折り鶴が教えてくれたこと~患者さんの元へ足を運ぶのが怖かったあの時の私へ~
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記事:林明澄(ライティング・ゼミ日曜コース)
「お母さん、私医者に向いていないのかもしれない」
医学部5年生だった私は、横で運転する母にそう言った。やっとその言葉を絞り出した私の目には、涙が浮かんでいた。
その数日前、私は耳下腺腫瘍の手術の後遺症で片側の顔面神経(顔の表情をつかさどる神経)麻痺を負ったご高齢女性を受け持たせてもらった。再発に対して化学療法を行うための入院だった
その患者さんのお部屋に伺った際、鏡を見て垂れ下がった頬を指で持ち上げながら彼女は私にこう言った。
「こんな風に(麻痺)なってしまって……。醜いわよね」
その瞬間、私は頭が真っ白になった。この方は、命に関わる悪性腫瘍にかかって、完治を期待して手術を受けたのだろう。けれど、手術で後遺症を負い、腫瘍は再発してしまった。
この人の痛み、苦しみは相当な物だろう。それに寄り添える言葉は何だろうかと、私は必死で考えた。
「醜くなんてないですよ」「大変でしたね」「醜いと感じられるんですね」
相手の力になりたいと強く思うのに、思いつく言葉はすべて浅くて、薄っぺらかった。どの言葉も相手の心を癒してくれるとは思えなかった。
学生時代に習った「それはお辛いですね」という言葉(共感)も、目の前で実際に苦しんでいる人を相手にすると意味をなさなかった。
何といえばいいのか分からなくて、私は「いやいや」とだけ言った。その時の寂しそうな悲しそうな患者さんの顔は、今もなお私の脳裏に残っている。
その後、“寄り添いきれない相手の痛みに触れてしまったら“という恐怖を私は感じるようになった。加えて、そんな時に不用意な発言をして相手の心を傷つけてしまわないか、相手の大切なところに刺さってしまわないかという不安も抱くようになった。そんなネガティブな感情が、患者さんのもとへ足を運ぶ私の心に絡まりついた。診察と病歴聴取(病気の今までの経過を聴くこと)のために患者さんの病室まで行ったのに、そこで足が止まってしまって中に入れずUターンしたこともあった。
あれから1年、学生としてさまざまな患者さんに出会った後に、私は医師免許を取り研修医となった。患者さんと話す時の不安や怖さは消えたわけではなかったけれど、医師としての責任感と日々感じるやりがいが足を運ぶ恐怖を少しずつ緩和してくれた。
数か月前、私は精神科病院にて統合失調症の急性期の患者さんに出会った。彼女は、薬剤が効かず、統合失調症の症状が強く出て隔離(自傷他害のリスクがある場合に一時的に鍵のついた部屋に入院すること)している時期であった。
「研修医の林です。担当させていただきます。よろしくお願いいたします」
統合失調症の症状で何かにしきりに怯えていた彼女は、私の挨拶に「嫌です」と言い放った。その時、私の頭に学生時代に感じた“怖いな”という感覚がよみがえってきた。
その時期、彼女は食事や入浴を含め、何もかもを拒否していた。統合失調症の症状の一つに、被毒妄想(食事に毒を盛られていると考える妄想)があることを知識としては知っていたが、彼女の見えている世界、感じている事があまりに自分とかけ離れていて想像がつかなかった。世界すべてに怯える彼女に、どう声を掛けたらいいか、何を話したらいいかわからなかった。
不安そうな私を見た上級医の先生が、最初の数日は一緒に病室に行ってくれた。近づきすぎず遠すぎずの距離を保ち、聞き取れるくらいの声の大きさで、相手の目線と同じ高さにしゃがんで話すこと。患者さんが疲れてしまわない様に、簡潔に質問をすること。
その先生はいくつかのポイントを的確に教えてくれた。
彼女は、新しく始めた治療が奏功し、見る見るうちに症状が良くなった。病気であったことが嘘みたいに。
体調が良くなったあと、治療の一環で私は彼女とオセロや折り紙をした。時間を重ねる中で、彼女は私に不安や感じていることを打ち明けてくれるようになった。家族や病気のこと、今までの人生のこと、いろいろなことを教えてくれた。
私は、この方の抱える不安、違和感、悲しみをすべては理解できないけれど、もっともっと知りたいと思うようになった。この方が病気に影響されることなく社会で前向きに自分の人生を暮らせるよう、自分にできることがあれば、何でもしたいと思った。そう思うと、自然と次々質問が出てきた。
“怖い”と感じていた会話が、気づいたら自然なキャッチボールとなっていた。
その時も、私は彼女の痛みを聞いて、気の利いた言葉を返すことはできなかったと思う。けれど、毎日足を運び、「今、困っていることありますか?」「あなたの力になりたいです」というメッセージは伝え続けた。
その精神科病院での研修の最終日、彼女は1枚の折り鶴をくれた。そこには、「良い医者になりそう。がんばってね!」と書かれていた。
それを読んだとき、私は思った。
私は、誰かを傷つけてしまうかもしれない“怖さ”に怯え、それをコンプレックスに感じていた。けれど、その感情を大切にしても良いのかもしれない。もしかしたら、“相手の痛みを理解できた“と過信してしまう方が怖いことなのではないか。
そして、もう一つこの出会いを通じてわかったことがある。
人の痛みに触れた時、無理に寄り添う言葉を発しなくてもいいのかもしれない。痛みを理解しようとし、同じ時間を共有することこそが“寄り添い”なのかもしれないと。
「患者さんのベッドサイド(病室のベッド)へ足を運ぶのって楽しい?」
つい先日、私は研修医の同期にそう聞かれた私は、気づいたら「うん、楽しいよ」と答えていた。ずっと抱えていた“怖い“という思いは、今はもう消えていた。
私は今、医師として患者さんの話を聴かせていただき、何を感じて困っているのか考え行動する時間が好きだ。患者さんのことで気になることがあれば、仕事終わりの時間でも、私は患者さんの元へ足を運ぶ。
これからも、私は医療を行う中でいろんな感情を抱くだろう。悩みもがきながら、患者さまの人生にそっと寄り添えるお医者さんになっていきたい。
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