迷信やお告げから大きな不幸を回避する方法《週刊READING LIFE Vol.150 知られざる雑学》
2021/12/06/公開
記事:吉田みのり(READING LIFE 編集部 ライターズ倶楽部)
自分の身に起きたことや、見たこと、聞いたことに意味づけして、お告げのように感じることはないだろうか。
お告げと言うと少し違うようにも思うが、迷信というか、虫の知らせと言うか、第六感と言うか、見えない力が働いているような。
私は小さい頃に祖母や母に言われた迷信を今でも信じていたり守っているところがある。信じているとちょっといいことがありそうに思えたり、都合よく守れる部分だけなのだが。
例えば「茶柱が立つと縁起がいい」は、最近急須でお茶を淹れることが少ないためなかなかお目にかからないが、お茶を淹れるときは「茶柱立たないかな」なんて思いながら淹れると少し楽しかったりする。
また、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」は、「親の死に目に会えないなんて困る!」とかたくなに守っているというよりは(もちろん会えた方がいいけれど)、小さい頃からよく言われていたから習慣となっているところがあり、夜に爪を切りたいと思っても、よほどどうしても今切らないとならないという理由がない場合以外は切らないことにしている。
他にも「朝の蜘蛛は縁起がいい」はよく祖父が言っていたのだが、祖父は「朝蜘蛛は懐へ」と朝蜘蛛を見つけると捕まえて本当に自分の懐へぽいっと入れていた。蜘蛛は神様の使いだから懐へ入れると福も一緒に自分の中へ入るのだとか。祖父母の家へ遊びに行ったときに、朝ご飯中に蜘蛛が天井から食卓へ糸にぶら下がって降りてきたことがあり、その際に「懐に入れなさい」と言われ、その当時はまだその迷信を知らず、知っていたとしても虫が苦手な私はしなかっただろうが、祖父が「いらんのか」とその蜘蛛を懐へ入れていたことが衝撃でよく覚えている。その後にその朝蜘蛛は縁起がいいこと、神の使いだと教えてくれた。懐へ蜘蛛を入れるのは結局実践したことはないが、でも「蜘蛛は神の使い」という言葉が頭から離れず蜘蛛は殺してはいけないものとして今に至っている。
しかし、反対に自分の思いに沿わない迷信は一切信じないところもある。
子どもの頃よく友人たちが「あ! 黒猫見ちゃった!」と騒いでいたのにはまったく共感することなく、猫が好きだった私は「黒猫が前を横切ると縁起が悪いなんて迷信はうそ! そんなはずはない!」と気にしなかった。また「夜洗濯物を干すと死者の霊が憑く」というのも、子どもの頃は母が忙しくて夜に洗濯物を干しているのを見ると「怖いからやめてよ!」などと言っていたが、大人になり仕事の都合上夜に洗濯をするしかないことがあるようになってからは「そんなの迷信だから」と都合よく気にしなくなった。
こうやって迷信は自分の都合のいいように信じたり信じなかったりしているのだが、私は日常生活で起きた物事に対して「これはお告げかもしれない。虫の知らせ?」と思うことがあり、それは迷信を信じていることと似ているように思う。
例えばあるとき右目にヘルペスができてしまったときのこと。
すごく痛いわけではないのだが、目の奥にぐりぐりと違和感があり、まばたきすると痛みを感じたり、時折ピリピリと急激に痛くなる瞬間があったり、もともと頭痛持ちなのだが、目の痛みから頭痛も起きているような、不快な症状が続いた。しかし、目が腫れるとか充血するとか見た目の症状は何もなく、だから仕事やパソコンで疲れているのかな、という程度にしか思わず、目薬を差して対応していた。そして1週間ほどその症状が続いたあと、朝起きて鏡を見ると、右目の目頭にできものができていた。ものもらいだと思い眼医者に行ったが「ヘルペス」との診断だった。ヘルペスが口にできるのは知っていたが、目にもできるなんて知らなかった。ましてや、口にもヘルペスはできたことがなかったのに、いきなり目にできるなんて。
このときに、今までにない目の病気になったということは、よく物事を見なさい、今も自分や周囲の人や仕事のことなどしっかり見ていないのではないか? というお告げかもしれないと思った。
また、先日犬の散歩中のこと。
犬と暮らし始めて5年間、一度も散歩中に転んだことなんてなかったのに、しかもいつも通っている道だったのに、駐車上の入り口のスロープのところでずるっと滑って左側に勢いよく倒れて左ももの付け根と膝の外側を強打した。倒れ込んだ瞬間は「骨が折れたかもしれない!」と思ったものの、痛みはあったがすぐに立ち上がれ、何より車通りも多い道だったのだが、その転んだときはちょうど車は一台も通っておらず、また愛犬を下敷きにするとか巻き込んでしまわなくて本当に良かったと思った。しかし転んだことと痛みで意気消沈して、愛犬が進もうとするのも止めて踵を返し家へ戻った。
このときは、いつもと同じことをして失敗するのは慢心しているからではないのか、最近以前よりはストレッチなどをするようになって体に自信があると思っていたけれどそんなものでは足りないのだ、年齢的にももっと体を大切にしなさいというお告げかもしれないと思った。
私はいつも何に対しても意味づけしたり、スピリチュアル的な視点であったりは特にないのだが、でもなぜか昔からこうやって何かあったときに、「気をつけなさいということだ」とか「自分の行いを改めなさいということだ」と思うことがある。
しかし何も起こらず考え過ぎだったと思うこともあるし、気をつけたから不幸を回避できたのかもしれないし、「このことにつながっていたのね!」と思うこともある。こじつけだったりすることもあるが。
そういう風に意味づけをしないことも多く、そう思うときと思わないときの差は、迷信を都合良く信じたり信じなかったりしているのと似ているように思っている。
そして、今回のこのお告げは思い過ごしだったのか、そうではなかったのか、不幸を回避できたのか?
まず目のお告げについて。
処方された軟膏を塗り始め、痛みは2~3日で治まったのだが、赤身や腫れがなかなかよくならなかった。
そんな中、我が家には犬の他に猫もいるのだが、ある夜猫の左耳の下あたりに1㎝×2㎝くらいの大きさで毛が剥げて、傷になって血がにじんでいるのを見つけた。
あれ! 昨日はなかったような。毎日なでて体を触っているのに、昨日の夜にはまったく気が付かなかった。今日の昼間にできたのか? でも急にこんな大きさの傷ができるだろうか……。
これが、物事をよく見なさいというお告げだったのか? もっと毎日念入りに猫との時間を大切にしてよく見ていれば、もっと初期段階で見つけられたのかもしれないと思った。
私の目の不調から飼い猫の傷を発見するまでには1週間以上あったが、もしかしたらお告げを感じたときにもっとよく見て観察していれば発見していたのかもしれない。
申し訳ない気持ちで、翌日病院へ連れて行き、薬を処方してもらった。
だからこのときはお告げに対してもっと注意深く、大切な家族について見なくてはいけなかったのだと反省した。
そして転倒のお告げについては。
こちらはまだ「これだ!」ということはないのだが、しかし「慢心してはいけない」というお告げだと解釈したことで、仕事をいつもより丁寧にしたり、確認をしっかりするように気をつけたり、歩行や階段などの動作も注意するようになった。
それに加えてこの転倒から学べたことがあり、私は仕事で10年以上お年寄りと関わっているのだが、お年寄りが転倒して大腿骨頸部骨折をしてしまう方がとても多く、お年寄りはこうやってちょっとしたことで転倒してしまい、私が倒れ込んだときのようになって大腿骨を骨折してしまうんだな、と身をもって学ぶことができた。そしてこの失敗談を今関わっているお年寄りの方々に少し大袈裟に面白おかしく話すことで、注意喚起することができている。
こうやって起きた物事に意味づけして、いい方向への行動につながったり、注意することで悪い出来事を回避できるといいと思う。
でも、そうやって何でも意味づけして振り回されてしまうのも良くはないとも思う。
日々いろんなことがある中で、すべてに意味づけをして深く考えていたら、石橋を叩いても叩いても渡れず、一日が終わる頃には毎日へとへとになってしまうと思う。
だから直感でそう思ったときとか、よい方向への解釈のみにするとか、自分のルールがないと振り回されてしまうと思う。私自身のルールとしては、ぱっと「○○というお告げかもしれない」と思ったときはそう解釈するが、何でも起きたことを深読みはしないようにしている。
私が起きた物事に都合よく意味づけしているのには、迷信を都合良く信じていることに似ているが、それに加えてきちんと説明できる理由もある。
私は約10年間介護施設で働いた経験があるのだが、業務に「ヒヤリ・ハット報告書」というものがある。日々の介護業務の中で、事故には至らなかったもののヒヤリとしたりハッとした事例を報告し、その情報を共有することで事故を防ぐというものである。それは「一件の大きな事故の裏には29件の軽微な事故、300件のヒヤリ・ハットがある」というハインリッヒの法則に基づくものなのだが、毎日8時間の業務の中で、本当に小さなヒヤリも含めたら介護職員一人当たり数件は報告することになる。そうなると一日でヒヤリ・ハットは10件以上起きていることとなり、そして事故が起きてしまったときに、まったくの予想外の事故であることもあるが、やはり普段のヒヤリ・ハットから適した対策が取られていれば事故に繋がらなかったというケースが多いのも事実である。
介護士になりそのことを学んでからは、起きた出来事は何かに繋がりいずれ大きな出来事へと繋がると身をもって学び体感したことで、「お告げ」が自分の中へ降りてきたら、それは大きな不幸へ繋がることを未然に防ぐためのものだと解釈して、立ち止まって自分の言動をふり返ってみたり、自分自身を見つめるようにしている。
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