ショート小説『最後の君の、花言葉』
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
※この記事はフィクションです。
タクシーに乗り込むと、冷房の匂いがした。もう夏が来ていた。
タケシと付き合いだして、三度目の夏だ。
「ちょっと近いんですが、中央公園までお願いします」
タクシーが動き出すのを待たずに、スマホに『遅れてごめん! あと10分で着く!』のメッセージを素早く打ち込む。社会人4年目は、自分で仕事を回せるようになった分、やれることもやりたいことも増えるばかりだ。
本当はレストランを予約して、もっとちゃんとオシャレして行こうと思っていた。けれど、気がついたらもう今日が来ていたのだ。
『誕生日なのに、ごめんね』
ーー今度の誕生日には、私が花束を用意しようって、思ってたのにな……
先々月の自分の誕生にもらった真っ白なカーネーションの花束を思い出すけれど、もう時計は十時を回って、花屋なんてどこも空いていない。
けれど、そもそも今の自分は、彼にどんな花を贈れるのか……
タクシーの窓から流れる風景をぼんやり見つめながら、優華はそっとため息も漏らした。
* * *
始まりは、小さなライフハックだった。
仕事が忙しくなるほどに、ついつい部屋が汚くなって、足の踏み場がなくなることも。そんな日常を変えるべく始めたのが、部屋に花を飾ることだった。
「花はいいわよ。部屋をきれいに保たなきゃって、気持ちになるから。可愛いしね」
尊敬する上司がそう話していたのを、こっそりそのまま実践したのだ。
幸い、職場のすぐ近くに小さな町の花屋があって、昼休みにコンビニへ寄るついでに花を一輪選ぶことができた。
「よかったら、これもどうぞ。切り花が余っているので……」
時々、店員さんが一本サービスしてくれるのも、嬉しくて気に入っていた。
そんな花屋の彼が、あるとき、小さな丸い花束を差し出してきて、
「よかったら、これもらってくだい。僕の気持ちで……いや、あの、一度デートに行ってくれませんか?」
いつも丁寧に花を包んでくれる彼の、たどたどしい告白。とてもかわいい花束だった。
赤いチューリップ、ハナミズキ、黄色のミモザ、白の小さなカスミソウ……
どれもサービスしてくれたことのある花たちだ。
『愛の告白』『私の想いを受け取ってください』『秘密の恋』『永遠の愛』
そんな花言葉を持っている花なんだよ、とタケシが教えてくれたのは、実際に二人が付き合ってから少したってからだった。
ーー三年も一緒にいると、季節の花がわかるようになったもんなぁ。
タケシはそれから、たくさんの花を贈ってくれた。それらが花言葉と一緒に贈られているということぐらい、あの話を聞いた後は、優華にだってわかった。
付き合いはじめた夏は、ナデシコの「純愛」。
好きだと話したアイスと一緒に渡されたひまわりの「あなただけを見つめる」。
京都旅行の後にくれた真っ赤な紅葉の枝は「大切な思い出」。
冬だって、小さくて健気なナズナは「私の全てを捧げます」。
聖夜のオンドグロッサムは「特別な存在」。
そんな花たちは、部屋でふと目にするたびに、優華に愛されていることを囁き続けてくれた。
青いヒヤシンス「変わらぬ愛」、ブーゲンビリア「あなたしか見えない」、センニチコウ「色あせぬ愛」。
ブルースター「幸福な愛」、ミニバラ「果てしなき愛」、ナンテン「私の愛は増すばかり」……
そうだ、確かにタケシはずっと、優華のことを大切に想ってくれている。
ーーでも、やっぱり……ううん、だからこそ……
今日、別れを告げよう。膝の上で組んだ手に、ぎゅっと力を入れた。
いつからだろう、出勤時には、アイラインを濃く引くようになっていた。
「強く見えるから」と優華が答えると、タケシは「強く見えなきゃダメなの?」と笑った。そうやって笑うタケシの世界が、優華はやさしくて愛おしいと思っていた。
けれど、仕事に打ち込むほどに「強くなりたい」「強くならなきゃ」と思う気持ちは強まって、タケシの優しい世界と優華の日常の差が広がっていくような、そんな違和感がずっと消えずにここまで来てしまった。
そうしてついに、先日の栄転の話だ。引っ越しが伴う話なのに、一大プロジェクトのチャンスに優華は迷わず飛びついた。そんな自分に気がついたとき、このたくさんの愛をもらい続けていてはもうダメなんだと、ようやく心が決まったのだ。
ーーせめて、今日、花束を渡せるような私だったら…………
思わず、そう考えたけれど、何も持っていない両手こそが全てだった。
* * *
引っ越してきて数日後、新居のマンションのインターホンが鳴ったとき、ドキッとした。
最後にどんな花を選んだんだろう、と、本当はずっと気になっていたからだ。
「でも最後に一つだけ、君に花を贈ってもいい? これで最後にするから……」
誕生日のディナーを終えて、一通り優華の話を聞いた後にタケシはそう答えた。それを断るほど、優華は冷たくなりきれなかった。それに、そんな風に言われてしまうと、気になってしまう。
ドキドキしながら、宅配を受け取るためにドアを開ける。いったい、どんな花束がーーー
「えっ!!!」
デカい。扉の向こうでは、宅配のお兄さんが少し息を切らしながら、大きな鉢植えを抱えている。
そして、その鉢から溢れんばかりの青い紫陽花が………
まあるく大きな花の塊。深いブルーは宝石のようで、思わず手を伸ばして触れたくなる。
バルコニーまで運んでもらって、実際に、そっと手を伸ばす。
ーーどうして、これを……
これまでに贈られた花は、全て切り花だった。最後になって、こんな大きな鉢植えを送ってくるなんて。
胸の鼓動は表面上は静かに、けれどずっと早鐘を打っていて、スマホで検索する指先が少しもたつく。
紫陽花の花言葉はーーーー
「冷淡」「移り気」「あなたは冷たい人」
目にした言葉に、タケシの優しい笑顔が重なって、心がヒヤリとする。やっぱりひどく傷つけてしまったのだろうか、そんな仕打ちをしたことを、忘れられないように枯れない鉢植えに……?
けれど、最後の花言葉に、ハッと目が止まる。
「辛抱強い愛情」
(ドイツ人医師シーボルトが日本人女性に恋をしたが、国外追放されて、帰国後、持ち帰った紫陽花に女性の名前をつけて普及したことに由来する。)
ーーどっちだろう……
タケシは、どっちの意味で、この紫陽花を贈ってきたのか。一方的に別れを切り出した優華を非難したかったのか、それとも、それでも愛していると伝えたかったのか。こんなに立派な鉢植えにするほど優華に忘れて欲しくない感情は、一体どちらだったのか。胸のうちがグルグルと回って感情がせめぎ合って、優華は、紫陽花から目が離せない。
もう一度、そっと紫陽花に触れる。
やさしく、少し湿った感触が、手のひらにそっと寄り添ってくる。
ーー水やり、忘れないようにしなきゃ。
どちらにしたって、それは最後にタケシがくれた言葉だ。
これから梅雨の季節。
きっと、雨に濡れた紫陽花がキラキラ光って、ふと目に入るたびに、優華は流れた日々とこの花言葉のことを思い出すだろう。
***
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