週刊READING LIFE vol.152

果たして世界がひっくり返ったら、ぼくたちは変われるのだろうか。 《週刊READING LIFE Vol.152 家族》


2021/12/20/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「おい、てめえ、ふざけんてんのか」
 
いきなりでした。その大柄な家庭教師は、隣に座った中学生の顔面に張り手を食らわせました。相手が子供だろうと容赦はありません。ドン、大きな音を立て、中学生が机に突っ伏します。鼻血を出し動揺する中学生と、平然としている家庭教師、対照的な二人の姿でした。
 
えっ、何の話かって? これは、映画「家族ゲーム」のワンシーン。公開は1983年、その年の日本アカデミー賞を受賞し、雑誌「キネマ旬報」の1980年代日本映画ベストテンでナンバーワンにも選ばれたこの作品、ストーリーは受験コメディ。
 
主演は、家庭教師の吉本を演じる松田優作さん。三流大学の7年生、自由奔放に生きている吉本が任されたのは「勉強できない、いじめられる、でも口だけは達者」という問題中学生、沼田茂之の受験対策。ちなみに、茂之を演じるのは宮川一平太さんです。
 
映画の序盤、教科書から、読めない漢字、意味の分からない言葉をノートに書き出すように、そう吉本から指示された茂之は、数ページにわたり「夕暮れ」という文字を書き続けます。
なんだこれ、と吉本に問われた茂之の回答は「夕暮れを完ぺきにマスターしました」 その瞬間のことでした。吉本の張り手が茂之の顔面を捉えます。体罰も辞さない吉本に、それまで、なめきった態度をとっていた茂之は、渋々ながら勉強を始めるのです。
 
その後、小さな反抗を繰り返しつつも、茂之は吉本の言うとおりに勉強を続け、成績はぐんぐんアップ。吉本に喧嘩の仕方も教わって、いじめっ子も見返します。そして、第一志望の高校に合格、めでたし、めでたし、と終わるかと思いきや、衝撃的だったのが、茂之の家での合格パーティー、一言でいったら、「なんだ、これ?」
 
家族全員と吉本が席に着き、おめでたいムードの合格パーティー。でも、すぐに始まったのは食べ物をめぐる小競り合い。誰もが自分の欲しいものを取るのに必死です。ただ、不思議なことに、だれもそれを止めようとはしません。まるで、それが普通のことのように、普通に会話が続き、普通にパーティーが続いていきます。
 
次第に激しくなっていく争い、食べ物を相手に投げつけ、マヨネーズやケチャップがテーブルにぶちまけられ、大混乱の中、吉本が立ち上がります。そして、父親の腹にパンチを食らわせ、テーブルをひっくり返し立ち去るのです。家族全員が、黙々と床を掃除する中、割れないで残ったワインの瓶を手にとり、少し満足そうな父親が印象に残りました。
 
いったい、なんなんだ、この展開、
 
ですよね。ぼくも全く同感なのですが、残念ながら、この後、疑問は解消されません。
 
その後、場面は一気にとんで、茂之の高校入学後。兄と二人、勉強部屋で昼寝しているシーン。何かあるかと思いきや、母親が「風邪ひくわよ」といった後、あくびをして、おしまいなんです。
 
いったい、なんなんだ、ですよね。ただ、この映画、よくよく考えてみると「いったい、なんなんだ」ばかり、違和感しかないような気もします。だいたい、この一家、食事をするとき、横長のカウンターのような食卓に、全員が一列に並んで食べるんです。
 
横長のテーブルは決して広くありません。全員が席に着くと、お互いの肘がぶつかり合って、相当食べにくい。それでも、まるで、何事もなかったように、みんな正面をむいたまま、言いたいことを言いながら、食事を続けるんです。
 
しかも、この食事のシーン、ことあるごとに、何度も何度も登場する。まるで、食事のシーンを中心にストーリーが展開しているようだ、と思った時、ふと、この映画の全体に流れる違和感、その正体が少し見えたような気がしました。
 
それは「座る位置」
 
家族全員が食事をするシーンもそう、冒頭の吉本が茂之に張り手を食らわせるシーンもそう、それから、茂之の父親と母親が、車の中で子供の将来について話し合うシーンだってそう、この映画では、誰かと話をするとき、決まってと言っていいほど、座る位置は相手の横側、正面に向き合って座ることは、ほとんどありません。
 
数少ない「横に座らない」ケースは、中学校での進路相談シーンと、近所の奥さんが、茂之の母親に相談にやってきたシーンくらい。ちなみに、進路相談は、学校と家庭の意見が一致せず、物別れに終わってしまいます。相談にきた奥さんとは、隣に座って話し合いますが「この位置、気持ち悪い」と席を移動されたうえに、真剣みのない茂之の母親の態度に「自分のことばかり考えている」と非難されてしまいます。
 
そうなんです、その映画の違和感の正体、それは、誰もが相手と向き合わないで、自分のことばかり考えていること。食事のシーンは、その象徴なのです。誰もが自分の食事をとることだけに必死。そして、見ているのは正面だけ。隣に座った人と肘が当たっても関係ありません。
 
話す内容にしたって自分のことばかり。「家庭教師をつけたんだ。勉強がんばれよ」そう息子を励ます父親の本音は「出来が悪い息子じゃ格好悪い」 息子の将来についての両親の会話も、最後は母親が「子供のいなかった頃に戻りたい」で終わりってしまう。誰もが、他人の心配しているふりをしているだけで、考えているのは自分ことばかり。まさに食事のシーンと一緒なのです。隣に座って、一見、相手に寄り添っているように見えるけれど、誰かとぶつかっていたって、全然気づかない。当てた側も当てられた側も、まったく気にしない。機械のように自分の目的を達成するため突き進んでいるだけなのです。
 
これじゃ、まるで「役割」を演じているだけみたい、と思った時でした。「家族ゲーム」この違和感のある映画のタイトルの意味が分かったような気がしたのです。
 
 
家族とゲームの組み合わせ、かなりふざけたタイトルのような気がします。家族と言えば、とても大切なもの。それを「遊び」のゲームと組み合わせているのですから。家族がゲームなんて、とんでもないという声だってあったんじゃないでしょうか。
 
でもね、ゲームって何でしょうか。すぐに思いつくのはテレビゲームやボードゲーム。遊びですよね。それから、野球やサッカー、スポーツの試合もゲームと呼ばれています。ビジネスの世界にも、マネーゲームなんて言葉があって、必ずしも遊びというわけではなさそうです。じゃあ、ゲームって何でしょう。共通する要素を考えてみました。
 
まず、ゲームには勝ち負けがあります。それからルール。ルール無しにはゲームは成立しません。なぜでしょうか。それは、ゲームというものが、作られたものだから。現実には存在しない仮想の設定で、仮想のゴール・目標に向かって勝負を競うもの、それがゲーム。
 
そして、ゲームの参加者に求められるのは演じること。まるで、その設定が本物かのように、まるで、その目標が本当に大切なものかのように、疑うことなく演じ続けること。家族ゲームの登場人物たちと同じです。
 
そうなんです。家族ゲームの登場人物、彼らは「家族」というゲームに参加しているだけなのです。「家族」という設定で、世間というルールに与えられた目標に向かい、彼らは自分の役割を演じているだけ。追い求めるのは、出世や成功、それから、良い両親、良い夫妻、良い子供、良い家族。
 
でも、そこに心はこもっていません。すべては、やらないといけないと言われているから、やっているだけ。家族ゲームというタイトルは、家族すらゲームにしてしまった当時の日本社会への強烈な批判だったのでしょうか。
 
この映画が公開された1980年代と言えば、いざなぎ景気とバブル景気のはざまです。戦後の混乱から西欧諸国へ追いつけ、追い越せと、前だけ見てひたすら突っ走ってきた日本ですが、ふと気づいてみれば、手に入れたものは意外と「普通」、思っていたほどの幸せは手に入らないと気づき始めた停滞期です。それにこの時期は、長時間労働、家庭内暴力、いじめ、貧富の格差の拡大などなど、新しい問題が噴出、経済成長=幸せという信念は崩れていきました。
 
ただ、残念ながら、いったん、出来上がった「幸せ追及ゲーム」、その仕組みはそう簡単に方向転換はできなかったのでしょう。会社は長時間働く仕組みで出来上がっているし、家庭に必要とされるのは、それを支える良妻賢母、子供たちは、未来の経済的成功のため、良い学校にいき、良い会社に入ることが求められます。世間は今まで通りの価値観を押し付けてきたのです。それじゃ、幸せにはなれないことは、わかっているのに、です。
 
だから、仕方なかったのかもしれません。家族ゲームのように、演じることでしか、生きる方法はなかったのかもしれません。疑問を持ったって苦しいだけ、他人のことを気にしている余裕などありません。心を殺し、「これは仮想のゲーム、自分の本当の人生じゃない」、そんな風に自分に言い聞かせて生きるしかなかったのかもしれません。
 
そして、その後にやってきたのがバブル景気です。お互いの隣に座り、寄り添うふりをしながら、見ていたのは自分の目の前のことだけ、そんな生き方をしていた日本人が、次に熱中したのが、マネーゲームというのはあまりにも、あわれというか、こっけいというか、言葉がありません。
 
 
あれから、40年近くがたちました。現代に生きるぼくたちは、この作品をただ笑ってみていればいいのでしょうか。過去の話、もうゲームは演じてない、本物の価値観に基づいて人生を歩んでいるといえるのでしょうか。ぼくには自信はありません。あいかわらず、良い会社、良い学校を追い求めたり、大した根拠もないSNSの情報に振り回されたり、実際のところ、ぼくたちはほとんど変わっていないかもしれない、そう思うからです。
 
ところで、ゲームと言えば、最近の話題のドラマ、イカゲーム。金のためにと、命を懸けて戦う主人公ソン・ギフン。病気の母の治療のため、別居中の娘の幸せのためと、家族を心の拠り所にして、必死に頑張る彼ですが、よくよく考えてみてください。彼が頑張らなければならないのは、お金を必要としているのは、すべてそれまでの自分の責任。真っ当に生きてこなかった自分が悪いのです。それなのに、自分の問題をすり替えて、家族のために頑張るって、なんだか違和感、ありませんか。どうやら、いつの時代も家族というのは、都合のいい目標にされがちのようです。
 
それに、このドラマ、ゲームというだけあってルールが大事。大切なのは、全員が「平等」にルールを適用されること。なるほど、確かにその通り。実際、ぼくたちの生きる世の中は、見渡す限りの不平等、心が痛むばかりです。でも……、あれっ、ぼくたちって、本気で平等な社会を目指しているんでしたっけ。また、これも「平等」ゲームを演じているだけ、そんなこと、ないですよね。
 
いつの日か、吉本のような人物が現れ、ゲームを演じるぼくたちの世界をひっくり返していくのかもしれません。ただ、恐ろしいのは、やっぱり、一度、組み込まれた仕組みはそう簡単に変わらないこと。嵐が過ぎれば、ぼくたちは、まるで何事もなかったかのように、自分のことだけ考えて、またゲームを演じ続けるのかもしれません。受験の後、昼寝をしていた茂之のように。風邪ひくわよと、いいながら、何もしないで、あくびをしている彼の母親のように。ぼくたちは、いつの日か、変わることができるでしょうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2021-12-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.152

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