猫の求愛の声がうるさい。
秋には向かいの家の庭からキンモクセイの香りがする。
目にとめる、ニオイに気付く、耳を澄ます、そっと触れる。どこにいても、五感の「スイッチ」の「オン」、「オフ」を決めるのは自分だ。
東京で僕は呼吸のために酸素を吸収して、二酸化炭素を吐き出し続ける。それは僕だけではなく、この街の全ての人も同じだ。東京は街として機能すること自体が大量の二酸化炭素を吐き出し続けている。酸素を消費し、二酸化炭素を吐き出すだけの場所。だけど今のところ、東京にも森の木々のおかげで呼吸するだけの酸素はある。
東京でも「生きる」ことはできる。「スイッチ」の「オン」、「オフ」を決めるのは自分だ。
***
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