メディアグランプリ

可能性という名の悪魔


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記事:北見 綾乃(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「可能性があるって悪魔だ……」
 
一年間の浪人生活に幕を下ろそうとしている息子が、ため息とともにつぶやいた。
翌日に第一志望校への最後のチャンス“補欠合格”の判定があり、それで進路が完全に確定する。そんなタイミングだった。
 
「補欠合格なんて万に一つも可能性はない」といいながら、“確率がゼロじゃない”ということで完全に気持ちを切りかえられないという思いだろう。
そのモヤモヤ、すごく、分かる。
 
この一年の努力を間近で見てきただけに、ミラクルが起きないかという気持ちもあるが、こればかりは出た結果を受け入れるしかない。
合格した他の大学だっていい学校だ。“入学したところが結果的にベストチョイスだった”というストーリーは後からどうとでも作れる。人生の岐路、全てにおいて滑り止めを選ぶことになった私としては、そう断言できるぞ、息子よ。
 
どちらにせよ、一晩寝たら結論が出るのだ。
 
 
ところで「可能性」という言葉。今まで単に希望にあふれた言葉だと思っていたが、立ち止まって考えてみると、息子が言った通り、ある意味本当に、悪魔なのかもしれない。
 
これまでの人生、恥ずかしながら私は、自分の可能性をムダに守ることに必死だったと思う。
どういうことかというと、本気になることを避けて「まだ全力じゃないから、できなくても仕方ない」と言える余白をいつも残していたのだ。
本気を出してダメだったら、その分野で自分に才能がないという決定的な宣言が下されるような気がして、とてつもなく怖かったのだ。だから、ちょっとでも難しいかな、と思ったらやる気のないフリをした。さらに、努力できない言い訳をたくさん用意していた。
 
学生時代、試験勉強も、ピアノの練習も、部活も、体育の授業も、何一つ本気で取り組んだものがない。何ひとつ成しとげないまま大人になってしまった。
 
確かに本気を出してうまくいかないこともある。でも、本気を出してダメならあきらめて次に行くことができる。一方、本気を出さずに可能性という悪魔を抱えていると、いつまでたっても永遠に次の段階へいけない。やればできるという幻想にすがっていきることになる。
 
そんな私が初めて、ちゃんと本気で努力したかな、と思えるのは、30代後半に取り組んだTOEICという英語試験の勉強だ。私にとって英語は、昔から「アレルギーがあるのでは?」と真剣に疑うほどに苦手だ。初めてTOEICを受けたのは20代前半。全く何の対策もない状態で、会社で受検させられた。リスニング問題から始まるが、試験の進め方の説明も英語のため、いつ肝心の問題が始まったか分からないうちに、10問くらい進んでいたという絶望的な状況だった。正確な点数は知らない(聞きたくもなかった)が、目も当てられない悲惨な結果だったのは確かだ。
 
その後、転職を考えたときに一度、文法の基礎などを勉強し、990満点のうち650点程度まで上げた。転職活動はうまくいき、なんとか外資系企業に転職することができたのだが、そこでは毎年TOEICを受けさせられた。“900点を超えたら毎年の受検が免除になる”という噂と、同じ仕事をしているチームメンバーが935点をとったなどという衝撃的な事実を聞いて私の闘志に火が付いた。できるかどうかの可能性などは考えなかった。とにかく1年必死で勉強して、900点以上をなんとしてでも取る!
 
最初は全く歯が立たなくて絶望した。しかし、できないことを直視するところから全てが始まる。
家じゅうのいたるところに単語を書いた付箋をはりまくった。
通勤中、歩いているときは耳から学習。
満員電車の中では、小さい問題集を利用。
昼休みなどのスキマ時間ももちろん活用。
家では、リスニング音源に合わせて音読したり、問題集をタイマーで計りながら解いたり。回答は選択肢が合っているかだけでなく、きちんと解説までできて正解。
問題集は数冊を何回も何回も繰り返しやった。
 
さらに、マークシートを塗りつぶすのに、どの筆記用具が一番早いかまでストップウォッチで検証した。そんなことまでするなんて、意味なく本気すぎて、我ながら怖い……!
 
半年後には850点、1年後の試験では905点。ぎりぎりだったが、なんとか達成。(ちなみに900点を超えたらその後受検免除という噂は勘違いだった……頑張ったのに……涙)
 
今まで本気に何かをやって成功したという体験が皆無だった私にとっては、初めて「永遠の“やったらできる(ただやっていないだけ)”状態」から脱却できたと言える体験だった。
 
30代後半にして、やっと努力の仕方を知ることができた気がした。だいぶ遅いけど。
 
 
まず、とにかく本気でやり始めたら自分の実力という現実を嫌というほど思い知る。
悪魔はそこで諦めるのを待っている。
でも、それがスタートだ。「可能性に逃げ込むな。勇気をもって向き合おう」等身大のしょぼい実力を直視するのが嫌だと思ってしまうときに、最近ではそう自分に言い聞かせている。
 
また、本気で何かをやり始めたら、その時間とエネルギーを他のことに使うことはできない。TOEICの勉強をしていた1年間も、他の何かに挑戦するなんてできなかった。しかし、それこそ充実した時間ではないだろうか。あれやこれやのたくさんの小さな可能性を抱えておくのではなく、思い切り解き放って、真正面から覚悟したことに取り組む。それが可能性の悪魔に屈しない、最良の方法かもしれない。
 
 
さて、息子の受験の結果だが、結局翌日になっても第一志望は不合格のままだった。
残念……。でも、これで悪魔と断ち切れたんだよね。
多分人は、可能性を捨てるたび、前に進んでいる。
 
本気で取り組んだ経験は、結果はどうあれ大きな財産になる。
進学おめでとう。
 
 
 
 
***
 
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2022-03-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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