READING LIFE2017号無料公開

本屋だけど紙の本を絶滅させる方法を真剣に考えてみた。《READING LIFE2017年夏号第1特集「本の再定義」》


この記事は、2017年に発行された雑誌『READING LIFE2017年夏号』に掲載されたものを加筆修正してお届けしています。202111月の雑誌『READING LIFE』復刊を記念し、雑誌『READING LIFE2017年夏号』に掲載された記事の一部を無料公開中です。発売を楽しみにお待ちください!

 

❏電子書籍に本気で参入しようとしていた


実は数年前、僕は真剣に電子書籍に参入しようと考えていた。
様々リサーチして、日本の電子書籍のパイオニアのような方にも会って、確信したことがあった。

これから、5年間、電子書籍がブレイクスルー・ポイントを迎える可能性は極めて低い。

とてもがっかりしたことを覚えている。
黎明期に本格的に参入して、面白いことを連発すれば、勝てると思っていたのだ。

それは、天狼院書店をオープンさせる前の年のことだったので、2012年の終わり頃のことだったろうと思う。
今は2017年だから、あの日想定した5年が経ったということになる。だが、予想通り、電子書籍は当初思われていた、出版界が戦々恐々としていた規模のブレイクスルーを得られないでいる。
僕も、発売日にキンドル・ペーパーホワイトを買って、新しい時代の幕開けを楽しもうと思ったのだが、そのキンドルは、今やどこに行ったかすら定かではない。

ともかく、僕はその自分の仮説を信じてリアル書店をオープンさせた。
逆に、僕が「安全期間」と設定したその期間内に、天狼院を全国に10作ることに決めた。

その計画通りに、今、僕は経営を進めているわけだが、今、様々な大手企業とのコラボレーションの話が舞い込んできて、事業が本気の拡張期を迎えるに当たり、本気で紙の本について考えてみようと思った。

 

❏紙の本の優位性はどこにあるのか?


これから、とりとめのない思考実験をしてみようと思う。

本屋の立場から、紙の本の良さを上げていったら、きっと情緒的なノスタルジックな懐古主義的な話になって、そこに「顧客」が不在になることは目に見えている。時間の無駄である。

そうではなくて、ある種のインベーダーとして「僕が電子書籍業者なら」、と仮定して、とてもとても「しぶとくて」邪魔である紙の本を絶滅させる方法を真剣に考えてみようと思う。

そう、紙の本は、実にしぶといのだ。iTunesの登場によって、CDはほとんど壊滅状態である。握手券とか何らかの付加価値をつけなければ商材として「ダウンロード」に太刀打ち出来ない。だから、本屋以上に、CDショップは壊滅的である。その「物」としての小売市場の縮小が、怖くなるほどに早い。

それが、本の世界にも起きると多くの人が考えた。
僕もそうだと思っていた。

ところが、本はしぶとい。
なかなか、絶滅危惧種にはならない。

本は「物」として、際立っている。
美しい。
インテリアの中でも、不可欠な存在になる場合がある。

そして「積ん読」においては、キンドルの中で積むよりも、やはり、物理的に積んでいた方が精神的に圧迫感がある。
また「物」として出会った時に「所有欲」を喚起させる。それは、つまり、娯楽としての買い物という側面において、「物」としての本は圧倒的に有利であるということだ。

また、物理的にドッグイヤーできて、物理的に書き込めて、物理的に読書進度を確認できる。
つまり、体験としての「読書」が可能となる。

翻って考えれば、電子書籍は、その点を追求しても本末転倒になるということだ。
意味が無い。

せっかく「車」という新しい可能性として世間を席巻しようとしているのに、それは例えば「馬の毛艶」にこだわっているようなものだ。

 

❏電子書籍は「車」なのに「馬」を目指している


アプローチと、電子書籍とは何なのかをもう一度考えなければ、このまま、多くのキンドルは再び電源を入れられずに、小さなチップの中で、本を模したそのデータは永久に失われてしまうことになる。存在しなかったことにもなりかねない。

ならば、どうすればいいか。

まずは、もはや、「馬」であることにこだわるべきではないということだ。

「電子書籍」という名前に引きづられて、まじめに「書籍」を目指すくらいばかげたことはない。

メモとして書き込むのも、マーカーを引くのも、リアルの紙に敵うはずがない。
それは、機械で馬の毛を作るのは難しいのと同じことだ。

また、たとえばキンドルなら、旅先に数千冊の本を持って行くことができるという概念を、僕も真に受けて、それはいいと当初は思ったが、冷静に考えてみるとわかるはずだ。

旅先で読める本は、1冊か、せいぜい2冊くらいなものだ。

それくらい、バッグに入れても、キンドルとさほど変わらない。

極めつけで意味がわからないのは、本屋で電子書籍を売るという判断だ。
これ、本当に大人が真面目に考えてやっているのだろうか。

だれか「あれ?」と気づかないのだろうか。

電子書籍の利点は、書店がなくてでも本が買えることなのに、本屋で買えば本末転倒ではないか。

そこに、書店の既得権とそれに気を使わなければならない取次や出版社の慮りがあったとしても、「顧客」は完全に不在である。

つまり、どこもかしこも誰も彼もが、せっかくの新しい可能性を「車」の利点を高めるのではなく、「馬」に寄せようと四苦八苦しているようにしか見えない。

まるで、喜劇だ。喜劇は行き過ぎると悲劇と化す。

 

❏電子書籍アントレプレナーが生まれなかった理由


電子書籍が、しっかりとした産業として伸びなかったもっとも大きな理由は、国かどこかが、震災に関連して、ジャブジャブと補助金を出したことにあると僕は勝手にみている。

いつだって、どこの世界でだって、新しい世界を切り拓くのは、フロンティア・スピリットだ。
そして、そのフロンティア・スピリットを最もダメにしてしまうのは、補助金など、政府系のお金である。

たとえば、逆に紙の書籍の方に、補助金をジャブジャブとつぎ込めばどうかと考えてみる。
電子書籍をものすごく冷遇して、紙を信じられないほどに優遇すれば、きっと、そこに本物の電子書籍アントレプレナーが現れる。

そう、ひとつの仮定として、紙の書籍に補助金をジャブジャブとつぎ込めば、紙の書籍の業界は清朝の末期ように「アヘン」中毒になるので、絶滅により近くなるだろう。
そのときに、おそらく、業界は「売れないコンサルタント」に蹂躙されて、書店に本当のビジネスマンがいなくなる。
そして、補助金が尽きたときに、その業界は一旦、荒野になる。

しかし、それでもなお、本がそうやすやすと滅びるとは到底思えない。
しぶとく、灰の中から救い出されて、まるで『火の鳥』のように蘇るように思えてならない。

なぜなら、CDはデータが込められた媒体に過ぎないが、本は「物」である側面が非常に強いからだ。
「物」に人は、強烈な愛着を抱く。

たとえば、10年後に押入れから出てきて、涙が溢れて止まらなくなるのは、電子データではなく、古びたアルバムである。
この需要はそう簡単に消せるものではなく、「車」が普及しても「馬」が絶滅するはずがないように、きっと「本」も未来永劫生き残る。

絶滅しきれるはずがない。

たとえば、焚書坑儒があったとしても、本は「物」として蘇る。
それこそ、なお、強靭によみがえる。

美しい装飾を身にまとい、電子データとは圧倒的に差別化された「物」として、人々の「所有欲」を刺激するだろう。
そう、壊滅と淘汰をくぐり抜けたときに、今以上に「本」は高価なものとなる。「紙の本」を出版することがステータスとなる。

まもなく、そんな時代が来る。

 

❏電子書籍が伸びる可能性


だとすれば、電子書籍が伸びる可能性とは、どこにあるだろうか。
おそらく、電子書籍が伸びたとしても、紙の書籍は淘汰されることはない。絶滅させることはできない。

しかし、すでに紙の書籍の淘汰が進んでいる部分がある。地図や時刻表、グルメガイド、テレビガイドなどの分野に顕著である。
インターネットの普及と生活様式の変化がもたらした、それは「必然的縮小」というものだ。

じつは、それは広義の意味での「電子書籍」が侵食したものだと僕は見ている。
そう、「馬」を目指さない、本質的な意味での「電子書籍」は、キンドルの中には存在しない。
もはや、我々が誰もが持つ、スマホの中に、散りばめらているのだ。

そう、本質的な意味での「馬」に対する「車」としての「電子書籍」は、何も、256ページの体裁をとる必要がないのだ。

1ページであっていい。

Googleマップであってよく、食べログであってよく、Yahoo!経路検索であってよく、地上波デジタル放送における番組表であっていい。

つまり、ネットの世界においては、本はパッケージである必要がない。
我々が読む、ダイヤモンド・オンラインや東洋経済オンラインや日経ビジネスオンラインや現代ビジネスのひとつの記事は、すでに広義の意味での、本質的な意味での「電子書籍」なのである。

そう、すでに、我々が気づかない間に「電子書籍」革命は成就していたのだ。

紙の本ではできないことを、それらはもうすでに成し遂げている。

つまり、「書籍」を目指している「電子書籍」は、結局は良くて「付録」や「参考資料」、「パンフレット」の位置づけにしかならないだろう。
紙の書籍を買って、必ずついてくる付録としての役割ならば、いくらかある。

また、エロやグロなど、「物」として買いにくい分野には浸透して行き、「馬」としての「電子書籍」のほとんどのキャッシュポイントは、そこに集約されていくだろう。ここでしか、「物」としての書籍や、「車」としての「電子書籍」に対抗することはできない。

もはや、名前すら忘れたが、セカンドなんとかという仮想世界が世の中を席巻するのではないかと言われたことがあったが、ほとんどの人が「ああ、あったね」くらいにしか思い出せないだろうと思う。

「馬」としての「電子書籍」は、まさにその方向性である。

ネットの世界は、現実とは違うところでその利点を活かさなければならないのに、セカンドなんとかはリアルな世界をネットの中に作ろうとした。
あれではなく、サイバーエージェントのピグの方がはるかに流行った。自分をデフォルメできるのは、リアルでは難しく、ネットではたやすい。その利点を活かしたからだ。

つまり、滅びる可能性が高いのは、実は紙の書籍のほうではなく、むしろ「馬」としての「電子書籍」のほうだと僕は確信して思うのだ。

そして、それ以上に、「車」としての「電子書籍」がこれからも両者をとてもつもない勢いで侵食していくだろう。

これが僕のとりとめのない思考実験の結論である。

 

 


■プロフィール
三浦崇典(Takanori Miura)
1977年宮城県生まれ。株式会社東京プライズエージェンシー代表取締役。天狼院書店店主。小説家・ライター・編集者。雑誌「READING LIFE」編集長。劇団天狼院主宰。2016年4月より大正大学表現学部非常勤講師。2017年11月、『殺し屋のマーケティング』、2021年3月、『1シート・マーケティング』(ポプラ社)を出版。ソニー・イメージング・プロサポート会員。プロカメラマン。秘めフォト専任フォトグラファー。
NHK「おはよう日本」「あさイチ」、テレビ朝日「モーニングバード」、BS11「ウィークリーニュースONZE」、ラジオ文化放送「くにまるジャパン」、テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず2」、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、J-WAVE、NHKラジオ、日経新聞、日経MJ、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、雑誌『BRUTUS』、雑誌『週刊文春』、雑誌『AERA』、雑誌『日経デザイン』、雑誌『致知』、日経雑誌『商業界』、雑誌『THE21』、雑誌『散歩の達人』など掲載多数。2016年6月には雑誌『AERA』の「現代の肖像」に登場。雑誌『週刊ダイヤモンド』『日経ビジネス』にて書評コーナーを連載。

この記事は、2017年に発行された雑誌『READING LIFE2017年夏号』に掲載されたものを加筆修正してお届けしています。202111月の雑誌『READING LIFE』復刊を記念し、雑誌『READING LIFE2017年夏号』に掲載された記事の一部を無料公開中です。発売を楽しみにお待ちください!

 

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2021-08-26 | Posted in READING LIFE2017号無料公開, 記事

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