ゼミ

遺影写真を探すことなんか、何度もあることではないけれど。


 

記事:松下広美(チーム天狼院)

 

家の中の写真という写真をかき集めた。
アルバムが何冊かと、大きめのお菓子の箱いっぱいに写真があふれた。

どれにしようか。
最近の写真ないよね。
これは若すぎる。

あれこれ言いながら、母と弟と写真を選んでいた。
7年ほど前の、あと何日かでお正月だという夜のことだ。


父の遺影の、写真を選んでいた。


私たち兄弟の写真は、学校での写真や友達からもらった写真など、その時代時代の写真はある。
でも、家族の写真は少なかった。特に父の写真は。

カメラ、というものが家には存在しなかった。正確にいえば、父がポラロイドカメラは持っていたけれど、「撮る」という習慣はなかった。たまにある写真は、すごく昔の、父の頭に毛がふさふさしている写真か、民生委員で行った旅行での集合写真で、後ろの端っこの方に写っているものだった。
結局、遺影にした写真は、たぶん使い捨てカメラを現像に出したくて、余ったフィルムで撮った何気ない表情を撮ったものだった。
家族の誰も持っていなかったカメラだけど、私は友達が使い捨てカメラを持てば私も持ったし、友達が旅行にデジカメを持っていくというのを聞いて、私も買った。

いつしか自分でも「撮ること」に興味を持つようになり、レンズを交換できるような立派なカメラも持っている。
でも、やっぱり撮るのは、家の外での写真。
家の中で撮ったとしても、ペットである犬や猫の写真。
家族を撮ることは、ないに等しい。

例の「ファミリー・レコーディング講座」の業務命令が出たときに、講座のカリキュラムを見ていると、「写真」も残すうちのひとつだと書いてあった。
どんな写真を撮ればいいのか、改めて「撮らせて」なんていったら、母は口を真一文字に結んだ免許証の写真のような表情になるんだろうなって思った。


父の遺影の写真を選んだときを思い出す。

目的は「遺影の写真を探す」ってことだったけれど、一枚一枚写真を見ながら、

「この写真って、何年前?」
「お父さん、こんなに髪の毛あったの?」
「生まれたときから禿げてたわけじゃないでしょ」
「これ懐かしいね」
「どこ行ったときのだっけ?」
「Hさんたちと旅行に行ったときじゃない?」

時には笑い、時には涙を流しながら、思い出話に花が咲いた。


だれかの遺影写真を探すことは、できればしたくない。
でも、そのときのように、いろいろな思い出話をすることは何度しても、楽しくて面白い。

まずは、デジカメやスマホに入っている写真から、家族が写っている写真を探すところから、はじめようかな。
そうして集めた写真を見ながら、みんなで楽しくお喋りも、できるかな。


まもなく発表!

 

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