週刊READING LIFE vol.185

恋におちたのは90年代のベネチアでした《週刊READING LIFE Vol.185 大好きな街》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/09/12/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
そこはまるで巨大な舞台セットが水に浮かんでいるようような街だった。
想像をはるかにこえる見たことのない景観。
私は一目で恋におちた。
その街の名前はベネチア。
 
その時、私は近郊にあるリド島からベネチアにボートで向かっっていた。
イタリアのリド島は私の憧れの映画「ベニスに死す」の舞台になった島だ。
成功し老いた作曲家が静養にやってきたリド島である少年に精神的な恋をする。
ギリシャ彫刻のように美しい少年は、美を求めてやまない作曲家の心をゆさぶり続ける。誰もがいつかは経験するルキノ・ヴィスコンティ監督の名作。
その中心となったのが、グランドホテル・デ・バンだ。
そしてイタリアに行くならどんなことをしても泊まるのが夢だった。
 
映画さながらに海の見える部屋から海辺や夕陽をみて過ごしては、浜辺で本を読む。
そして栄華から置き去りにされたさびれたカジノに立ちよった。
夢の一日を終えた後に訪れるベネチアは私にとってはおまけぐらいの存在だった。
 
世界でも有名な運河のある魅力的な観光地。そんな知識しかなかった。
 
ボートが街に近づくと、カナルグランデ(大運河)の遠景の向こうに、優美としか例えようのない様式美の古い建物が互いに支え合い寄りそうように建ち並んでいた。
 
それは写真や映像でみるよりもはるかに美しかった。
ラグーナと呼ばれる潟の上に街が築かれた類をみない水の都であり、15世紀に海運業で地中海一帯を制覇した最盛期の歴史を経て、現在は世界遺産に登録されている。
 
街の中心にある世界一美しいといわれるサン・マルコ広場でボートを降りた。
 
27才の6月。
 
美の盛りを過ぎた斜陽の貴婦人のようなたたずまいの建物。
無数の水路と橋、漆喰のおちた色あせた壁。
今も沈みゆく街に一人立ちすくみ、その絵画のような美しさにただ圧倒されていた。

 

 

 

ドゥカーレ宮殿、サンマルコ寺院、女性遍歴で有名なカサノバが脱走した牢獄へつづくため息橋なども見学したが、私の心を捉えたのは、街がつくりだす無数の影だった。
陰がうみだす陰影こそがその街の魅力だった。
 
街を知りたくて色んな宿をわたり歩いた。
 
ヴェルディのオペラ「椿姫」の初演で名の知れたオペラ歌劇だったフェニーチェ劇場。その隣に小さなホテルがあった。
そこに泊まり午睡をしていると、オペラ歌手のリハーサルの声が、壁を伝って聴こえてきた。アリアを歌うソプラノ歌手の声を耳にしながらまどろんでいると、小さな部屋が天上界のような至福感に包まれた。
昼になるとオーケストラの楽団員がやってきて遅い昼食で賑わう姿を、ホテルの食堂の片隅で眺めのが楽しかった。
音楽家がささやくように会話する姿に見惚れながら、自分もその中にいつしか溶け込んでいく。
 
ヨーロッパ最古の1720年創業のカフェ・フローリアンに一歩足を踏み入れると室内装飾の優美さはただものではない。
Caféの中はそこを愛した亡霊たちでいっぱいだ。プルースト、ディケンズ、ゲーテも訪れたCaféの合わせ鏡のなかには、今もいくつもの世紀がパラレルに共存しており、行く度に小さなタイムトリップを経験することができた。
 
街に慣れたころ、サン・マルコ寺院のそばに安い宿を見つけた。
一等地にしては格安で案内された部屋はエレベーターもとまらない屋根裏部屋だった。
最上階から2階分くらいの階段をあがったところに小さな部屋がり一台のベッドが部屋のスペースのほとんどをしめる狭さだったが、寺院の鐘楼が目線の高さにあった。
時をつげる荘厳な鐘の音が間近にきけるうえ、世界遺産の寺院の屋根やサン・マルコ広場が一望できる最高の掘り出し物件だった。
 
ある夜、部屋にいると広場からヴァイオリンの音色が聞こえてきた。その音色はコンサートで聞くような上品なものではなく、気まぐれで力強く、官能的な喜びにあふれ、どこまでも自由だった。見ると音楽につられて人が広場で踊っていた。
 
ツィゴイネルワイゼンの曲を弾き始めた途端、心をかき乱された私はついにいてもたってもいられなくなり、階段を駆け下りていた。
広場には一人の長い髪のロマの男性がヴァイオリンを弾いていた。その音色は駿馬のように天井のない舞踏城を天に向かってかけあがる。
人がその音色に酔いしれたり周りに集まるのを彼はまるで楽しむように、曲調はどんどん激しく早くなる。
彼の圧倒的なカリスマは世界一の広場を、自分の世界で包み込んでいた。
全ての通行人の足をとめたところで彼は曲を弾き終えた。
広場からは万雷の拍手と喝采。口ひげを蓄えた演奏家は深々とお辞儀をすると巻き毛をかきあげて、カフェの奥へと消えていく。私も知らず知らずにその後を追った。
なぜついて行ったのか判らない。
 
カフェの奥の階段を上がろうとしていた演奏家が、ふと気づいて振り返り目があった。そして何か声をかけようとする私のそばにきて、口元に一本の指をたてて“何も言わなくていい“と身振りで伝えた。
そしてタキシードの胸にさしていた赤いカーネーションをぬいてさしだすと、いたずらっぽい視線をのこして、身をひるがえし階段を駆けあがった。
 
余韻で動けない私は思った。この街はいったい何なのだ。一つ一つの事象がなぜこうも芝居がかっていてドラマチックなのだろう。
しかもそんな芝居がかった現実が違和感なく日常的に起こる。そんな魅惑的な街だった。

 

 

 

「ノー、バンカロッタ! 」
 
もう何人ものゴンドラ漕ぎ(ゴンドリエーレ)からそう断られていた。
Bancarotta(バンカロッタ)はイタリア語で、破産を意味する。
1時間で120ドル以上稼げるのに、一人の私はその半分で乗せて欲しいと頼んでも彼らは稼ぎにならないと断った。
客を降ろしたゴンドリエーレや客のひけた時間をねらってもなかなかうまく交渉は成立しない。
 
私はベネチアまで来てゴンドラに乗らずに帰ることがどうしてもできなかった。
どうか、どうか、ゴンドラに乗れますように! そう祈った。
ある夕方近く、ダメもとでまた声をかけてみた。
「君、2日前も来てたよね。ゴンドラはまだ乗れないの?」
意外な反応があった。
「うん、誰も一人じゃのせてくれない」
「ゴンドラっていろいろと経費がかかるからね。僕はもう終わってこれから妻の待つ家に帰るけれど、そうだな20分くらいならなんとかなる。
それで良かったら乗る?」
私はその申し出に飛びついた。
 
ゴンドラで水路をめぐりながら見上げる街の姿はまた別の街の見るようだった。
低い水位から見上げる街の建物や橋の姿を一変する。狭い水路を静かにすすんでいくと、いきなり広い運河があらわれる。目に飛び込んできたのはリアルト橋だった。
まるでゴンドラから見る景色を想定してつくられたような精緻な景観にただ息をのんだ。
一度目の祈りが聞きとどけられた瞬間だった。
 
ゴンドラの貴重な経験としてこんなこともあった。
友人となったゴンドリエーレが観劇を終えた私を迎えにくることになった。
コンサートを終えて劇場の出口へ向かうと劇場マネージャーと話していた友人が違う方向へ歩き出した。
ついていくと、貴賓室のバルコニー席の後ろの古い扉を開ける。
秘密の扉の後ろには水路につながっていてゴンドラが横づけしてあった。
要人や昔の貴族がかつて人目を忍びながらゴンドラに乗る場所だった。
いにしえのミステリアスな空想にひたりながら、私はその夜を“貴婦人の夜”と称して
心に深く刻んだ。
夜の水路は、昼の緑から墨をながしたように漆黒にかわっていた。心もとない外灯が小さな橋の影をつくり、朽ちてはがれ落ちた建物の壁に二人の影だけを長く短く写しだしていた。
 
まるで映画のセットのようだった。
キャサリン・ヘップバーンの「旅情」の映画を想起させる。
気づくと陽の落ちた街のいたるところにカップルたちがエキストラのように現れる。
 
ゴンドラはカナルグランデ(大運河)にでて、海から金の獅子の石柱のある壮麗なサン・マルコ寺院を見渡せた。
 
世界一美しく甘美な夜。
 
これ以上、ロマンチックな情景などありえなかった。
しかし冷えたシャンパンを飲みながら、隣のクッションを見るとそこには誰もいない。
なぜ私は一人なのだ。ふと正気にかえる。
完璧な劇場で演じる芝居でたった一つ欠けていたのはほかでもない、愛するパートナーだとその時ようやく気付いた。
 
よくよく考えると、ベネチアは壮大な劇場であると同時に、恋人にもっともふさわしい街でもあった。
私は街に隠れる光と影を追い求めてさまよい、劇場に入りびたり美術館でベネチア派の絵画におぼれ、小さな骨とう店で希少なベネチアングラスの怪しい輝きにひたすら目を肥やす日々を過ごしてきたが、人生に必要不可欠な登場人物の存在を理解していなかった。
 
ある夜、軽く夕食を済ませて食堂をでると雨が降っていた。
濡れた石畳が外灯の光に反射して、いっそうエキゾチックに磨きがかかる夜だった。
 
濡れてもなおため息のもれる幻想的な街。
雨のなかをカップルたちは腰に手をまわしながら走り抜けていくのをみていると、
なんだか無性にくやしく悲しくなった。
私も雨のなか一人、走ってホテルへ向かう。
涙がでそうになるその感情が寂しさだとは気づかなかった。
目にはいる美しさは、もはや胸にささる痛みにしかならなかった。
 
突然、誰でもいいからそばにいて欲しい。そう祈った。
すると二度目の祈りが通じた。
 
あの見覚えのある人影は……。
「ロレンツォ!!」
私は人影に向かって叫んでいた。建物の回廊の柱に立っていた男が振り向く。
「ボナセーラ、まゆみ」
知人のロレンツィが私の方に走いよってきてお互いにハグをする。
こんなところで会えるなんて、いったいどうしたの? そう聞こうとしたらロレンツォが先に言葉を発した。
「いったいどこにいたの、もう9時だよ。ホテルに行ってもいないし。1時間も待ったよ!」
「えっ! 今日、何曜日だった?」
「金曜日、食事の約束してたよね。まさか忘れてた?」
リド島で知り合ったロレンツォとベネチアで会う約束を忘れていたとはとても言えなかった。
「まさか、忘れてないよぉ」いっそう強いハグで彼の存在にただ感謝する。
それにしてもリド島ではあまりパッとしなかったロレンツォがベネチアの舞台に降り立った途端、魅力が倍増して見えるのはなぜだ。濡れた外灯を通して見えるものすべてが美しくにじむ。
恐るべし。ベネチアの魔力。
 
もしベネチアで知り合って恋人になった後、他の街に移り、精巧なライティングや幻想的なセットがなくなり魔法がとけてしまったら、お互いにどれだけ現実を直視できるのだろうか。
摩訶不思議な街がつくりだす魔術の奥深さに思い知らされた夜となった。

 

 

 

それから2年後、私は唯一欠けたものを手にいれて、またベネチアの舞台に戻ってきた。
今度は結婚式をあげるために。
 
前回、ベネチアを去る直前、「ベニスに死す」の映画にならって自分だけの明るい未来のシナリオを考えてみた。
このドラマチックでロマンスにあふれる街で、自分の結婚式を挙げたいと壮大な計画を思いついたのだ。
夫となる人はおおらかな人だった。結婚式をベネチアであげたいと伝えるとどこでもいいと受け入れてくれた。
 
ところがそう易々と私のベネチア物語は順調にはいかない。山あり谷ありが人生だ。
挙式の3日前に高熱がでて寝込んだうえ、前日まで大雨が降り続けるなどコンデションは最悪だった。
そこで私はベネチアの神に、再度、病の床で強く祈った。
これから先の全ての運を使い果たしてもいいから、結婚式の間だけウエディングドレスを着てゴンドラに乗り、無事に挙式をあげさせて欲しいと……。
 
すると三度目の願いが聞き届けられた。
 
翌朝、熱は微熱にまで下がり、妹がヘアメイクを手伝ってくれてドレスに着がえた。
プロセッコのワインを薬代わりに流し込むと身体中に血が廻った。
 
そしてウエディングドレス姿でホテルからゴンドラに乗り、式を挙げる市庁舎のある宮殿に向かってカナルグランデをわたる。
空は文句のつけようのない晴天。運河ですれ違うゴンドラや船、橋の上から街中の人、
そして世界中の観光客がお祝いの言葉をかけてくれた。
妹とイタリア在住の友人が式に参列し、市長と通訳、そして立会人が見守るささやかな
挙式だったが、やっと自分が主役の最高の舞台をベネチアで演じることができた。
 
式を終えて水路をゴンドラでめぐり、なつかしい景色を眺めながら、かつてこの街で過去、宝さがしに明け暮れた自分を愛おしく想いながら、その日、過去の自分に別れをつげた。
純白のドレス姿の自分の傍らにはこれから共に喜び、驚いたり、悲しんだり、人生をともに歩く人がいる。
多感な独身時代の物語をベネチアという街で完結することができた。
 
しかし挙式の夜、賭けた運のツケはきっちりと回収されることになる。
式を終えた祝宴の席で、夫はウエイターが祝いながらにこやかに勧めてくるグラッパを
私が止めるのもきかずに何倍も飲み干した。
 
イタリアでは初夜の夜、新郎を強い酒でつぶす悪戯の風習が残っていた。
案の定、帰るころには足元もおぼつかない状態でホテルへ戻り、夫はベッドに倒れこむと
高いびきで眠りこけた。
ベネチアングラスのシャンデリアがまばゆい豪華なスイートルームの広いベッドでテレビをつけて私は一人、翌日の天気予報をみて過ごす。
 
曇りのち晴れ。晴れ。晴れ。にわか雨のち曇り。
 
きっとこんな夜をこれから何度も経験するのだろうと予感しながら、私は大好きな街で最後の夜を過ごした。
 
そして今もまた自分の物語を創りたくなったらこのベネチアという街に戻りたいと、願いが届くのを待っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(つきの まゆみ)(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。2021年 2月ライティング・ゼミに参加。6月からライターズ倶楽部にて書き、伝える楽しさを学ぶ。ライターズ倶楽部は3期目。
世界旅行をライフワークにしている。旅行好きがこうじて趣味で「総合旅行業務取扱管理者」の国家資格を取得。20代でラテン社交ダンスを学び、ダンスでめぐる南米訪問の旅や訪れた世界文化遺産や自然遺産は145箇所。1980年代~現在まで69カ国訪問歴あり。
旅を通じてえた学びや心をゆさぶる感動を伝えたい。

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2022-09-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.185

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