あの時の母と私を解放しよう
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:番場佳子(ライティングゼミ・平日コース)
「あなたの文章って、小説を読んでない人が書く文章だよね。まるでビジネス書を読んでいるみたい」
2年前くらいに、私の友人が私に向かって言った言葉である。
この言葉は、私の肚のど真ん中に刺さって抜けない矢のように、今も私の中で古傷となって疼いている。
……思い当たる節はあるのだ。
友人が指摘するのもごもっともで、私の書籍代は月に1万円を超えるのも珍しくないのだが、そこに「小説」というジャンルが入ることは極めて稀である。
自己啓発書かビジネス書、ノウハウが書かれている本がほとんどで、物語を読むときは絵本くらいしか読まない。その絵本も、小学生に向けた読み聞かせボランティアの選書のために読んでいたので、コロナ禍となって読み聞かせができなくなった今となっては、絵本に触れる機会も激減してしまった。
理由は分からないけど、「感情表現」に関するものを意図的に避けて通ってきている自覚はある。感情表現や情景描写のオンパレードである小説を、私が好んで読むはずもない。
最近の子どもたちの感情表現が「ヤバい、ウザい、ダルい」に集約されているとどこかのネット記事で読んだのだが、四十路のオバさんである私も負けず劣らず感情表現が苦手。「感情を表現したら負け」という謎の呪いにかかっているのではないかと思うくらい私は感情表現が苦手……というか、それ以前の問題……「感情を感じる」ということそのものが分からない、ということに気づいてしまったのである。
そう、それは、何年前だったか。
よくあるママ友同士のランチで集まっていた時のこと。子どものお迎え時間になると「楽しかった、またね」という言葉が出るのはごく普通の光景なのに私といったら「ねえ、みんな、楽しかったの?何で私だけ楽しいって感じられなかったの?ていうかそもそも楽しいって何だ? 」と思ってしまった。
それから私の頭の中はしばらく、どんな言葉も受け付けなくなった。さすがに「楽しいって何? 」なんて誰にも聞けない。頭おかしいって思われる。みんなが当たり前のように感じていることを感じられない私を悟られたくなくて、私は
「楽しかった、またね」
と心にもない言葉を口にして、血の気が引いて気を抜いたら倒れそうになってしまいつつも出来るだけ早めにその場を去った。
楽しかったみんなの中で、私だけ置き去り……というか、私は透明人間?欠陥人間?そもそも私は血が通っている人間なの?「楽しい」が感じられるのは、心がある、赤い血が通っている人間としては当たり前のことでしょ?もしかして、私の血は緑だったりするの?そもそも私は人間なの?ひょっとして私は「心」が無い人造アンドロイドで、人間の姿は仮の姿でそれに気が付いたら宇宙に帰らなくてはいけないのでは?……というくらいの疎外感がそこにはあった。
しかし、気づいたところで宇宙に帰れなかった私は、どうやら、やっぱり人間らしい。
過去を振り返ってみると、小学生の頃の私は、紛れもなく人間だった。
しかも、思ったことをすぐ口にする子だった。挙句の果てに他の子と比べても極端に空気が読めない子だった。
私が思ったことを口にするだけで問題が勃発することが少なくなかった。今を生きる子だったら発達障害の検査をしていただろうけど、残念ながら35年前は発達障害という概念そのものが無かった。
当時、父は多忙を極めていたので、小学生の頃の私は父が家にいた記憶が全くない。
母は今でいう「ワンオペ育児」そのものだった。今のようにスマホもなくて父がいつ帰宅するか分からない状態をずっと待ち続けながら子どもを育てるのは、今の時代に子育てをしていて、LINEで「これから帰ります」と夫から逐一連絡を受けている私からすればものすごいストレスだったと容易に想像できる。
母の親兄弟は近所にいたのだが、とある新興宗教に入信し熱心に活動していたため、ちょっとでも愚痴を漏らそうものなら私たちもろとも入信させられるという警戒心がむき出しになっていた。実際問題、母の体調が悪くて祖父母の家に預けられたとき、私は伯母からその宗教がどれだけ素晴らしいかをよく聞かされた。そして、帰宅した私がその宗教の人が日常的に唱える言葉をつぶやくようになったので、母が文句を言いに行っていたことを今でも鮮明に覚えている。
そんな中、人付き合いが得意ではなかった母は孤独を深めていき、愚痴相手やストレスのはけ口はもっぱら子どもである私や弟になる。ほかに愚痴を吐く人がいない中、溜めに溜め込んだ気持ちが漏れてしまって私につぶやいた一言を、私が空気も読まずにあちこちで喋って回ってしまうのだから、母の立場としてはやるせなかったであろう。
そんな私に向かって、母はどんどん不機嫌になっていった。母に頼まれてスーパーに買い物に行った私が間違えて違うものを買ってきただけで、1日中文句を言われたこともある。
母が不機嫌になった時の表情を今でもはっきりと覚えている。
小さかった私は自分が生きていくために、母が不機嫌にならないように「言動を大幅にセーブして生きる」という術を身に着けて、自分の痛みを回避することしか思いつかなかったのである。
とはいえ、大人になった私がずっと「心を殺して」生きていく必要もない。そんなことに何十年も気が付かずにここまで来てしまっていた。いや、数年前からうすうす気づいてはいる。しかし、そこに手を付けると「これだけ心を殺して頑張ってきた自分を認めろ」と自分の中にいる小さい自分が暴れだすのである。この小さい私が非常にやっかいで、今まで何度となく私の再出発を邪魔するのだ。そのたびに私は「邪魔するんじゃねぇ、コノヤロー。すっこんでろ、ゴルァ」と再び蓋をしてしまっていたのでやっぱり何も変わらなかった。
そろそろ、あの時の最善を尽くして頑張ってきた、母と私を心の底から労おう。
そろそろ、小さい私の頑張りを認め、あの状況の中頑張ってきた不機嫌だった母も許していいのではないだろうか。
心を感じ、感情を表現することに許可を出してもいいのではないだろうか。
やることはいたってシンプル。
「何らかの方法で表現をすること」を自分に許可すればいい。
こんなことを書いたら批判されるのではないか、こんなことを書いても誰にも分ってもらえないのではないかという心のブレーキを外すと自分で決めるのである。
その過程で、がっちり梱包された心の荷物に気づいたら、その正体を調べてひとつひとつ紐解き、必要のないものは手放していけばいい。
言葉で表現するためには相応の表現力も必要である。表現と言えば、小説は表現のオンパレード。小説を読まないから表現のレパートリーが乏しいといわれている私だが、少しずつ小説も読んで心を揺さぶる練習をしたい。読み切れなくたっていいじゃない、短編からだっていいじゃないと自分に許可を出せるようになった今なら、小説だってきっと読めるはず。
さあ、あの時の母と私を解放して、出来ない自分の言い訳にするのはそろそろやめようか。
***
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