昭和の玉子焼き、令和の玉子焼き《週刊READING LIFE Vol.182 令和の「家族」像》
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2022/08/22/公開
記事:青木文子(天狼院公認ライター)
父のつくる玉子焼きが好きだった。
甘めのだし巻きのような玉子焼き。ふわふわとしていて、でもきっちりと焼き目がついていて。子どもが生まれてから実家に寄ると、このだし巻きをつくってはサランラップに巻いて帰りに持たせてくれるのが常だった。
父がいつからこの玉子焼きを作るようになったかは記憶にない。凝り性の父がいつからか研究しはじめて、しばらくすると、真似ができないような絶品玉子焼きを焼くようになっていた。昨年突然なくなった父を思い出すことと、この玉子焼きの味はなぜかワンセットで私の想い出立ち上がってくる。
私たちは昭和の家族であった。
元号でものごとを語るのは好みでないし、昭和自体が60数余年続いた長い年月であるので、ひとことの「昭和」でくくるのには無理がある。それでも令和の今から振り返ってみると、そんな言葉で自分たちの家族を言ってみたくなるものだ。
我が家は決して豊かな家族ではなかった。
一億総中流という言葉がある。日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える「意識」を指す、1970年代の日本の人口約1億人にかけた言葉だ。まさにその時代の家族であった。
サザエさんという漫画がある。
サザエさんの最初の発表は1946年。戦後すぐ、昭和21年から描かれている漫画だ。戦後からこちらの生活の空気がこちらに伝わってくる漫画。我が家にはサザエさんが全巻あった。
今の多くの人はテレビアニメでのサザエさんで知っているだろう。原作漫画は4コマ漫画で、戦後からの家族の日常や、ご近所とのお付き合いとか、世相や流行が事細かに描かれている。
サザエさんの中に、幾度となく出てくるシーンがある。お決まりのシーンといってもいいかもしれない。酔っ払ったお父さんが十字に紐のかかった平たい箱をぶら下げて千鳥足で家路をあるくシーン。これ、サザエさんに限らず、昭和70年代前後のコントやドラマにも表現されているからご存じの方もいるかもしれない。
一度サザエさんを読んでいた、平成生まれの息子から
「これはなんの箱を下げているの?」
と聞かれたことがある。
ご存じの方もおられるだろうが、あの箱の正体は「寿司折」である。
寿司屋さんで一杯やったあとの家族へのお土産。中にはにぎり寿司やちらし寿司が詰められている。家族へお土産としてお店に頼む人もあろうし、接待側が「ご家族へどうぞ」と用意することも多いと聞いたことがある。
実際に父は「平たい箱に十字の紐を掛けた」お土産を下げて帰宅したことが幾度となくあった。
玄関で音がする。お父さんだ。玄関でつまずきながら入ってくる父を母が「酔っ払っているのに大丈夫?」と声をかける。
あまり外で飲むことがなかった父が酔っ払って返ってくるのは珍しいことだ。子ども部屋から子どもたち3人で顔をのぞかせる。父が手に何かを持っている。あれ、なにかな? 食べ物かな?
「お土産があるぞ」
珍しく父が上機嫌でいう。
子どもたちが「わっ!」と喜んで食卓を囲む。
「食べていいの?」「開けていいの?」「これお寿司?」
と口々に聞く。
父は「みんなで食べなさい」と言い残して風呂に入って寝てしまう。
まだ回転寿司もない時代。ときおり食べる寿司折りの寿司。子どもである私にとっては、まだ知らぬ社会から運ばれてくる「大人の食べ物」であった。寿司折りの中の玉子焼きは、分厚くて甘かった。
父は、無口な人であった。
今思うと、食べ物の話を良くしていた。
戦後食べ物が無い時の話、その時に食べた肉のかけらが美味しかった話。戦後の焼け跡で悪友たちと釘を拾って、それをくず鉄やさんに買ってもらって、その小銭で駄菓子屋でお腹いっぱいお菓子を食べた話。青空教師で始まった、小学校の学校給食、コッペパンと脱脂粉乳のはなし。
戦中、戦後、疎開せずに暮らしていた父の家族たちは、日常的に食べるものに困っていたという。男3人、女一人の4人の子どもを抱えた祖母はなんとかして子どもたちに食べるものを確保しようとしていたと聞く。
祖母がある日、とっておきの晴れ着をリュックに詰めて中央線に乗って出かけようとしたそうだ。まだ小学生にあがるか上がらないかの父がそれについていったという。
汽車がモクモク煙を吐きながら走る中央線。揺られてたどり着いたのがどこだかは知らない。岐阜の農村だったそうだ。祖母は農村の農家の戸を順番に叩いて、お願いを繰り返したという。
「この晴れ着と食べるものを交換してください」
分けるものはない、と無下に断られることがほとんどだったそうだ。その中の一つの農家に長芋があったという。
「長芋をすりおろすと、子どもたちが玉子だ、玉子だと喜んで食べるので、すこしでいいので分けていただけないでしょうか」
祖母は深く頭を下げたという。
その話を父から聞いたのは一度きりだ。
最後、祖母が頭を深く下げたくだりになると、父の言葉がとぎれとぎれになった。みると父が泣いていた。メガネをとって分厚い手で目を押さえていた。胸が締め付けられた。父の涙は、見てはいけないものを見てしまったような気がした。父が玉子焼きにこだわっているのはこの時の想い出なのかもしれない。もちろん聞いたことはないけれども。
父は昨年、突然倒れて、そのまま入院、2週間後には口がきけなくなってその2週間後に亡くなった。悪性の脳腫瘍だった。
父が亡くなる2ヶ月ほど間に実家によった。
その時も玉子焼きを持たせてくれた。それが父の最後の玉子焼きだった。
あの玉子焼きの味を自分でも再現したいと、それから何度となく玉子焼きを焼いてみた。玉子を割って箸で小刻みに混ぜる。
「玉子ひとつに15ccの出汁をいれるんだ。そうするとふわふわの焼き上がりになる」
得意げに教えてくれる父の声が聞こえてくる。
何度焼いても何度焼いても、あの玉子焼きの味には及ばない。すこし悔しいけれども、それでも時折息子たちにこの玉子焼きを焼く。今の私の味での玉子焼きを焼く。
昭和の家族から令和の家族へ。家族の想い出の歴史は食べ物の歴史なのかもしれないと思う。
□ライターズプロフィール
青木文子(あおきあやこ)
愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。
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