仕事で途方に暮れた私を、門司港は優しく包んでくれた《週刊READING LIFE Vol.206 面白い雑学》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/2/27/公開
記事:久田一彰 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
社会人になって、4度目の転勤が言い渡された。いわゆる「飛ばされた」のである。
7月30日の朝、たまたま出社時間より30分早く来ていた私の携帯電話の液晶画面に、支部長の名前が表示されていた。何だか嫌な予感しかしないし、出たくないなとも思った。しかし、このまま出なかったとしても、あとで折り返さなくてはならないし、話はしなくてはならない。
意を決して通話ボタンを押した。
「はい。おはようございます!」
出たくないなあという気配を察知されないよう、朝らしく爽やかな声をだしたつもりだ。
「今話してもいいか? 事務所に一人か? 8月の人事異動でお前の転勤の内示が出たから伝えておくぞ。東京都の立川市から、福岡県の北九州市が次の転勤先だからな。お前実家が福岡だったろ? 実家から通えるのか? それはそうと前任者との引き継ぎと後任への引き継ぎを頼んだぞ。まあ、詳しくは九州の営業部長や課長がいるから、そっちに聞いてくれよ。お盆休みが終わったら向こうでも頑張ってやってくれ、頼むな。」
「8月の辞令って明後日じゃないか、急に頼まれても困るんだけど! 俺にも人生設計あるし、昨年結婚したばかりで共働きだし、妻の仕事のことだってあるんだぞ。一方的に押し付けるなよ。しかも新婚が実家から通えるかよ、何考えてんだ会社は!」
と、受け取りたくもないラブレターを一方的に届けられ、携帯をぶん投げつけたくなる怒りのような気持ちを抑えて、机の前にうなだれた。
ほとんど言い訳をする間もなく、この辞令を拒否することなく、伝えられてしまった。サラリーマンにとってこういった辞令が出た以上は、従わなければならないのがほとんどだ。特別な事情があって断ることもできるのだが、ほとんどが一方的に突きつけられてしまう。それに逆らうということは、仕事をやめろというのと同義語でもある。
優しい会社であれば従業員の事情や気持ちを汲んでくれて、転勤がないように考慮してくれるが、まだそうでない会社も多い。だが、考えてもこの決定は覆らないので、しぶしぶ辞令を受け入れた。
福岡が実家といっても、わたしの実家は福岡市にある。博多から新幹線で赴任先の北九州市小倉までは、約15分くらいだが、そんな通勤代は出してくれない。快速電車を使っても2時間以上はかかる。そうなっては毎日の往復通勤時間がもったいないので、会社から歩いて20分圏内に住める場所を大急ぎで決めた。
こうして、妻をひとり東京に残したまま単身赴任となった。
北九州市には3歳くらいの時と、高校の部活動で来たくらいしかなく、あまり馴染みの無い土地だった。ここでしばらく生活するのかと思うと、途方に暮れてしまった。
しかし生きていく上では、ここで生活をしていき、楽しくやらなくてはならない。昔から父の仕事で転勤を繰り返してきたし、小学校は4つ、中学校は2つ通ったから何とかなるだろう、と楽観的にも捉えた。
そうと分かれば、新しく赴任してから、同僚達におすすめの観光スポットや有名どころ、おいしいごはんが食べられるところなどを、るるぶの編集員並に聞いて回った。話を聞いてみてトータルすると、まずは北九州市門司区にある、門司港レトロに行くのが良さそうだ。
ここには、「九州鉄道記念館」を始め「出光美術館」「旧門司三井倶楽部」「旧門司税関」などの観光スポットがある。JR門司港駅の駅舎も大正レトロな造りらしく、鉄道好きとしてはぜひともおさえておきたいスポットだ。
海のそばには、「関門海峡ミュージアム」や渡船乗り場もあり、小さな船で対岸にある下関の「唐戸市場」まではわずか5分ほどでいけるし、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦ったとされる、「巌流島」にも行けるようだ。
グルメも焼きカレーやふぐを使った料理、瓦そば、バナナも有名という。なんでバナナ? という疑問も残ったが、焼きカレーという響きには惹かれるものがあった。
休みの日に、早速門司港へ行ってみた。
JR小倉駅からは、わずか3駅、13分という近さだ。車窓は市街地を抜けて、やがて海も見えてきて、港町に近づいてきたのだなという印象を受けた。
駅に降り立つと、ここが終点なので、線路の先はない。ここが終点であり始点でもあった。それもそのはずで、ここはかつて、九州の玄関口として、鉄道が敷かれ「起点」となった。ここから九州全体に線路が続いていき、人や物資を運び、産業や文化、生活や経済を支えていった。
そのため、そのことを今に伝える「0哩標」(ゼロマイルひょう)が建てられている。この碑の前に立つと、今の自分の状況と照らしあって感じるものがあった。
転勤をするということは、今まで頑張ってきた仕事の成果や人脈がなくなり、北九州の地で文字通り0から積み上げていかなくてはならない。そんな自分を、この物言わない碑は、「あなたも線路が九州の全体に渡っているように、仕事の成果や人脈を拡げていきなさい。線路はどこまでも続いているのだから」と応援エールを送ってくれているような気持ちになった。
ふいに、「カーーン」と鐘の音が響いた。旅行者らしき人が、鐘を鳴らしていた。そこには「旅立ちの鐘」と書かれており、またしても応援されたような気持ちになった。儚げでありながら祝福してくれる鐘の音は、自分の悲しみを分かってくれるような友人でもあり、これから頑張れよとエールを送ってくれる友人でもあった。
元気をもらった私は、腹を満たすため、同僚達のおすすめでもある「焼きカレー」を目当てに周辺を散策した。ざっと見渡すだけでも3店舗はあるし、ネットで調べてもまだまだあった。
こういう時は、口コミを気にせずに直感で入った方が、いいお店に当たる気もして、「curry&sweets Dolce」というお店に入った。
白いお皿に染め付けの藍色で装飾された植物模様が入っている、焼きカレーを注文した。
チーズと卵がトッピングされているので、とろ~りとびよ~んが味わえた。若干辛さがあるが、チーズと卵のまろやかさが中和してくれ、もちろんおいしいので、全部食べられた。
お腹がいっぱいになったところで、さらに散策を続けると、「バナナの叩き売り発祥の地」と看板がある。
「あっ! バナナがおすすめってそういうこと? こんな文化もあったんだ」
明治・大正時代から昭和に初期にかけて、門司港は中国大陸やヨーロッパ・台湾・国内の航路の基幹としても発展していたので、日本中の旅行者や道行く人々へ声を威勢良くかけてきたのだ。
頭にねじりはちまきをして、背中に「タ」と書かれたはっぴを着た人が、何やらバナナを持った人と掛け合いながら、しゃべっている賑やかさが伝わってくる看板だ。
思わぬ面白い雑学に感心した。
散策を続けると、恋人と渡ると幸せになれるという、橋がはね上がっている「ブルーウィングもじ」、や高さ103メートルの門司港レトロ展望室が見える。もうすぐそこには岸壁と海がひろがっている。
向こう岸にまで関門橋がかかっており、車やトラック、バスが行き交い、「向こうは本州なんだよな」と歩きながらも、ちょっとばかしセンチメンタルな気持ちにもなった。が、続けて歩いていると、そんな気持ちを吹き飛ばすような、オブジェに遭遇した。
バナナの着ぐるみを着た黄色い人形と、サングラスをして黒くなったバナナを着た人形だ。こころなしか、どっかの芸人さんに似た顔をしてる気がしなくてもないが、衝撃的な出会いだった。これも先ほどの「バナナ叩き売り発祥の地」ならではのキャラクターである。
ぐるっと門司港をまわって歩いた最後は、「鉄道記念館」へ行く。ここには実物大の鉄道が展示されている。鉄道好きにとっては、まさに聖地ともいうべき場所である。
展示車両はSL機関車、電気機関車、国鉄時代の特急電車や寝台電車もある。本館には当時使われていた貴重なグッズ、「硬券切符」、特急列車の「ヘッドマーク」、「運転シュミレーター」、巨大な「ジオラマ」、常設展や企画展示などもある。今回は、電車の行き先を表示した「サボ」と呼ばれる方向幕が、吊るし雛のように飾られていた。外には小さな電車の乗り物もあったり、もうこの頃になると、門司港に夢中になっており、転勤して北九州にきたことも忘れて楽しんでいた。
思い返すと父の転勤の都合で何度も転校を繰り返した。そのたびに新しい学校、新しい友人達、新しい街と新しい周辺の施設や観光スポットに家族で行った。どこの街もよく歩き、行ってみたりすると楽しい施設があり、体験してみなくてはその感動は分からない。ネットの情報や口コミだけでは本当の生きた情報は得られない。
テレビ番組でかつて住んでいた街が取り上げられると、あそこにいたんだという懐かしさや、この場所もう知ってるよ、とテレビよりも詳しく優越感に浸れるようにもなっていた。駅にあった「0哩標」との思いがけない出会いのように、エールをもらえることもある。
その街を知ることは、自分の中の知識や雑学の引き出しが増えるだけでなく、そこに溶け込ませてもらえる空気がある。
全く馴染みの無い土地であったとしても、白い布地を少しずつ染めていくように、その街に馴染むことで、街の一部に、その土地の人になっていくのだと思う。
転勤で飛ばされたと思うだけでなく、飛ばされたことを逆手にとり、新たな土地を知ることができる、楽しみを発見できて経験できる、面白い雑学の引き出しが増えたと思うと、この4回目の転勤もいいことだったのかもしれない。
□ライターズプロフィール
久田一彰(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県生まれ。駒澤大学文学部歴史学科卒。
父親の影響でブランデーやウイスキーに興味を持ち始める。20代の後半から終わりにかけて、夜な夜な秋葉原のコンセプトバーでブランデーやコニャック、ウイスキーを飲み明かした経験を持つ。ウイスキーは時間を飲むものとして楽しんでいる。
天狼院書店『Web READING LIFE』内にて連載記事、『ウイスキー沼への第一歩〜ウイスキー蒸留所を訪ねて〜琥珀色がいざなう大人の社会科見学』を書いている。
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