週刊READING LIFE vol.157

コロナ禍と会計システムが教えてくれたのは「泣くも笑うも生きてこそ」《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》

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2022/02/14/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
こんな仕事、もう辞めてやる、もう何度目になるだろう、こんな風に思うのは。今日もまた一人で残業、思わずため息が出た。窓の外に目をやると、空はすでに暗くなりかけている。コロナ禍で始まった在宅勤務も二年が過ぎた。日中の一人作業には随分と慣れたし、邪魔が入らない分、こっちの方がむしろ効率的と思うこともある。ただ、それでも慣れないのは、この自宅で残業というやつだ。きっと、ほかの人たちも同じように仕事をしている、わかっていても、一人取り残されている感がぬぐえない。
 
気分転換にとリビングに向かうと、テレビがついたまま。きっと娘たちが消し忘れたのだろう。床には食べかけのお菓子。まったく、何度言っても、片付けができないな、そう思いつつも、今は自分の部屋で勉強をしている娘たち、今さら片づけろというのも気が引ける。外で自由に遊べない日々、彼女たちだって、ストレスが溜まっているに違いない。笑顔で走る回る以前の姿を見られる日が来るのだろうか、そんな不安を感じながら、ごみを拾っていると、またため息が出た。
 
それにしても、と思う。どうも最近、すぐにため息をついてしまう。いったん収まりかけたコロナ禍が、またひどくなってきたせいなのか、それとも、自分の中でどうにも整理がつかない仕事への不満のせいなのか、とにかく何につけても、やる気が出ない。出るのは、愚痴とため息ばかり。
 
まったく経理って仕事は、細かくて地味で、正確なのが当たり前で、できていたって誰もほめてくれない。そのくせ、間違えたり、時間がかかったりすると、そんな単純なこともできないのかって怒られる。20年も続けている仕事なのに、この思い、強くなる一方だ。
 
今日の残業だって、営業からもらった売上予測資料が原因。数字と説明のつじつまが全然あっていない。全くいい加減な仕事しやがって。それなのに社長ときたら、なんでお前たち経理部は、こんなミスを見つけられなんだ、だって。
 
営業、製造、調達、開発、彼ら「現場」の人間は、一円の利益を生み出すため、一円のコストを削るため、乾いたぞうきんを絞っているんだ。コロナ禍の真冬だって、換気でくそ寒い工場で仕事しているんだ。そんな彼らをサポートするのがお前たちの役目だろ。資料くらい、ちゃんと修正して持ってこいって、そりゃわかるけど……
 
なんでこんな仕事を選んでしまったんだろう。なんで、こんな仕事、20年も続けちゃったんだろう。もっと明るくて花のある仕事、例えば、営業だとか、例えば、マーケティングだとか、お客様と直接触れ合うことができて、ビジネスのだいご味を感じられるような仕事をしてみたかった。人生なんて、泣いたって笑ったって一度きり。どうせなら、もっと心がワクワクするような仕事をやってみたかった。
 
 
テレビの声に我に返る。いかん、いかん、こんなことばかり考えていたって、仕事はちっとも前に進まない。さあ、テレビを消して、あと一仕事、片づけるか、とリモコンに手を伸ばした時、流れてきたニュースに耳を奪われた。
 
「オミクロン株が猛威を振るっています。東京都は、飲食店への時短営業の要請も視野に対策を検討しています」
 
またか、思わずため息が出た。確かにこの状況を考えたら仕方ないのかもしれない。でも、また時短営業って、飲食店の方たちの生活って本当にだいじょうぶなんだろうか。政府の補助もあるんだろうけど、それだけで、いつまで店を支え切れるのか。実際、地方に住んでいるぼくの周りの飲食店だって、どんどんと閉じていっている。シャッター商店街が、ますます寂しくなっている。彼らは、今、どこで生きているんだろう。
 
それに比べたら、自分なんて恵まれている、そんな思いが浮かんだ。コロナになって、もちろん収入は減った。在宅勤務で、ストレスが増えたこともある。でも、その分、家族と過ごす時間は増えている。自由にどこでも行けるわけじゃないけれど、朝食も夕食も、その後の時間も楽しめているのは、仕事があって、収入があるからこそ。地味でつまらないから、こんな仕事、辞めてやるなんて、贅沢な悩みなのかもしれない。
 
きっと、自分は仕事に多くを求めすぎているのだろう。働く目的は、お金を稼ぐこと、お金を稼いで、自分と自分の周りの人間を支えること、それ以上でも、それ以下でもない。自己実現だとか、人と人とのつながりだとか、ドラマや映画であるような「感動」「感情」なんて、求める方が間違っているのかもしれない。
 
きっとそういうことなんだろう。ハッピーじゃないけど、生きていくっていうのは、そういいことなんだろう。納得できない思いに、ため息が出そうなるのをこらえ、仕事に戻る。会計システムにログインすると、もう誰も仕事をしている様子はない。なんともやりきれない気持ちで、システムと書類のチェックを始めた時、ふと、いつか新聞で読んだ記事のことを思い出した。
 
それは、システム会社の社長の話。彼が会計システムの開発に本気で取り組み始めたのは、知人の自殺がきっかけだったような…… 生きていくという言葉がひっかかったのだろうか、あいまいな記憶を探る。
 
資金繰りに行き詰まり、もう会社は立ちゆかないと、死を選んでしまった社長の知人。ただ、その後、会社のことをよくよく調べてみると、利益も出ているし、資金繰りもなんとかなっていた。つまり、知人は勘違いをして命を絶ってしまったのだ。
 
なぜ、そんなことが起きてしまったのか、その原因は会計帳簿。不正確で、会社の状態がどうなっているのか、誰にもわからなかったのだ。
 
経理の仕組みさえきちんとしていたら、きっと救えた命、その事実を突き付けられたシステム社長は心に誓う。こんな悲惨な出来事を二度と繰り返してはならない。速くて、簡単で、正確で、誰にとってもわかりやすい会計システムをきっと開発してみせる、確か、そんな感じだった。
 
救えた命、生きていくか……
 
確かに経理の仕事というのは、会社が生きていくのに必須な仕事だ。売上がどれくらいになっているのか、経費の状況はどうなっているのか、ビジネスの成果に関する情報を把握するのには、経理の役割は欠かせない。
 
それに加えて、売ったお金の回収がきちんとできているのか、取引先や、従業員への支払いを済ませた後、お金がどれくらい残っているのか、そして、これからどれくらいのお金が使えるのか、資金繰りといった役割も担っている。
 
情報とお金は会社の血液なんて言われるけれど、まさに経理は会社の生命線。その仕事は、速くて、正確で、かつ、誰にでもわかりやすい必要がある。当然ながら、求められるのは、感情よりも論理、おもしろさよりも冷静さ、マシンのように仕事を処理していくこと。そのミッションを遂行してこそ、正しい経営判断の役に立つことができる。会社のみんなが生きていくことの助けになれる。
 
だから、そんな経理にとって、生きるか死ぬかの大ばくち、泣いても笑ってもこれが最後、そして、乗り換えた時の大感動、なんて劇的が出来事があったとしたら、それは大失態。どんな小さなことでも、事前にその兆候をつかみ、地道にリスクの芽をつぶしていく。そして、毎日が何事もなく、平穏無事に過ぎていく、このことこそが、経理の仕事の究極の目的。結局、経理にとって、生きていくということは、そういうこと、あの会計システムの社長だって、きっと同じ意見に違いない。
 
実際のところ、そうでもしなければ、誰の生活も守れない。そりゃ、毎日がドラマのような感動にあふれていたら、おもしろい。泣いて笑ってなんて冒険のような仕事には憧れる。だけど、そのために、誰かの生活をリスクにさらすことなんてできない。ぼくは、ぼく自身のためだけ働いているわけじゃないのだ。ぼくは家族がいて、会社にたくさんの人がいて、その後ろには、もっとたくさんの家族が控えている。
 
そして、そんな無数の糸でつながる関係は、思っていたよりずっと脆くて、コロナなんて波がきたら、あっという間に飲み込まれてしまう。だから、そんなつながりを守るため、今、ぼくができること、経理という仕事でできることは、徹底的に冷静に正確に、そして迅速に仕事をすすめることなのだ。
 
だから、地味だなんて言葉は、むしろ誉め言葉、これで誰かの生活を守れるのなら、誰かが笑顔でいられるのなら、それ以上のことはない、なんて思った時、ふと気づいた。こんな気持ちで仕事をしているのは、きっとぼくだけじゃないはずなのだ。他の部署の人たちだって、みんな同じはずなのだ。
 
営業部は、会社のみんなの食い扶持を稼いできてくれている。マーケティングや開発部門は、営業部が売りやすい商品を作ろうと必死に調査・研究をし、製造部や調達部門は、一円でも安く製品が作って、みんなの手元に回るお金を少しでも増やそうとしてくれている。それもこれも、すべては人事がきちんと人を採用して、みんなが気持ちよく、やる気を出して働けるようになるような人事評価制度を作っているおかげ。総務だって、法務だって、広報だって、もちろん、経理だって、みんながみんな、会社のために仕事をしている。
 
どんな部署だって、決して感情や感動、劇的な出来事なんかに振り回されていないはずだ。お客様のため、他の部門のため、そして、会社にお金を回すため、徹底して冷静に、そして地道に、コツコツと努力を積み重ねている。だからこそ、会社が生き延びられている。だから、お給料が支払われて、そのお金で、家族が生き延びられている。そして、そこには喜びがある。今日も、一日、みんな、平穏無事に過ごすことができたという幸せがある。だから、みんなで、泣いて、笑って、そんな毎日を過ごすことができている。
 
なんだ、結局、そういう言うことか。肩の荷が下りた気がした。自己実現だとか、人と人とのつながりだとか、ドラマや映画であるような「感動」「感情」だとか、確かに自分は、仕事に求めすぎてきたようだ。
 
でも、今日は少しわかった気がした。コロナ禍と会計システムが教えてくれた。仕事ってそういう言うことじゃない。今日という一日を、何事もなく、平穏無事に、みんなが安心して過ごせるように、徹底して、冷静に、地道にコツコツ継続していくことなんだ。そうやって、誰かの笑顔を作っていくことなんだ。仕事とは誰かの役に立つこと、なんてわかった気になっていたけど、ぼくは全然わかってなかった。
 
ふと気づくと、同僚がシステムへのログインした様子、緑色のランプがオンになっている。その光を見ていると、あいつも、会社のため、家族のため、そして、無数のつながりのため、今日も頑張っているんだな、そんな気持ちになってきて、さっきより少し人とのつながりが強くなった気がした。そして、その時、浮かんだのはこんな思い。
 
もう少しだけ、がんばってみてもいいのかも。もう少しだけ、今の仕事、続けてみてもいいのかも。だって、ぼくは一人じゃない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2022-02-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.157

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