しめ縄売りのおじさんへの恩返し
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:鈴木みえ(ライティング・ゼミ4月コース)
小学4年生の事だ。暮れも押し迫り明日は大晦日。母はおせち料理作り、父と兄は大掃除や買い出しで朝からみんな忙しそうにしていた。
そんな中、こたつに入ってテレビを観ていたらついに母に「何か手伝いなさい!」と怒鳴られた。
当時、我が家ではマルという柴犬を飼っていた。夕方になると散歩の時間だ。外に出るのは億劫だったが、窓ふきやお風呂掃除よりそちらの方が楽に思えた。
その日は底冷えのする寒さで、外に出ると風の冷たさが頬に刺さり、マフラーと手袋をつけてこなかったことを後悔した。
とにかく早く散歩を終わらせて家に帰ろう。
その思いから草をくんくんと嗅いでいるマルのリードを無理矢理引っ張った。
その場にもっといたいマルは、頭を下げ、前足で踏ん張って抵抗する。
「もう! 行くよ!」更に強くリードを引っ張る。
その瞬間、すぽん! と首輪が抜けマルは嬉しそうに逆方向に走り出した。
「大変!」数か月前の出来事が頭をよぎり慌てて追いかける。
マルはとても人懐こく、賢い犬だったが脱走癖があった。
隙あらば、脱走する。これまでは放っておいても2,3日で帰ってきたのだが、前回逃げた時は3日経っても帰ってこなかった。
保健所に連絡し、家族全員で探し回った。事故にあったのではないか、遠くに行って迷子になり帰ってこられなくなったのではないか。と不安がよぎる。
1週間が過ぎ、10日が過ぎ、どこかでもう帰ってこないのかもしれない……。と諦めかけていた時、兄がマルを連れて帰ってきた。
10日も行方不明だったのにも関わらず、マルは毛艶も良く、瘦せ細ることもなく元気そうだった。いつもなら身体はどろどろに汚れ、臭いにおいをつけて帰ってくるのにとても綺麗なのだ。
どういうことなのだろう? 兄に聞くと、諦めきれず範囲を拡げ探していたら、マルそっくりの犬を知らない人が散歩させており、あまりに似ているから思い切って声をかけてみたそうだ。
すると1週間位前に公園で見つけて「おいで」と言ったら嬉しそうに寄ってきて、汚れているし、首輪もつけてなかったからてっきり捨てられたのかと思って、飼うことにした。そう話したという。
事情を伝え返してもらった、ということがあったばかりなのだ。
また、そんなことになったら大変だ。
必死で追いかけ、近寄って捕まえようと手を伸ばすが、マルはからかうようにまた走り出す。
末っ子の私は日頃からちょっとバカにされているように感じていた。両親や兄の言う事は聞くのに、私のことは知らんふりすることが良くあった。
「もう……」段々、腹が立って帰りたくなってきた。
でも、捕まえずに帰ると大晦日前の忙しい時なのに、ときっと迷惑をかけてしまうだろう。そう思って追い続けた。
追いついては逃げられ、追いついては逃げられ……。どの位繰り返しただろう。
日は沈み、辺りは真っ暗になり気温もどんどん下がっていった。疲れ果てて走る気力もなく、とぼとぼ歩く。吐く息は白く、手はかじかんでいく。気が付くと、最寄りの駅から3つ先の駅まで来ていた。
その駅前には商店街があり、入口に数軒の露店が並んでいた。
そこは港が近く、外国船の船員や日雇い労働者が多く住んでおり、大きな通りから1本道を入ると薄暗く、日払いのアパートが立ち並んでいた。
日頃、母から危ないから絶対行ってはいけないと言われているエリアだった。
怒られる、と咄嗟に思った。犬を逃がしただけでなく、行ってはいけない場所にいることが身体をぎゅっと固くした。
もうどうしたら良いかわからない。そう思うと泣きたくなった。帰るにもこの距離をひとり戻るのか、そう考えると足が急に重くなってその場に立ちすくんでしまった。
すると、露店でしめ縄を売っているおじさんが「どうしたんや?」と寄ってきた。
見ると前歯が数本なく、お世辞にもきれいとはいえない服装をしている。
怖くて何も言えずにいると、私が手にしていた首輪とリードを見て「犬、逃げたんか? おっちゃん、探したるわ」そう言うと、売り物のしめ縄の上にレジャーシートをばさっとかけた。
「どんな犬なん?」と聞かれ、「柴犬で茶色の子」何とかそれだけ伝えると「よっしゃ。まかせとき!」と言い、隣のおでん屋の屋台で「犬やったら、スジ肉とちくわが好きやろ! お姉ちゃんもお腹空いてるんちゃうか? 今日は寒いしな」とおでん串を買って持たせてくれた。その温かさに抑えていた涙が溢れた。
頭の中では、この地域の人は怖いという気持ちがあったものの、おじさんしか頼る人はいなかったし、前歯のない笑顔になんだかほっとして笑いそうになった。
マルを探している間、おじさんはいろんな話をしてくれた。そして出身は愛媛で「しめ縄がたくさん売れたらお正月帰れて、子供にも会えるねんけどなあ」と少し寂しそうに笑って教えてくれた。
30分位経った頃だろうか、ようやくマルが現われた。
人懐っこいマルは、おじさんの「おいで」の一声とちくわのおかげで嬉しそうに寄ってきて、あっけなく捕まえることができた。
その後、おじさんは交番に連れて行ってくれ「ここから家に電話させてもらい。おっちゃんが送っていったら家の人びっくりするやろ?」とにっと笑って露店に戻っていった。
暫くすると、慌てた様子で両親が車で迎えに来てくれ、無事に家に帰ることができた。
私はその時に、どうしてもあのおじさんの事が言えなかった。行ってはいけない場所に行き、知らないおじさんとマルを探したこと、おでんを買ってもらって食べたことを怒られるのではないか、その思いでいっぱいだった。
その夜布団の中で、あの時事情を話していたら、お父さんもお母さんも一緒におじさんにお礼を言いに行ってくれただろう。しめ縄も買ってくれたかもしれない。そうしたらおじさんはお正月、故郷に帰れたかもしれない。そんなことを考え、とても後悔した。
何より、恐らく一番の書き入れ時にマルを探すためにお店を閉めて、最後は交番まで連れて行ってくれた。その優しさに私はちゃんと「ありがとう」が言えたのだろうか。多分、言えなかった気がする。
おじさんはお礼を言って欲しくてマルを探してくれたのではないと思う。
でも、自分が怒られたくないあまりに、伝えられなかった「ありがとう」は暫くの間、心に重たく残っていた。
そのため、それからの私はその場で「ありがとう」を伝えることを意識している。そして、困っている人がいたら放っておけなくなった。おせっかい、と言われることもあるが別に良い。それがせめてもの恩返しなのかもしれない。
***
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