1964に有ったもの。2020に足りないもの《2020に伝えたい1964》
2021/06/16/公開
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
〈始めに〉
やっと、第32回近代オリンピック東京大会が、1年遅れで始まろうとしています。
一昨年に本連載を開始して以来、まさかこんな事態が生じるとは夢にも思いませんでした。
それでも、読んで下さった皆様の御蔭で、ここまで書き続けることが出来ました。
誠に有難う御座います。
1年前の予定通り、今回より通常編に戻り、57年前の1964年に開催された第18回近代オリンピック東京大会の想い出を書き綴ります。
今回を入れて後3回のスプリントレースですが、無事ゴールさせます。
宜しく御願い致します。
『一般国民の開催支持が少ない』
開催間近にもかかわらず、日本・東京が盛り上がりに欠けていると連日マスメディアが報じている。
しかしこれは、今に始まったことではなく、第32回オリンピック開催地各都市の検討会議でも、東京における一番の懸念点は、国民の支持が低いという点だった。
実際には、そんな心配とは関係なく、ライバル都市のマドリード(スペイン)とイスタンブール(トルコ)を圧倒して、開催都市は東京に決定した。
話は57年前にさかのぼる。
21世紀となった現在では、1964(昭和39)年に開催された第18回オリンピック東京大会は、熱狂的国民の支持の下(もと)で開催され、大成功の内に閉幕したと思われている。
ところが、それは間違いだ。私の様に、当時の社会背景を知らず、オリンピックの華やかさだけを記憶に残した、年寄りの戯言(たわごと)に過ぎないからだ。
実際には、オリンピック開幕直前迄、
「大規模な運動会の為に、無駄な予算を使うな」
と、心無い意見も頻発していたことを、私は最近の調べで知ったのだ。
それもそうだろう、戦争が終わってまだ19年しか経っていなかったのだ。荒廃した東京の街は、全てが復興したとは言い切れなかった。
戦争を全く知らない私でも、戦争の傷跡は目撃している。
私が育った東京の下町・江東区は、戦後復興が十分に完了してはいなかった。
焼け野原に建てられた『復興住宅』という木造の長屋が未だ残っていた。そこは、風呂が無かったばかりか、住宅内に水道も敷かれてはいなかった。焼け出された下町の低所得者層は、それでも文句を言わず暮らしていたのだった。
それに比べれば、昨今の災害時に建てられる避難住宅は、まだまだマシな方かもしれない。
また、よく解らないが、何もない広っぱが、街の真ん中に在ったりもした。その真ん中には、半径30m・深さ30cm程の大きな穴が開いていた。雨が降ると、巨大な水溜まりとなる厄介なものだった。夏に為ると水溜まりにはボイウフラがたかり、その後、蚊の大群と為って襲って来たものだ。
特に、海抜0mの下町だった為、大雨が降ると直ぐに河川(運河が多い)が氾濫し、水が引くと保健所の職員が、白い薬剤を町中に散布して回っていた。勿論、その水溜まりにも。
DDTだ。
現代では、人体への危険性から使用を禁じられている薬剤だが、昭和中期迄は平気で撒かれていた。丁度、終戦直後、浮浪していた身寄りのない子達が、頭から掛けられていたものだ。
他にも、戦争で手足を失った傷痍軍人が、繁華街に出没し物乞いをする光景が珍しくは無かったのだ。
そんな状態だったので、復興に予算を優先せよという意見には、正当性が有ったものと思われる。
日本全体が、未だ未だ貧しかった時代だった。
当時私は、就学前の5歳の幼稚園児だった。だからかもしれないが、前回の東京オリンピックが開幕(10月10日)する1964年の秋口迄は、殆どオリンピックを意識しなかった。
それでも、夏休みが終わるころに為るとテレビ報道がオリンピック一色となり、雰囲気が盛り上がった記憶がある。その頃、家業の関係で商店街に住んでいたことも有り、通りを挙げて“オリンピック・セール”を開催した写真が残っている。
戦災の傷跡が残る下町からでも、東京の街が新しく生まれ変わろうとしているのが解かった。
国立競技場は既に改装済みだったが、新たに完成した代々木や駒沢の競技場、開通した首都高速道、そして、“夢の超特急”と呼ばれた新幹線等は、子供心に何がすごい事が行われようとしているのが理解出来たものだった。
情報や教育が少なかった時代、幼稚園では毎日のように世界各国の国旗を教えてもらっていた。園児だった私は、それを画用紙にクレヨン書きした。
教育の効果は覿面(てきめん)で、私は5歳にして星条旗(アメリカ国旗)には50個の星が段違いに並んでいることを覚えていた。フランス・イタリア・ベルギー・オランダといった三色旗の国々も、その違いを57年前に覚えたものだ。
これらは、1964年という時代ならではことといえよう。
何も無かったところに、新たな建築物やインフラ、そして情報や教育が施されたのだ。
否が応でも、何か大きなことが起こると感じられたのだ。
そしてそれ等が、『東京オリンピック』開催の為と知れば、5歳児でも十分に理解出来たのだった。
2021年の今日、物質的には57年前と比べ物にならない豊かさの日本・東京。
国立霞ヶ丘競技場だけは建て替えらえられ、新競技開催の為に幾つかの施設は建てられた。しかし、インフラは世界に誇るものが既に在り、新たに目立つものは追加されてはいない。
情報は、瞬時に世界中から集まる時代だ。何を見聞きしても、驚くに値するものは少ない。
1964年当時、競技場以外で観客が集まり応援することは想像が付かなかった。しかし現代では、PV(パブリック・ヴューイング)の手法で、世界中どこでも集団で選手を応援することが可能と為っている。
ところが、肝心のPVは、“密に為る”とのことで開催出来ないでいる。
非常に残念だ。
その驚きの少なさが、今回の東京大会の気運を今一息盛り上げられなかった原因なのではと、私は考えざるを得ないのだ。
この一年、私は近代オリンピックに関する文献を可能な限り調べてみた。
その中に、1948年に開催された第14回ロンドン大会に関するものが有った。
1944年に開催が決定していたものの、戦争の為中止となり繰り越して開催された大会だ。
本連載の他稿にも記したが、日本選手団は戦争の責任を取らされて参加が許されなかった大会だ。
その第14回ロンドン大会に関するものの中に、今回の第32回東京大会に似た状況と思われる記事を発見した。
記事を書いていたのは、40代半ばの新聞記者だ。彼は、
「私は6歳の時、第4回ロンドン大会(1908年)を観戦している。第13回大会(1944年)の開催が決まった時は、再びオリンピックを観戦出来ると喜んだものだ。
しかし、第13回大会は戦争の為に中止されてしまった」
と、綴っている。続けて、
「4年後に開催された第14回大会開催に関しては、懐疑的な気持だった。
何故なら、競技施設は何とかなったものの、その周辺のロンドンの街は、戦争の傷跡が残っていたからだ。
私は気分を取り直し、それでもオリンピックはやるべきと思った。
ナチの爆撃機から逃げ惑うより、ずっとマシだと考えたからだ」
と、記していた。
何だか私は、今の心境に近いものを感じた。
また今度は、2012年に開催された第30回ロンドン大会時のインタビューも発見した。語っていたのは、70歳代の老婦人だ。ロンドン生まれの彼女は、
「前回(第14回1948年)のロンドン大会の時、私は小学生でした。家に有ったラジオの前で、必死に応援していました。
劣悪な施設と、不足する物資の中、英国選手達は立派に競技したと思います」
と、語った。また彼女は、観戦に訪れた第30回大会の競技場で、
「前回から64年経って、今回は、施設も物資も十分に有ります。
ロンドンの街だって、見違える様に綺麗に為りました。
長生きして良かったと思います。地元でのオリンピックを二度も観ることが出来たのですから」
と、嬉しそうに語っていたという。
私はこのインタビューを読んで、こんなことを考えた。
新型肺炎ウイルスという未知の病禍に邪魔された、今回の第32回オリンピック東京大会。
嘆いていても仕方が無い。
ネガティブな意見を言ったところで、何の解決も無い。
ただし、日本人として晴れがましい気分には為ることが無いのも事実だ。
しかし、開催を返上したり中止されるよりはずっとマシな筈だ。
再び東京にオリンピックがやって来るのは、50年後に為るか60年後かは解らない。確実なのは、私はもう二度と東京で開催されるオリンピックを観戦出来ることは無いことだ。
ここは一つ気分を変えて、誇らしい東京オリンピックは、現代の子供達に託すことにしよう。
今回の、やや不十分なオリンピックを経験した日本の子供達に、次に開催されるであろう東京オリンピック時、この第32回大会を是非語り継いで頂きたい。
丁度、ロンドンでインタビューを受けた御婦人の様に。
《以下、次号》
❏ライタープロフィール
山田将治(Shoji Thx Yamada)(READING LIFE公認ライター)
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
天狼院ライターズ倶楽部湘南編集部所属 READING LIFE公認ライター
5歳の時に前回の東京オリンピックを体験し、全ての記憶の始まりとなってしまった男。東京の外では全く生活をしたことがない。前回のオリンピックの影響が計り知れなく、開会式の21年後に結婚式を挙げてしまったほど。挙句の果ては、買い替えた車のナンバーをオリンピックプレートにし、かつ、10-10を指定番号にして取得。直近の引っ越しでは、当時のマラソンコースに近いという理由だけで調布市の甲州街道沿いに決めてしまった。
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