メディアグランプリ

取材とは他者を通じて自分を知ることだった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:深谷百合子(ライティング・ゼミNEO)
 
 
穏やかに晴れた春の日だった。古い街並みが続く東海道の宿場町を歩きながら、ふと思った。
 
「1年前の私と随分変わったんだな」
 
何かをブレイクスルーしたと思えるような、一瞬にして大変身するようなことがあったわけではない。ただ、ちょうど1年前も今と同じように、ここを歩いていた自分をふと思い出し、その時と今とでは、同じ景色でも見え方が違うように感じていた。
 
1年前、私は取材先への手土産を買うために、江戸時代から続く老舗の和菓子屋があるこの宿場町に来たのだった。私にとっては生まれて初めての取材だ。何の実績もなく、連載されるかどうかも決まっていないのに、取材先は私からの依頼を引き受けてくれた。そのことに感謝する気持ちと、「ちゃんとできるだろうか」という不安の気持ちとが入り混じったまま、私は街道筋を歩いていた。何よりも、自分がこれからどこに向かっていくのかが見えない焦りがあった。よく晴れた青空なのに、私の視界は曇っていた。
 
もともと私は取材に興味があったわけではなかった。2年前に名古屋天狼院ができて、「中部地域からも連載記事を出して発信していこう」という流れの中で、私も連載の企画書を書いてみようと思い立った。
 
最初は、6年半に及ぶ中国での経験を、「体験記」のような形で連載できたらいいなと思っていた。ところが「ビジネスの視点からの方が面白いのではないか」とフィードバックを受けた。私は急に腰が引けてしまった。自分の経験したことなら書ける。でも、中国は広い。私が仕事上で経験したことなんて、ほんの一部分にしかすぎない。企画は出したい。でも何を書いたらよいか分からない。
 
結局、私はその企画を通すことを諦めた。
他に何かネタになりそうなことも思いつかないまま、1ヵ月が過ぎた。
 
その日の編集会議も、いつもの通り「中部に何かないですかねぇ」から始まった。
 
「岐阜県の神岡にあるカミオカンデとか面白そうですけどね」
私はふと思いついたことを言ってみた。
「カミオカンデ? 何ですか、それ」
「初めて聞く名前です」
編集会議に出ていたメンバーの反応が私には意外だった。「知らなかった」と言われると、「他にもこんな面白い所がありますよ」と、色々と教えたくなる。
 
「こんな所もありますよ」
私は、10年以上前から気になっていた「地下工場」の写真を皆に見せた。地下工場は日本に数カ所しかない。その1つが岐阜県にあるのだ。
 
地下は1年中温度が安定していて、夏は涼しく冬は温かい。だから地上に工場を建てた時と比べると、空調のための光熱費を抑えることができる。けれども、建設コストは高くなる。それでも敢えて地下工場にしたのはなぜなのか。私は昔からそれが知りたかった。
 
「工場の取材とか面白いんじゃないですか? 中部地方はものづくりが盛んですし」
名古屋天狼院の店長がそう言ってくれた。
 
その地下工場のことを調べてみると、今は博物館として一般公開していることが分かった。チャンスである。私はまず自分の目で見ておこうと、現地へ行ってみた。
 
写真で見たのと同じ風景が目の前に広がっているのを見ると、心が躍った。中に入ってみると、蒸気機関車が置いてあったり、古い工作機械や懐かしの家電製品が並んでいた。
 
こんなに古い機械をどうやって集めたのだろう?
子どもに分かりやすいように説明を工夫するのは、大変だったのではないかな。
目的があって地下工場にしたはずなのに、どうして博物館にしたのだろう?
 
聞いてみたいことがいくつも湧いてきた。
 
私は取材の目的や取材で聞きたいことを整理した。そして、私が今までに書いた記事の中から、ものづくりについて書いた記事をひとつ選んだ。まだ連載記事の実績がない私にとって、それが相手に示せる唯一の実績だったからだ。
 
しかし、取材を申し込むといっても、窓口が分からない。ツテも無い。とりあえず、先方のホームページにある「問合せ」から問い合わせてみるしかない。私からの依頼なんて受けてもらえるのだろうか? 断られたらまた一からやり直しだな。そんなことを思うと、なかなか踏み出せない。依頼するのはもう少し下調べをしてからにしようと先送りにする。グズグズしたまま数日が経った。
 
気になっていることを気になったままにしているのは、居心地が悪いものだった。いつも頭の片隅に、「やらなきゃ」というプレッシャーが居座っていた。このままではいつまでも進まない。取材を断られたら、次の一手を考えたらいい。私は再び先方のホームページを開き、問合せフォームに入力をした。あとは天にお任せだ。私は意を決して送信ボタンを押した。
 
翌日、見知らぬ番号から電話があった。出てみると取材依頼先からだった。電話を持つ手に力が入る。
 
「ご依頼頂いた取材の件で、確認させて頂きたいことがあるのですが」
何を聞かれるのか、緊張で心拍数が上がる。
 
「地下にした理由ですが、主な目的は振動対策だったんです。省エネが第一の目的ではなかったので、取材の趣旨に沿いますでしょうか?」
「もちろん大丈夫です。それだけが取材の目的ではないので」
私は実際に現地で展示を見て感じたこと、聞いてみたいと思ったことを懸命に話した。
 
「承知しました。それでは取材をお受けしたいと思います」
「ありがとうございます」
私は一気に緊張が緩んで床に座り込んだ。改めて取材依頼書を送ることを約束して電話を切った。まだ冬だというのに、顔にも手にも汗をかいていた。
 
取材を受けてもらえたということは、「どうぞお入り下さい」と未知の世界への扉を開けてもらえたような感覚があった。でも、私は入口に立っただけだ。その先の道は自分でつくっていかなければならない。取材ができる喜びと同時に、不安や恐れもくっついてきた。
 
取材当日までの間、ライティングの講座で聞いた「取材の作法」を繰り返し見直した。年度末の忙しい時期に、わざわざ館長が話をして下さるという。
 
「失礼のないようにしなければ」
「どこにも載っていない面白いエピソードを聞けるだろうか?」
 
私は期待と緊張と不安でいっぱいになりながら、取材当日を迎えた。
 
対応して下さった館長は、「これはオフレコだけど」と時々本音トークも交えながら、私からの質問に答えてくれた。館内もひとつひとつ丁寧に説明して下さり、気づけば予定時間を1時間もオーバーしていた。
 
初めての取材は何とか無事に終えることができた。でも、ここからが本当のスタートだった。取材を終えて書いた記事は、「情報を並べただけ」とダメ出しが出た。構成を変えて書き直す。何度も書き直して、ようやくOKが出ても、企画が通らなければ掲載はされない。企画を通すためには、最低でもあともう1ヵ所取材に行き、記事を書かなければならないのだ。
 
語句や言い回しなど、細かくチェックして下さった取材先の広報担当に、記事の公開予定日を明確に伝えられないのが心苦しかった。
 
取材をさせて頂いた以上、何としても企画を通して記事を世に出さなければならない。そのことがモチベーションを保つ原動力になった。
 
次の取材候補となる場所へ下見に行き、そこで感じたことを記事に書き、その記事を添えて取材依頼を出した。受けてくれるどうかは分からない。当たって砕けろだ。
 
依頼を出した翌日、「日程の候補日をお知らせ下さい」と連絡がきた。企画が通るまで記事の公開を確約できないことも承知のうえで、取材を引き受けてくれたのだ。
 
2ヵ所目の取材へ行ってから1ヵ月後、ようやく企画が通り、連載が決定した。初めての企画を出してから9ヵ月、初めての取材に行ってから4ヵ月が経っていた。
 
それから今までに5ヵ所を取材させて頂いた。今では取材をすることも、取材記事を書くことも、どちらもライフワークにしようと思うほど、ハマっている。
 
これまで私は「自分」を材料に記事を書くことが多かったけれど、視点を「自分」から「他者」へ向けてみたら、世界が広がった。自分の材料は有限だけれど、外にある材料は無限だ。しかも、取材は「ただ聞いたことを書くだけ」ではなかった。取材で聞いた「他者」のストーリーを通して、自分を見つめ直すことができたのも、私にとっては意外なことだった。
 
例えば、取材で聞かせて頂いた創業者たちの「最初の一歩を踏み出したストーリー」は、個人事業主である私に多くの示唆を与えてくれた。何かを成し遂げた人は、「自分がどうしたいか」ではなく、「相手にどうなってほしいか」を考え、更にその先にある「どんな世界を実現したいのか」というゴールを設定していた。そんな視点、私は持っていなかった。
 
そこで、「私だったら?」と自分に置き換えてみた。すると、自分がどんな道を歩んでいきたいのかが見えてきた。私は色んな世界を見せる人でありたい。私が知り得た心が震えたストーリーを沢山の人に届け、そこから感動や気づきや勇気が生まれてくれたらいいなと思う。1年前には視界不良で見えなかった自分の道が、今はスッキリと見えている。
 
初めての取材依頼を出してから1年半が経つ。今でも依頼を出すときには、ドキドキする。つい先日も、「今回は見送りとさせて下さい」と取材を断られたばかりだ。そういう時は少しへこむ。でも、それはそれで仕方がない。まだ私の実力が不足しているからだ。いつか「うちに取材に来てくれませんか」と依頼されるくらいになっていたいと闘志が湧く。
 
ものづくりの現場には、発信したくても人手が足りなくて思うように発信できないところも多い。「素晴らしい技術があるのに、知られていないなんてもったいない」と思うところがいくつもある。ものづくりを裏で支えている産業もある。そうした「知られざる現場」を見せていくことにも取り組んでいきたい。そうして伝え続けていくことが、何も決まっていないのに取材を引き受けて下さった取材先や、企画が通るまで支えて下さった方たちへの恩返しになると思っている。
 
 
 
 
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2022-08-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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