週刊READING LIFE vol.150

オッサンとTシャツと沖縄の雑学《週刊READING LIFE Vol.150 知られざる雑学》

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2021/12/06/公開
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
切り出され積み上げられ苔むした石垣に、ぽかりと四角い穴が開いている。何だろう、と背筋を伸ばして覗いてみると、「それはハザマだよ」と背後から聞こえた。
 
両親が推しのアーティストが沖縄で年越しカウントダウンライブをするというので、当時独り身の私はタダで沖縄に行けるぞと便乗した。冬の沖縄は海水浴こそ出来ないが、ゆったりと食べたり史跡を巡るには絶好のシーズンだとも言える。この日はホテルから近い中城城跡(なかぐすくじょうあと)を訪れ、かつての堅牢な砦の石垣だけ残された姿に、兵どもが夢の跡、なんて季節外れな俳句を思い浮かべながらブラブラとうろついていた時、唐突に声をかけられた。ギョッとして振り向くと、どこにでもいそうなオッサンが立っていて、私が覗き込もうとした四角い穴を指さした。
 
「それね、ハザマ。そこから銃を撃つの」
「はあ……」
 
ガイドボランティアか何かだろうか。両親は一緒に入場したもののやや遅れて歩いている。私がいるところは広場から階段を下りて少しした踊り場のようなところで、広場にいる両親からは見えない。何かしでかしそうな変な人には見えないけれど、それでも私はやや身構える。だがオッサンはそんなことは意に介さないといった様子で言葉を続けた。
 
「そこに銃を置いて敵を打つのね」
「そうですか……」
 
石垣を取り囲む森は、力強く曲がりくねった幹に冬でも青々と葉を茂らせている。葉の緑と石垣のグレーと、冬のややくすんだ空の色がいかにも沖縄らしい風景だ。オッサンの出で立ちは、私のような観光客のように荷物でパンパンというわけでもなく、ボランティアガイドのように腕章などをつけているわけでもなく、本当にそのあたりの家からちょっとここまで散歩に来た、といった風情だ。
 
「沖縄はね、14世紀にはもう銃を使ってたんだよ。でも教科書じゃそれを教えないんだ」
「はあ……」
 
イゴヨウセン鉄砲伝来。そんな風に覚えたのは中学だったか高校だったか。1543年にポルトガル人によって種子島に鉄砲がもたらされ、当時の日本の戦術に大きな革命をもたらしたのは、日本史でも有数の事件と言っていいだろう、現に日本史はからきしの私でさえも語呂合わせで年号をおぼろげに覚えていた。
 
「内地の人は、種子島に鉄砲が伝わったって習うでしょ? でも、それよりもずっと前から沖縄では鉄砲を使ってたって記録が残ってる」
「そうですか……」
 
生返事をする私。
オッサンは語気強く、やや起こっているような雰囲気で続ける。
 
「沖縄だって日本なんだから、鉄砲を使い始めたのは沖縄って教えるべきなんだよ。それなのに沖縄はなかったことにして、種子島に鉄砲伝来って教えてる。沖縄の方が先なんだよ」
「はあ……」
 
受験では世界史を選んだ私は、日本史は中学レベルに毛が生えた程度しか手を付けなかった。更に受験を終えてからもう何年も経っているので、細かなトピックは思い出せない。したがって1543年、種子島の鉄砲伝来の頃の沖縄がどのような状況だったのかを思い出すことが出来ない。オッサンは沖縄も余すところなく日本の一部なのだから、日本史ではそのように教えるべきだ、と繰り返し言った。酔っぱらった様子もなければ、メンタルを病んでいる様子もない、いたって善良そうなどこにでもいるオッサンだった。
 
「琉球王国の記録も、内地の人間がみんな東京に持って行っちゃったでしょ。それが全部空襲で焼けちゃったから、何も残ってないのよ」
「はあ」
「内地の人間は、沖縄も日本だ、っていうけど、全然そんな風に思ってない」
「はあ」
「沖縄も日本だっていうなら、鉄砲伝来は沖縄だって教えるべきなんだよなあ」
 
オッサンの話がループし始めたので、私は会釈をしてその場を離れた。その後、どこかを観光してホテルに戻ったのだと思うがよく思い出せない。私はぼんやりと中城城跡を散策し、両親と合流し、レンタカーに乗って帰る時も、ずっとオッサンの言葉が頭の中を反芻していた。沖縄も日本なのだから、鉄砲伝来は沖縄だと教えるべき。14世紀には沖縄では銃を使い始めていた。その言葉に強烈な違和感を覚えて、当時のガラケーでネット検索をしてみる。日本の教育において、日本史を学ぶ時に沖縄が歴史上に登場してくる回数はそう多くない。受験の頃のかすかな記憶を頼りにキーワード検索していくと、江戸時代の薩摩藩による琉球王国の侵攻、明治政府による沖縄県の設置、太平洋戦争の沖縄戦、そして沖縄の本土復帰が出てきた。そうそう、これくらい。
 
薩摩藩の琉球王国の侵攻は、ネット検索によれば 1609年。
 
その結果、江戸幕府と薩摩藩の支配下に置かれることになったんだっけ。琉球王国としては滅亡したんだっけ。細かく検索しようかとも思ったが、旅の疲れでガラケーの画面を見続けるのが辛くなってきた。慣れない枕で寝つきが悪い夜、ぼんやりと考え事をするならこれくらいの情報で十分だ。
 
あのオッサンは、沖縄も日本だから、鉄砲伝来は14世紀と教えるべきだと言っていた。でも14世紀の頃は、沖縄はまだ日本ではなかったようだ。琉球王国というものがあったことは何となく知っているが、観光パンフレットに書かれている範囲でしか分からない。今現在日本の領土であるところは、すべて日本史に取り入れるべきということなのだろうか。だとしたら北海道はどうだ、日本人が住むようになったのは明治以降じゃなかったっけ。それ以外はアイヌ民族や、もののけ姫のアシタカの一族が住む、日本──天皇を頂点とする大和朝廷とは違う世界だったはずだ。それを言ったら、天皇たちだって大陸から渡ってきた民族とする説が濃厚じゃないか。その前にいたと言われる人たちはどうなるんだ? 名前も住んでいるところも知らないオッサンだ、もう二度と会うこともないだろう。そもそも実在する人だったかどうかも分からない、後から来た両親に、オッサンに話しかけられなかったかと聞いても首を振るばかり。当時は日本国ではなく琉球王国だったのなら、日本の歴史に組み込むのではなく、琉球王国だったことを明示したうえで教育するべきなのではないか。オッサンにはその視点が抜けている。眠い頭で思考がそのあたりに着地すると、何となく満足した心地になり、その日は眠りについた。
 
自分は興味がないアーティストのライブも、ファンの熱気や演出を見ればそれなりに楽しむことはできる。物見遊山的にカウントダウンライブを観た後、観光の締めくくりとして首里城に立ち寄った。大きな赤い宮殿は王の居城にふさわしい威厳を保っていて、見る度に圧倒される。私はこれが初めての沖縄旅行というわけではなく、首里城を見るのも二度目だったが、それでも素晴らしいと心を打たれた。中に入って、歴代の王などの説明書きを読みながらブラブラしていると、あのオッサンの言葉が脳裏によみがえる。沖縄は日本だから。日本、日本ねえ。私の知っている日本のお城は、江戸城とか姫路城とか名古屋城とか熊本城とか、白い壁に黒い瓦の屋根、天守閣がパーンとなっているようなお城だ。どこまでも畳と障子とふすまが続いていて、お殿様の登場にデンデンデンと太鼓を鳴らしていそうなのこそ日本のお城だ。首里城はカッコいい城だと思うが、日本の城とはどこか違う。どちらかというと中国の紫禁城のようなお城の方が近いんじゃないのか。
 
「…………」
 
首里城を改めて見回してみる。
沖縄観光で立ち寄った史跡を思い返してみる。
 
沖縄の神様は、イザナギとイザナミから始まる日本神話の神々ではない。御嶽といわれる精緻での祈りの捧げ方は、日本の神社仏閣参拝の方法とは全然違う。着物も日本とは似ているけれど、染め方や着方が違う。食事も、言葉も、いろいろなものが日本と似ているけれど違う。それはちょうど中国や韓国でも箸を使い着物を着るけれど、少しずつ違うのと同じように。今現在は日本国内だから、少し独特な文化を持つ地域、くらいの感覚でいたが、よくよく観察すると、まるきり異国と言ってもいいほど違うではないか。琉球王国という国がかつてここにあったのだ。観光パンフレットに書かれていた言葉が急に現実味を帯びて重くなったような気がして、私は唸った。
 
沖縄はかつて、琉球王国だった。終戦後はアメリカに統治されていた時代もあった。でも今は日本の一部として沖縄県になっている。その場で調べた限り、そしてこれを書いている今も調べた限り、日本の教育における歴史の授業では、あくまでも大和朝廷を中心とした歴史を学ぶだけで、沖縄の子どもたちだけ特別に琉球王国のことを教えてもらえるというわけではない。学校で取り扱うとしたら、生活科などで地元の歴史として取り扱うくらいなのではないかという状況のようだ。そうすると、琉球王国のことを学ぼうとしても、とっかかりとしては観光してパネル掲示を読んだり、自主的に本を読んだりすることでしか触れる機会がないものとなってしまう。もちろん歴史学として研究されている分野ではあるのだろうが、教育課程に沖縄のことが含まれていないことは、どこか空恐ろしいものに感じられた。学校で学ばないこと、つまり雑学のようなものとして扱われてしまってもおかしくないという事ではないか。
 
あのオッサンは、自分の生まれ故郷の歴史を雑学にしたくなくて、日本の教育で教えてくれ、と訴えたかったのだ。
 
「…………でも」
 
それを私に言われてもなあ。
もう二度と会えないオッサンに内心ぼやいてみつつ、私はお土産屋で紅型模様のTシャツを買った。
 
このTシャツを着る度に、かつて沖縄は琉球王国で、種子島よりも早く鉄砲が伝来していたことを思い出すだろう。それは雑学になってしまいがちだが、オッサンや沖縄の人々にとっては大切な歴史なのだという事も、忘れずに思い出すことが出来るはずだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
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2021-12-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.150

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