父と母と私と Ver2.0
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:ホシノナオミ(ライティング・ゼミ2月コース)
「お父さんが電話にでない」
母が携帯を見ながらそう言っている。
「倒れているわ。絶対」
次の言葉でいきなり結論である。
聞くところによると、約4日ほど電話しても出ないらしい。
父は決して社交的な人ではなく、
普段から彼の携帯は携帯されることなく、ほぼ固定電話と化している。
なので、二、三日電話が繋がらなかったとしても、それはいつもご飯をねだる野良猫がやってこない程度イベントなのだ。
「絶対、脳梗塞で倒れているのよ……」
診断までつきはじめた。
言葉にしたことで、まるで千里眼で倒れている父を目の前にしているかのように、
母は一人確信していた。
当時、母と父は伊豆に住んでいた。
40年近く住んだ都内の、いわゆる実家というやつを売却し、
ある日突然、父は伊豆に引っ越した。
彼には壮大な(=金のかかる)趣味があった。クラシックカーである。
それはもちろん、ただ所有するだけではない。
とにかくクルマは一度、三枚下ろしのように、
大きな部品単位でバラバラになる。
それからまたプラモデルのように組み立てられる。
それを可能にしていたのが、実家が営んでいいて
今は使われなくなった町工場のスペースと設備だ。
そんな恵まれたゴールデンエイジを謳歌していた父だが、
色々あり、家を土地もろとも手放すことになった。
さすがに同じような条件は都内では探せない。
これを機に、こんなお金のかかる趣味、せめてモデルカーか
ラジコンになるかと願ったが、そうはいかなかった。
ある時から、ダイニングテーブルに地方のガレージ付き物件情報の間取り図が、
わんさか出現するようになった。
「あ、やばい……」
母と私たち兄弟は直感した。
何も言わず資料を無心に調べる姿は、クルマを買う前のそれだからだ
我が家の場合、クルマはある日突然、家にやってくる。爆音と共に。
これからの家が突然降ってくる。私たちの野生の感がそう警報を鳴らした。
車も運転できず、乗ることすら好きではない母は、
車がないと生活できない田舎の生活など嫌だと主張した。
単身赴任が多かった父やその家族を支えてきた典型的な専業主婦である。
これからの生活を楽しむ権利があるのは父だけではない。
「あなただけの生活じゃない。お母さんのことも考えて次は選んでほしい」
私を初め、家族は言い続けた。
同じ屋根の下で暮らす家族としては当然の主張のように思えた。
「クルマに乗れるのも後10年ぐらいしかないかもしれないから、いいんだよ」
いいんだよ?!
何がいいんだ?!
あと10年だから?
いつまでもできることではないと自覚しているから?
怒りを通りこして一同唖然である。
だからこそ、伊豆の家を契約したと事後報告を受けた時、
私は父を許せなかった。
「これが、激おこぷんぷんまるかぁ」と冷静な私の半分が心の中でつぶやいた。
本当に頭がぷんぷんするのだ。
私はそれから父と疎遠になった。
伊豆にも一回も行かなかった。
父も呼ぶことはなかった。
母はせめてもの抵抗と都内に残ったが、その後一年ほどして
「一人暮らしのお父さんが心配」と伊豆に拠点を移した。
それでも月に1週間ほど、都内の私の家で過ごしており、
父と電話が繋がらなくなったのはそんな時期だった。
「とにかく、家の中を見てもらわないと」
母は顔見知りのご近所さんに電話をし始めた。
「あぁ、すいません。あの、主人と連絡がつかなくて……。
家に行って見てもらえないでしょうか?
ええ、家の鍵は閉まっているんですが、風呂場の窓が、確か、開いていているはずで……。
梯子が裏庭にあって。はい。はい。すいません。」
車の趣味が縁で知り合った近所の友人に梯子をかけ、2階の風呂場から侵入し、
居間で倒れている父を見つけ、救急車を呼んでもらった。
結局父はそこから、いわゆるI C Uで三ヶ月生死をさまよい、一命は取り留めた。
倒れた原因は脳梗塞ではなかったものの、結果的に脳梗塞も患い障害が残った。
母が言ったことは奇しくも予言として的中した。
クルマはあっけなく運転できなくなった。
突然の引越しから6年後のことだった。
その日病院の後、初めて私は伊豆家に足を踏み入れた。
両親の伊豆での生活を、私はそこまではっきりを思い描くことができなかったが、
その場所と母の話を聞いて、初めてその生活の輪郭を掴むことができた。
父は社交的な人ではなかったが、どこからか湧いてくる趣味のつながりで彼の周りには人が絶えなかった。
そんな生活の片鱗が至る所にあった。
彼にとって趣味は社会とのつながりであり、彼の存在意義だったのかもしれない。
住まいを選ぶときのあの理不尽な理由は、その自分の存在意義を維持するための無意識の抵抗だったのだろう。
彼のこだわっていた理由が少しわかった気がした。
翌朝、裏庭に行ってびっくりした。
裏庭は確実に傾斜があり、足場も良くなく、
そして2階の浴室の窓は3階じゃないか?!と思うぐらい高かった。
あの窓に梯子で?!
しかもその友人はほぼ80歳のおじいちゃんである。
私は怖くて絶対できない。
救急車が一台では足りなくなっていたかもしれない。
持つべきものはご近所様だ。
結局ここでも車という趣味が父を助けたのかもしれない。
***
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