週刊READING LIFE vol.149

美味しいグレープフルーツの食べ方《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》


2021/11/29/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ゆりちゃん、グレープフルーツっていう果物があってなぁ、おいしいんやで」
 
私が小学生の頃、毎晩、仕事から帰って来た父は、夕飯の時にはまずは晩酌から始めていた。
普段、あまり口数が多い方ではない父も、大好きなお酒を口にするとよくしゃべっていた。
食べることが大好きだった父。
当時、珍しい食べ物や新しい食べ方には誰よりも興味があり、それを私たち家族も口に出来るようにしてくれていた。
 
ある時は、ゆで卵を立てる、エッグスタンドという食器を買ってきたのだ。
いつも見慣れた、ただのゆで卵のようで、その日の卵は半熟にゆでてあった。
それをエッグスタンドに立て、父はスプーンの背で優しくゆで卵の上の部分をたたきだした。
どうなるんだろうと、私たち兄妹3人は興味津々で父の手元に見入っていると、卵の上の方の殻が取り除かれてスプーンを差し込むと、トロっとした黄身と白身がすくい上げられたのだ。
そこに父は塩を少しかけて、美味しそうに食べたのだ。
これまでならば、ゆで卵を食べる時には机の角にぶつけて、ひたすら殻をむいてパクっと食べればおしまいだったのだが、その日のゆで卵はなぜか高級料理にさえ見えて来たのだ。
私たち兄妹も、父の真似をして同じように食べてみた。
すると、同じ卵でも、半熟でトロリとしていると、これまでとは全く違うお味のように感じた。
子どもながらに感動したのを今でも覚えている。
しかも、エッグスタンドにゆで卵を立てて、優しくスプーンで殻を割る所作がなんとも優雅で、それが大人の気分を味わえるものだから、あの感動は忘れられないのだ。
 
そんなふうに、とてもグルメだった父。
昭和40年代に子ども時代を過ごしていた私は、今のように簡単にモノを買い与えてもらうことはなかった。
ところが、食べ物に関してはとても贅沢をさせてもらっていた。
週末になると、家族みんなで中華料理をよく食べに行った。
父のお気に入りの中華レストランの個室を貸切って、円卓のテーブルに次々に運ばれてくる中華料理を家族みんなで美味しくいただいたものだ。
ある時は、父の通勤途中の駅にある、外見は古びた、きれいとは決して言えないような店構えの焼き肉店にも連れて行ってくれた。
今の焼き肉店とは全く違って、一歩店内に入ると煙がモクモクと出ているようなお店だ。
それでも、そんなお店の焼き肉が、これまたすこぶる美味しかったものだ。
あの日も、食べたことのないようなお肉の部位や、タレの味も格別で、兄妹三人でたらふく焼き肉を食べた。
 
そして、忘れられないのは、高校生になった時に連れて行ってもらったフグ料理店。
その店は、大きな街のいわゆる歓楽街の先にあった。
店に行く道すがら、これまで見たことのないような客引きや、夜のお商売のきらびやかな女性がたむろするようなそんな街だった。
そんな街並みを横目に、ドキドキしながらも、やっと到着したそのお店の客は、強面の世界の方たちも多いらしく、店内に入ってからもまたドキドキが止まらなかった。
そんな思いをしてやっとのことでありついたフグ料理。
多分、あの日が人生初のフグ料理だったのだが、この世のモノとは思えないほど美味しくて感動した。
父や兄はお酒を飲みながらゆっくりとふぐ刺しを食べているところ、私と妹はお箸でざざっと数枚のふぐ刺しを取って食べるものだから、思わず父も兄もお酒を置いて食べることに専念し始めたのが面白かった。
 
食べ物の思い出話は尽きないのだが、中でも一番印象的なのが、グレープフルーツだ。
確か、私が小学生に入った1970年代になって、グレープフルーツという果物が輸入され始めた。
ある日、父はとても大事そうに大きな黄色い玉のような果物を買って来た。
それはグレープフルーツという食べ物だというのだ。
「グレープ」というのに、紫色じゃないんだ、と子どもながらに疑問に思ったことも覚えている。
冷蔵庫でよく冷やしたそのグレープフルーツを、父はお風呂上りに包丁で横半分に切った。
中からは、黄色い大きな果肉があらわれた。
ところが、その当時のグレープフルーツはまだ酸っぱい味のモノが多かったので、父はグレープフルーツには食べ方があるんだと言っていた。
何をするのかと思って見ていると、その横半分に切ったグレープフルーツの表面に、グラニュー糖をスプーンでかけ始めた。
さらには、今ではちょっとあり得ないことだが、そのグラニュー糖の上にさらに洋酒をたらしだしたのだ。
何ともいえないその行程と、お酒までもがかかってしまった、その黄色い丸い玉のグレープフルーツにくぎ付けになった。
 
「これが美味しいんやで」
 
父は一人得意気な顔をして、私たち家族にそのグラニュー糖と洋酒がよくしみ込んだグレープフルーツの完成品をふるまってくれた。
一口食べると、グレープフルーツの酸っぱさがあって、その次にグラニュー糖の甘味とお酒の香り。
子どもだったけれども、そのお酒の匂いや味に抵抗はなく、むしろ、初めての体験に気持ちも身体もワクワクしながら食べたのを思い出す。
美味しいモノを一番美味しく食べようとして、子どもたちにさえ洋酒をたらしたグレープフルーツを与えた父のグルメの精神は、今でもスゴイなと思う。
 
ゆで卵にしろ、グレープフルーツにしろ、そんな仰々しい儀式のような食べ方のプロセスを、父が意気揚々と見せてくれるパフォーマンスも含めて、とてもワクワクしながら食べたことを思い出す。
 
そんな、食べること大好き、グルメだった父は私が高校二年生の時に初めてのガン、喉頭ガンになった。
声帯を取り、喉から気道を確保する大手術を受けた父だが、若い頃から美味しいモノを食べていたことで体力があり、身体の回復は早かった。
そして、退院後は、それまでにも増して父は美味しいモノ、食べたいモノを積極的にとってゆくようになった。
 
そこから16年間、父は何度もガンを患っては摘出手術をするということを繰り返した。
ガンになるたびに、長時間にわたる手術を受けるも、持ち前の体力で回復してゆく姿をずっと見て来た。
それでも、美味しいモノを食べている姿がとても嬉しそうで、毎回、心配をしながらも胸をなでおろす瞬間もあった。
そして、父の人生において最後のガンを患ったのは、私の娘が生まれて数か月後のことだった。
まだ幼い娘がいる私にできるのは、父の病院へ娘を連れてお見舞いに行くことぐらいしかなかった。
暑い夏の日、抱っこひもで連れて行った娘を、父の病室のベッドの上に寝かせたとき、ふと父が言った言葉が私は忘れられない。
 
 
「この時代に生まれた、この子が羨ましい」
 
父は、昭和4年生まれ。
ちょうど、戦前、戦中、戦後を生きて来た人だ。
特に、食べ盛りの子どもの頃から、ちょうど日本は情勢的に食べ物が不足していた時代だった。
食べたいモノも食べられず、平和への不安もある時代に生きて来たことは、今の時代と比べるととてつもなく辛いものだったと思う。
 
「美味しいモノを食べたい、食べたいモノを食べたい」
 
そんな思いが強くなった父の思いをそこで初めて知ることとなった。
これまで、自分の思いをあまり口にすることのなかった父が、人生の最期の時に私に告げたその言葉が私は一生忘れられない。
 
令和の時代の今、色々なことが起こる時代ではあるものの、それでも、物資に恵まれ、食の環境も豊かな今の時代の日本に生まれ育ったことはとても幸せなことなのだ。
 
父が子どもの頃に果たせなかった、美味しいモノを食べたいだけ食べるという夢。
その夢だけは、私は一生忘れず、そして私が果たしてゆこう、そう思った。
なので、他のことは頭で考え、手に入れることに躊躇することがあっても、食べることに関してだけは、「美味しいモノを、食べたいモノを食べる」という父の精神を忘れずに実践していっている。
それが、父への供養だとも思っている。
 
今でもグレープフルーツを横半分に切って食べる時、小学生の頃、初めて食べた黄色い大きなグレープフルーツを思いだす。
 
今では、オレンジ色のきれいなグレープフルーツというものが出来ている。
そして、グラニュー糖や洋酒をたらさなくても、すこぶる甘く美味しいモノとなっている。
それでも、あの小学生の時、父が私たち家族にふるまってくれた、黄色い酸っぱかったグレープフルーツの味が私は忘れられない・
 
 
 
 

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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