週刊READING LIFE vol.200

「嫌いなわけではない。しかし、帰ることはできない」これを聞いたら、両親は悲しむだろうか。《週刊READING LIFE Vol.200 書きたくても書けないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/1/9/公開
記事:西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「え!! 買ったの?! 賃貸じゃなく?!」
「そう、買ったの!!」
久しぶりに会った友人と話している時のことだった。
引っ越しをしたことは伝えていたが、彼女は私が賃貸マンションに引っ越したと思っていたようだった。自分のマンションを購入したことを伝えた所、彼女は驚いて目を丸くした。
「会社がリモートになったし、思い切って買っちゃった!」
私はエヘンと胸を張って重ねた。
「……じゃあ、広島には、もう帰らないんだね??」
予想外の言葉に、私は胸を張ったまま、0.001秒、固まったが、間髪を容れず即答した。
「あー、広島には帰らないねー」
言いながら、頭の中で考えていた。
この会話を両親が聞いたら、悲しむだろうか、と。
一瞬怯んだのはそのせいだ。
が、追い打ちをかけるように、私は力一杯、繰り返した。
「広島には、帰らないねー。ずっとXX市に住むことにはならないかもしれないけど、でも、広島に帰ることはないね」
 
 
私が生まれ故郷の広島を出たのは、大学に入学した18歳の時だった。
進学先の京都で、大学と大学院を合わせて6年間。
就職で東京に出て来てから、そろそろ20年になる。
いつの間にか東京の生活が、京都よりも広島よりも長くなってしまった。20年も住んでいれば「東京の人」と言っても過言ではないはずだが、不思議なことに私の中には根強く「故郷は広島」という意識がどっしりと居座っている。
会社などで自己紹介する時に「出身は広島です」は必ず入れるし、物産展やフラッグショップで広島の商品を見かければ、ちょいちょい買うようにしている。人にお菓子などを送る時には広島のお菓子屋さんを選んで送り、野球の結果を見れば特に野球ファンでもないのに「カープ」の文字を目で探す。普段は標準語を話しているが、方言を話す自分もまた良い、と密かに思っているのを知っている。
親孝行の意味合いが強いが、盆正月とゴールデンウィークの年3回、広島の実家に帰省して両親と過ごす。それこそ友人と旅行にでも行ってしまっても良いのだが、キッチリ年3回、広島に帰るのだ。
しかしである。
広島に戻るか、と聞かれたら、即答で「それはない」と答えるのだ。
仕事をしている今ならともかく、歳を取って仕事を引退した後には、故郷に帰る、という選択肢はゼロではないはずだ。実際、そういう人も多い。しかし、どこかの地方都市に住む自分は想像できても、広島に住む自分はイマイチ想像できない。都会か地方か、という違いではなく、広島という場所に対してそう感じるのだ。
 
断っておくが、広島がイマイチな街ということではない。
広島は良い街だ。
気候は穏やかで住みやすく、豊かな瀬戸内海の恵みをはじめ、美味しいものも多い。
世界遺産にもなった厳島神社や、近代的な橋を渡って瀬戸内の美しい島々を巡り、四国に抜けるしまなみ街道など、小旅行に良い見どころもたくさんある。
私が広島に住む自分を想像できないのは、極めて個人的な感情なのだ……。
 
広島で過ごしていた18年間は、至って普通の、地方育ちの子供として過ごしたように思う。当時はインターネットが発達していなかったため、都会と比較した時の不便さは今よりやや大きかった。が、それ以外は、致命的に嫌な思いをした記憶もなく、ましてや、80年代の歌謡曲のように「こんな街出ていってやる!」と捨て台詞を吐きたいわけでもなく、「オラ東京さ行くだ」と野望を抱いていたわけでもなかった。
が、18の年、私は県外の大学に進学することを選んだ。
どうしても広島を出たかった。自分が自分になるために、出なければならないような気がしていたのである。
大嫌い、というわけでもないが、離れたい、というこの気持ち、社会人になってから見かけた、ある社会派ブロガーの方のSNSのつぶやきがその通りすぎて、うなずくあまり首がもげるかと思った。
 
「東京に住むために最後にこの街を離れた時、電車の窓から街を見ながら『ようやく出ていける。今から人生が始まる』って高揚感を感じたこと、ずいぶん昔のことなのによく覚えている」
 
私にとって、広島の18年間とは何だったのか。
一言で言うと「子供時代」以外の何物でもなかった。
それは、親の庇護下にあり、仕事をしなくても衣食住が与えられ、学校に行く時間以外は自由時間であり、社会的責任を免除されている時間だ。反面、行動範囲は限られており、自由に使える資金もなく、ある程度の枠組みの中で暮らさなければならず、自由度は低い。自分の世界を広げようにも限界がある。「子供時代は楽しくなかった」とまでは言わないが、それでも、常にうっすら、受動的な生活にストレスを感じている自分がいたのである。
大学生になり、仕送りをもらいながらではあるが、衣食住を自分でどうにかする生活になると、大変だけれども、ようやく、自分の2本の足で立っている実感が湧いた。
社会人になり、自分で稼ぎを得られるようになってからは、お金も時間も、自分の意思で投下できることを知った。試行錯誤をしながら、興味を持ったことにお金と時間の投資を続けた結果、やりたいことはやろうと思えば何でもチャレンジできるし、やればやるだけ自分は変わることができるということを知った。
おそらく私は、自分が認識していた以上に自由を求めており、また同時に、自分の自由意志により行動し、その結果、自分が変化していくことを望んでいたのである。
京都や東京での生活は、まさに「自分の人生」を構築していく過程そのものだった。私は私の意思で、少しずつ殻を破り、脱皮を繰り返し、今の自分を作り出していった。それは、広島にいた頃の、今よりもっと行動できず、感受性も低く、閉塞感に溢れていた不自由な自分とあまりにギャップがあり、また、時間軸上は繋がっているはずだが、自分の変化と場所の変化があまりに密接に紐づいているため、「今の自分」と「広島」という組み合わせに違和感を感じすぎてしまうのだ。さながら、脳内にバグが起きているような感覚になり、「今の私×広島?」→「それはない!」の即答につながるのである。
 
ずっと広島で暮らしていたら、もしくは、大学卒業後に広島で就職していたら、何か違っただろうか。
何年も前、姉がふと口にしたことがあった。
「自分は東京に出てきたけど、この歳になって高校の友人とか見ると、ずっと地元で、地元のつながりを大事にしながら生きるっていう生き方も、あるなぁ、と思ったよ。前は、絶対に東京に出る、って思ってたけどね」
姉は私よりはるかに明確に「オラ東京さ行くだ」を明言していた人である。その熱量は半端なく、妹の私から見ても相当ゆるぎないものだった。
その姉の口から、そんな発言が出るなんて!
私はそのことに驚きながら、それでも、自分は出た方が良かったんだろうなぁ、と心の中で考えていた。
ずっと地元で暮らしていたら、同じ街が、自分の変化、自分の行動によって、子供の頃とは異なった街になっていくのを、如実に感じることができるのだろう。同じものを自分の中で再定義していくその過程は、もしかしたら環境を変えることよりも難しいのかもしれない。環境を変えてしまえば、「自分の手で選択した」という感覚を得るのは容易だ。受動的に与えられた環境を卒業して、能動的に選んだ環境が明確に手に入るのである。私はどうしても、自由を掴みたかった。そしてその結果、受動的な自分を脱し、自分が変わっていくことを切望していた。それには、庇護下にあった広島に別れを告げる行為がどうしても必要だったのである。
 
このことを両親に告げたら悲しむだろうか。
悲しむも何も、東京に就職し、東京で家を購入してしまった娘を見れば、口にしなくても「この鳥は戻る気ねえな」ということは明白である。
もともと両親は、子供は子供の人生、と割り切っている節があり、県外の大学に行きたいと言えば行かせてくれ、就職の時も「戻ってこい」などは一言も言わなかった。
それでも、私は、友人には即答で断言する「広島に戻るのはありえない」を、両親に告げることは出来ないだろう。わかってはいても、言葉で聞くと、多かれ少なかれ寂しい気持ちにさせてしまうことは明らかだからだ。
 
家を購入してしばらく経った時のことである。
私の新しい家について話していた父が、さりげなく付け加えた。
「まあ、自分が若くて、一番いい時間を過ごした土地が、一番面白いじゃろうけぇのう(面白いだろうからね)」
父は、わかっているのだ。私のこの、複雑な気持ちを。
故郷のことが嫌いなわけではないが、今の自分が暮らす場所ではない、その矛盾したような、何かのズレを埋められないもどかしさのような、それでいながら郷愁を感じてやまない、この気持ちを。
父は九州出身で、就職すると同時に広島に来た。以降50年、広島で暮らし、カープを応援しつつバリバリの広島弁を話す、見た目はまごうかたなき広島人である。
が、広島で育ち、大学こそ東京に出たが就職で広島に戻ってきた母と異なり、父の故郷は海を隔てた九州にあるのだ。
 
 
室生犀星の有名な詩「小景異情」に、このようなくだりがある。
 
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しく歌ふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
……
 
犀星が東京で身を立てようとして行き詰まり、故郷金沢に戻った時に詠んだ詩らしいが、状況は違えども、これらの言葉は心に響いた。
私と同じ感情かどうかは置いておいて、「ふるさと」を離れて暮らしていて、この詩を見てハッとする人は、それなりにいるのではないかと思う。
 
 
嫌いなわけではない、けれど、帰ることはできない。私が私でいるために。
 
 
きっと父は、わかっているに違いない。
父の一言に、私は何も言えず、会話は流れて終了となった。
私はそっと心の中で、父に向かって頭を下げた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

小学校時代に「永谷園」のふりかけに入っていた「浮世絵カード」を集め始め、渋い趣味の子供として子供時代を過ごす。
大人になってから日本趣味が加速。マンションの住宅をなんとか、日本建築に近づけられないか奮闘中。
趣味は盆栽。会社員です。

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2023-01-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.200

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