週刊READING LIFE vol.152

家族はそれでもあたたかいか《週刊READING LIFE Vol.152 家族》


2021/12/20/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
今年も早いもので、師走の中旬。
この時期になると、我が家にはたくさんのお歳暮が届きます。
祖父母が健在であった頃は、「○○ちゃんからハムが届いた」「今年は○○ちゃんはこんなものを送ってきた」などと、うれしそうに 教えてくれるのです。
 
私は、といえば、ハムやお菓子だったら素直に喜び、洗剤や入浴剤のセットだと、何だかがっかりしていた、現金な子どもでした。
ある時、私はその「○○ちゃん」が誰なのか、どういう関係の人なのか、聞いてみることにしました。あわよくば我が家に来たときに、リクエストの一つでも聞いてもらえないか、なんて思ったのかもしれません。
 
「○○ちゃん」なんて呼ぶので、よっぽど親しい人か、仲良くしていた人あたりだろうと思ったのですが、返ってきた答えは、ただの「親戚」でした。
あわよくば、くらいに思っていた私は、別段追求することもなく、ふうん、と聞き流したと思います。
 
時代は降って、祖父母も亡くなりました。
しかし、相変わらずお歳暮は届きます。変わったのは、祖父母にとっては「○○ちゃん」だったのが、父母にとっては「○○さん」になったくらいでした。いや、それでも父は「○○ちゃん」と呼んでいたかもしれません。
 
私は改めて、その方々との関係性を問いました。すると、今度はただの「親戚」ではなく、それ以上のことを母は教えてくれました。
 
その方々は、確かに祖父母の親戚ではあったのですが、それを、養子として迎えた方だったというのです。理由は、まあ、昔はいろいろあって、ということでしたが、つまり、祖父母は実の子ども(私の父の兄弟)に加えて、3人、計6人の子どもを育てたことになります。
 
その時の家庭内がどのようになっていたか、想像するべくもありません。
父や伯父伯母が、どのような思いでいたか、いや、それよりその「○○ちゃん」たちがどのような思いでいたか。
 
もちろん、誰に聞くわけにもいかないのですが、しかし、それぞれが家庭を持ち、祖父母亡き後もこうしてお歳暮を贈ってくださるあたり、そんなに悪いものでもなかったのではないか、と想像するのです。
 
「産みの親より育ての親」ということわざもありますが、ごく普通の家庭で育った人には、その重みが感じられないと思います。
普通は産みの親=育ての親なのですから、意識すること自体がないかもしれません。
 
しかし、家族というものには様々な形があります。
これは古今を問わず、と言ってもいいでしょう。
兄弟のところで男子が生まれないから、末の男の子を養子に出した、とか、お家のお取り潰しを避けるため、親類の縁を伝って跡取りを探してくる、とか、史実の中ではよく聞く話です。
現代にあっては核家族化とか、一人親とか、それこそバリエーションが増えています。
 
そしてこのバリエーションの豊富さ、すなわち多様性が、ある矛盾する問題を突きつけてきました。
「家族」と「個人」の問題です。
 
特に結婚する際は、この問題にぶつかる方も多いかもしれません。
つまり、結婚は、家と家との問題なのか、当人同士、個人の問題なのか、です。
 
両家に挨拶に行く、ということを考えれば、やはり家族間の問題のように思われます。
しかし、恋愛結婚のように、当人同士で決めたのであれば、個人間の問題でもあるように思います。
あるいは夫婦別姓のことも考えてみてください。
結婚が家族間の問題と捉えている人にとっては、夫婦別姓は違和感を覚えてなかなか賛同しかねるのではないでしょうか。逆に、個人と個人が結婚するのだから、夫婦別姓でもよい、仕事上の利便性を考えれば、旧姓のままの方がよい、と考えるようになりはしないでしょうか。
 
これもどうでしょう。
家族でいるということは、家族の中の役割が振り分けられます。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹……
その立場が求められます。
幼い頃、言われたことはありませんか? 「お兄ちゃんお姉ちゃんなんだから我慢しなさい!」と。
 
もちろんこれは、近年言われ続けている、家庭内での仕事分担にも言えることだと思います。
妻は妻の仕事、夫は夫の仕事、それ以外は手をつけない。
その形態では、今では破綻を来す、ということが分かってきています。特に核家族化が進み、お母さんが全ての家事育児を担う「ワンオペ」は、相当な無理がたたる。
 
一方で、個人に執着しすぎると、そもそもそれは果たして家族と言えるのか、と考えてしまいます。
孤食、孤独死、待機児童……
 
無論、家族が不要、という考え方もあると思います。
天涯孤独、大いに結構。家族を持たないといけないという法律もないし、家族以外の仲間だっていれば問題ない。
 
そう、家族とは、何も血縁上のつながりだけを言うのではありませんよね。
ドラマや漫画なので、大型船や宇宙船などの乗組員は、擬似的な家族によくなぞらえられます。
帰るべき仲間たちがいれば、それも家族かもしれません。
 
結局最適解は、「家族」と「個人」のいいとこ取りをする、というものかもしれません。
あるときは家族として、あるときは一個人として、そう、都合良く切り替えられるとよいのかもしれません。ただ、それは、やはり難しいのでしょう。
 
今、家族は様々な問題をはらんでいます。
DVやネグレクトにはじまり、毒親、毒家庭、しまいには親ガチャや家族ガチャなんて言葉も出てくる始末です。
そもそも、家庭を持つ、ということが経済的に不可能になっている場合もある。家族になりたいのに、そうできない理由もある。
 
「あたたかい家庭」という言葉が、もはや説得力をもたない現状です。
ステレオタイプなあたたかい家庭は、今は時代遅れなのかもしれません。
 
しかし、と、全てを踏まえた上で、私は祖父母の話を思い出し、やはり、「家族はあたたかい」と言わざるを得ません。
実の子以外を育てあげ、慕われた祖父母がいたからこそ、今、私もいる。
 
この時代、家族に絶望している人は多くいるのでしょう。
しかし、だからといって、自分が家族を作ることを放棄してほしくはないと思います。
自分が家族を作り、絶望を希望に変える家族にしてほしいと、切に願うのです。
 
家族とは、一人一人が個人でありながら、しかし、支え合っていきる単位の一つです。
それができない家族が多く現れているのも事実ですが、それでも、できる家族が多く存在するのも事実なのです。
 
家族であり、それでも家族であることに執着しすぎず、あなたの理想を、今度は話あってみてはいかがでしょうか。
たぶん、それができることが、「よい家族」なのかもしれませんね。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2021-12-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.152

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