母の難病といつかの終わり
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記事:藤田多朗(ライティング・ゼミ日曜コース)
ある日突然、母は身体の違和感を訴え始めた。
父が脳内出血で入院し、母は勤め先から病院へ向かう生活が始まっていた。
そんな時に母は歩行の際、下肢と腰に力が入りにくくなり、徐々に歩くだけで疲れてしまうようになって行った。
何件か病院で診てもらっても原因がいまいち分からず困惑していた。
当時の私は、マッサージの学校へ通っていた為、良く母にマッサージをしていた。母の下肢の抵抗力がなく力が入らなかったことを今でも覚えている。
病院でも分からないならと鍼灸、知人から紹介された整体、整骨院、様々な民間療法を試したがいっこうに良くならないでいた。日に日に歩けなくなる母親を私は車で良く送り迎えをしていた。
そんなある日、鍼灸のある医院で血圧を測ると上の値が200mmhgと高く、そのまま総合病院へ行って検査を受けることとなった。
今までは、整形外科での検査で原因がわからなかったが、神経内科の検査で難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)と判明した。
ALSとは何らかの原因で運動神経に障害を持ち筋肉に指令を出せなくなって筋肉が徐々に衰えていく病気である。
一時アイスバケツチャレンジといったALSの研究のための支援が社会問題となった事を覚えている人は多いのではないだろうか。
有名人では物理学者のホーキング博士がこの病気であった。
進行度合いによっては何年も生きていける可能性があるがその分、家族の協力と理解が必要となってくる。
母の病気を知った私はあまりのショックと今後の不安に苛まれた。
母のみならず父も病気、私はと言えばまだマッサージの学校が1年以上残っている。兄は東京、姉は嫁いで家庭と仕事を持っている。
私に重い重圧がかかっていた。
幸いなことは父の年金、母の傷病手当などお金の心配がなかった事と区役所や福祉事務所などを訪ねて使える制度は徹底的に使う事が出来た。
母の病院と父の病院、学校といった生活が始まった。仕事もしていたが結局やめることとなった。そんな生活が三か月した頃、母が退院しなければいけなくなった。
ここから在宅で母の介護が始まった。
歩いての移動はまだできた母だが徐々に少しの移動にも息切れをするようになっていった。そして部屋の中の段差につまずくようになり、歩行器や室内用車椅子、要所要所に手すりを取付けトイレも改修工事を行うのだが病気の進行が早いようで追いつかなくなっていった。
次第にトイレも部屋にポータブルトイレを入れるようになり私は母の様態が分かるように隣の部屋で寝ることとした。
母の身体が思うように動かないことで夜中にブザーで起こされることが度々おこるようになっていった。
息が苦しくなって病院に駆け込むこともあった。
そして時間を見つけては父の病院へ様子を見に行った。
母に言わせれば私の表情は常に強張っていて目つきがするどかったと言っていた。私自身気持ちに全く余裕がなかった。
母の退院が学校の夏休み前だったのでまだ救いようがあったがその休みも終わろうとしていた。
学校は夜間でその間、介護ヘルパーに来てもらうことになった。
我が家は、介護ヘルパー、訪問看護師、ケアマネージャー、医師、作業療法士、マッサージ師など絶えず人が来るようになっていた。
そんな生活が2ヵ月程経って母の病状も日に日に進行していき、病院へ再入院することとなった。
またその病院から難病患者を受け入れている病院へ転院が決まり、そこで母の新たな入院生活が始まることとなった。
母の様態は口から食べ物が食べられなくなり胃から直接栄養を摂る胃ろうの手術、そして呼吸が出来なくなることから人工呼吸器を装着するための気管切開の手術を受けることとなっていった。
当初はストレスからバケツ一杯の血の混ざった汚物を吐いたと看護師さんから聞いたが、少しづつ入院生活に馴染んでいった。
そこでの入院生活ではパソコンを使うことが出来るようになっていった。
特殊なソフトを入れたそのパソコンで色々な人に手紙を書き始めた。そして以前習っていたコンピューターグラフィックスの作品も作り始めた。何より習っていた教室でのグループ展で発表する事が母の励みとなった。
マウス自体動かせないが初めは指先の少しの力がクリック代わりとなり、進行するに連れ目蓋、頬、唇などに代わっていった。
そして遂に自力でのパソコン操作は出来なくなった。
その後、母のパソコンは寝る前の映画鑑賞用になっていったがそれも目が疲れる事から見なくなっていった。
受け答えは文字盤を使った目の動きで行う事となっていき、ついにはそれすらできなくなっていった。
それでも脳の血流の量でわかるソフトをパソコンで使って「はい」 「いいえ」の意思表示をすることとなった。
母はALS発病後約4年で息を引き取った。
母の最期は肺炎にかかり二日間昏睡状態が続いた。父は入院中であったが、兄、姉、私と子供三人揃って見送ることができた。
母は友達が多く、若い人の面倒見もよかった。
母の葬儀には多くの人が訪れた。
初めは見えないゴールに戸惑い不安しかなかった。
そもそもゴールって何なんだろう。
亡くなる事? 新しい治療によって再起を果たすこと?
ただ息子の私は全力で生きようとする母を最後まで応援する事を心に決めていた。
母の病気で多くの人と関わり助けてもらった事を心から感謝したい。
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