ツギハギ仮面を胸に抱いて。《週刊READING LIFE vol,98「 私の仮面」》
記事:佐和田 彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
オタクはね、仮面を脱いじゃいけないんだよ。
誰から聞いたのか思い出せないけど、耳に残る言葉。私は、今日も、他所行きの仮面を被って出勤する。絶対にずれないように気をつけながら。
バレてはいけない。オタクである、ということを。
もし、暴かれてしまったら、とんでもない地獄が始まってしまうのだ。
『オタクは市民権を持った』なんて所詮、戯言だ、と思っている。
なぜなら、私は何度もそう言いたくなる修羅場をくぐってきた。
まず、最初は中学生の頃。
当時、『セーラームーン』が好きだった私は気分がいいと主題歌を鼻歌に乗せていた。面倒臭い掃除や辛い体育の時間がそれだけでちょっとだけぱっと明るくなったような気がして嬉しかった。そう思っていたからだろうか、自分では気づいてはなかったが、相当の頻度で口遊んでいたのかもしれない。それが、災いした。
「貴方って、そんな子供っぽかったんだね」
そんな歳でアニメなんか見てかっこ悪い、と含み笑いと一緒に投げ付けられた嫌味。それは私の自尊心にダイレクトをえぐった。返す言葉もなくじっと暴言の先を見ると、嘲笑がさらに深くなっていく。
好きで何が悪いの?
そう叫びたいのに、口が、喉が、うまく動かない。音を載せられなかった空気が喉を通っていく。持っていたはずのほうきをどうやって仕舞ったのか、今でも思い出せない。
『アニメが好き』と笑った仮面は、ここで粉々に砕かれた。
次に、高校生の頃。
エスカレーター式だったために受験という修羅場は回避できた。だが、そちらを選ばなかった自分を責めるような出来事がすぐに起きた。
アニメ好きを隠して生活していた私は、とてつもなくフラストレーションが溜まっていた。
そんな中、勃発したのがバンドブームだ。同級生たちは煌びやかなスポットライトに映し出されたバンドマンたちに夢中になった。文房具やキーホルダーが彼らのグッズに塗り替えられていく。
私は、その光景を見てとてつもなく安堵した。よかった、これを好きになれば迫害されない、と。今思えば、とんでもない勘違いだと思う。好きでもないものを好きというのはとんでもない愚行だと。だけど、必死だった。とてつもなく必死だった。必死に、押し込められていた『好き』と叫ぶ権利を取り戻したかった。
私は、数あるバンドの中から『シャ乱Q』を選び出した。衣装の奇抜さとは裏腹に紡がれる歌声と歌詞がキャッチーなのにどこか妖艶で私の心の中にするり、と入ってきた。CDが出る度に購入し、リピートで聴き倒し、散財ばかりしていたお小遣いをしっかり貯めてライヴに行くようになるのは時間の問題だった。門限を伸ばしてもらうため、テストの点数を交渉材料にして親の了承をもぎ取ったのはいい思い出だ。
そんな時だった。
「何で、そんなバンド好きなの?」
生徒手帳に挟んだスナップ写真を眺めていた私に、また言葉の刃が突き刺さった。
音楽雑誌に掲載されていた小さな切れ端を睨みつける彼女の顔は今でも忘れられない。
「な、何で、そんなこと、言うの?」
手帳を掴む手がじっとり湿っていくのを感じながら、何とか疑問をぶつけることができた。
だが、すぐに反論が飛んでくる。
「私が好きなバンドがそいつら嫌いなの。だから私に見せないで!」
後で知ったのだが、どうやら彼女が好きだったバンドと犬猿の仲というのは周知の事実だったらしい。だけど、私はそんなこと一切知らなかった。私は彼らの楽曲と歌詞、歌声が好きなだけ。それ以外、全く目に入らなかったのだ。
なんで? なんで見せちゃいけないの? 私は好きなのに!
そう叫ぼうとした時、チャイムが鳴る。
先生がいる手前、彼女への怒りを叫ぶことはできない。憮然とした顔のまま席へ戻る彼女の背を睨みつけることしかできなかった。
『シャ乱Qが好き』という仮面は、この時、べったりと泥を塗りたくられた。
その後、好きな物、事、人ができるたびに、『好き』と叫ぶ仮面は破壊され続けていった。足下には付けることすらできないほどボロボロにされた仮面たちで溢れかえっていく。
「何で、そんな物が好きなの?」
「そんなこと好きなんて変だよ!」
「そのチョイス、おかしい。変えなよ」
好きだよ! 好きなの! 好きなのに!
反論する声は届かない。届く前に潰されてしまう。
どれだけ、愛おしい物を蔑ろにされたのだろうか?
どれだけ、大切な物が破壊され続けたのだろうか?
私の手には、暖かい温もりだけが残り、足下には使い物にならなくなった仮面の山だけが遺された。
電話を持つ手が震えている。
鼻の奥がつん、と痛みを発している。
それでも、泣くわけにはいかなかった。
『どうしたの!?』
電話しての向こうで慌てている友人がありありと浮かぶ。
でも、ちゃんと言わないと。言わないといけないんだ。
「どうしよう、今度の冬コミ、サークル参加できなくなっちゃうかも」
数時間前、私は上司に呼び出されていた。
正直、嫌な予感はしていたのだ。休み希望を書くカレンダーに私が休み希望を書き込む時にすでに先客が二人。年末の忙しい時期なのは分かっているものの、この日に休まないとサークル参加することができない。とてつもなく死活問題だ。
顔を合わせた上司から開口一番、こう投げ付けられた。
その休み、コミケのためなのか? と。
どこでバレたのか?
どうしてコイツは知っているのか?
全く分からない。徹底的に隠していた。どこから漏れたのだろう?
いや、そんなことはどうでもいい。休まないといけないのだ。
この仕事をしっかりこなしているのは、年に二回のコミケに参加するため。ここで思い切りハメを外すためだけに私は頑張っている。それに休みは雇用された側の権利。誰にも侵害されるいわれはない。
なのに、なのに。
上司にこう言われたのだ。
『他の従業員は家族のために休む。君は趣味のために休むんだろう? 諦めなさい』
バリン。
ああ、まただ。
足下に、仮面が、落ちる。
粉々に砕け散った仮面が、落ちていく。
その後、私はどうやって仕事をしていたか分からない。
気づいたら、家のベッドの上で、友人に電話をかけていた。
仮面が剥がれた顔からは、滝のように涙が流れていく。
とうに、泣き切ってしまったと思っていたのに。
『やっちゃったねぇ』
呆れた声がスマホから飛び出してくる。
「私はやってない!」
思い切り声を荒げると、痛い痛い、と小さく返ってきた。
『でも、なっちゃったものは仕方ないからさ、対策とって行こう』
「対策って言ったって……」
すでに主導権を握っている奴から拒否を突きつけられているのだ。覆りようがない。
分かり切った絶望に、二の句が出てこない。どう考えても無理。手遅れだ。
『じゃあ、諦めるの?』
抑揚のない声が、重苦しい部屋の空気を吹っ飛ばした。
「諦めたくないさ! でも!!」
頭の中央でボッと炎が上がる。そして瞬く間に思考を焼き尽くしていく。
『でも、じゃないでしょ!! 行きたいんでしょ!!!』
「当たり前だろっ!!!」
『じゃあ、何とかしなさいよ!』
「できねぇって言ってんだろ!」
罵声の応酬。
止まらない口撃。
涙は止まったが、以前、目の前はどこかおぼろげだ。若干、部屋の中が歪んで見える。
『君っていつもそうだよね! すぐ諦める!! 悪い癖だよ!!!』
「うるさい、うるさい、うるさいっ!!」
諦めたくて諦めていない!
飛び出す声の音量をうまく調節出来ず、喉がヒリヒリと焼き付いていく。
どんだけ、傷付けられればいいのだろうか?
何で、慰めの一つもくれないのか?
裏切られたという思いだけが私を突き動かす。
「私の気持ちなんてわかんないくせに!」
『ああ、分からないよ! 自分で好きなもの粉々にしたまま放置するアンタなんか!』
「え」
『確かに、アンタの好きなコミケを上司が踏みにじったのは許せないよ!』
『だけどさ、それをそのまま手放してるのは自分じゃない!』
『何で、踏みにじられたままにするの?』
『何で、自分で守ろうとしないの?』
『何で、何で、何で?』
機械音に還元された泣き声が流れてくる。
私は、呆然と、聞いていた。
確かにその通りだ。
大好きだったものを散々踏みつけられてきた。
でも、それを拾い上げなかったのは自分だ。
壊されたものを嘆くことしかせずに、黙って見続けた。
その結果がこれなのだ。
『諦めさせられたんじゃない! アンタが諦めたの!』
『今度のコミケ、楽しみにしてたじゃない! コミケまで諦めるの?』
ぞくり、とした。
諦める?
コミケを?
年二回のお祭りを?
あんなに楽しみにしていたのに?
「嫌だ!」
腹の底から、声が出た。
足下の仮面に思い切り手を突っ込む。
切り刻まれるような痛みが両手を襲うが、そのままかき集める。
『セーラームーン』も。
『シャ乱Q』も。
『コミケ』も。
どれもこれも大事な宝物だ。
私を形成する大切なピースだ。
誰に踏まれようとも。誰に泥を塗られようとも。
全力で、守らなければならなかったものばかり。
痛みに顔を顰めながらも、全てをギュッと握り込む。
粉々だった仮面が、一つの仮面へプレスされていく。
私の『好き』でマダラ模様になった私だけの仮面が、出来上がっていく。
私は、また、泣いた。
やっと出来た、誰にも傷付けさせない、『好きを発信する仮面』を胸に抱いて。
初めて書いた辞表は、結局使われることはなかった。
休みの希望者は全員、お目当てのものをゲットすることができた。
上司の小言付きではあるものの、お互いに希望を譲らなかった結果としては上々だろう。
コミケ参加がバレた件については、結局、分からず仕舞いだった。
なぜか上司が私に向ける視線が他の二人より鋭いのと関係があるのかは未だに不明。
私は、分厚く成長した仮面をそっと撫でる。
もう、気にしなくていいのだ。
誰が、何と言おうと、好きならば、好きでいいのだ。
例え、誰かに粉々にされようとも。
例え、誰かに泥を塗りたくられようとも。
それが好きな私は、今、ここに存在するのだから。
ツギハギの仮面が、そっと私に微笑んだ、気がした。
□ライターズプロフィール
佐和田 彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
埼玉県生まれ
科学、サブカルチャーとアニメをこよなく愛する一般人。
科学と薬学が特に好きで、趣味が高じてその道に就いている。
趣味である薬学の認知度を上げようと日々奮闘中。
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