キミからの遺言状
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記事:珠海(ライティング・ゼミ4月コース)
※この記事はフィクションです
「本当に好きな人と結婚しなさい」
亡くなった祖母キミの口癖だったこの言葉は、10年経った今も、美沙には遺言のような気がしていた。
家が近づくと、線香の香りが漂っていることに恵子は気づいた。玄関には娘の美沙の靴があり、和室の前にはスリッパがあった。
キミは10年前に肺炎により85歳で亡くなった。おばあちゃん子だった美沙は、1人暮らしを始めてからも、キミの月命日には必ず帰って来て、仏壇に手を合わせる。
「おばあちゃん、私、またふられたよ……」
和室から美沙の声が聞こえたので、恵子は夕飯の支度のために台所へ向かった。
美沙が小学生になる頃に合わせて、キミと住むためにこの家に引っ越してきた。昔から美沙はキミに懐いており、同居したおかげで恵子は仕事にも専念できた。
反抗期は恵子に対してだけで、片親でも苦労しなかったのはキミのおかげでもある。
「ねえ、何でいつもおばあちゃんに失恋の報告をするの?」
和室から出てきた美沙へ、恵子は尋ねた。
「おばあちゃんとはいつも恋バナしてたからね。おばあちゃん、おじいちゃんのことが好きじゃなかったって知ってた?」
恵子は4人兄妹の末っ子で、兄が2人と姉が1人いる。父は恵子が17歳の時に癌で亡くなった。亭主関白で厳しい人だったと、兄や姉からは聞いたことはあったが、末っ子の恵子は、可愛がられた記憶の方が強いせいか、父親が大好きだった。
キミは自分の話をあまりしない人だった。結婚前のキミのことは親戚から聞く以外は何も知らなかった。
だからといって、キミが父のことが嫌いだったなんて……。思いもよらない話に恵子は困惑した。
キミの初恋相手は、5歳年上の近所の幼馴染だった。彼が戦争に行くことになり、初めてお互いに好きだと知った。
「戦争から戻ってきたら結婚しよう」
若い2人はそんな約束を交わした。初めの頃は手紙が届いていたのだが、徐々に届く回数が減り、ついには来なくなった。
彼からの手紙が途絶え、年頃のキミにも縁談の話が来るようになった。しかしキミはずっと彼の帰りを待っていた。彼との約束の言葉が、キミの生きる支えとなっていた。
彼が出征して5年後、戦死の連絡が彼の両親の元へ届いた。
その後、キミは結婚し4人の子を授かった。夫と夫の家族に仕えるのが当たり前だった時代。キミはどんなに辛いことがあっても、天寿を全うしたらあの世で彼に会えると信じ、歯を食いしばって頑張ってきた。夫が癌だと知った時、これで夫から解放されると思った。
「好きでもない人と仕方なく結婚して、その人の死を願ったり喜んだりしたから、バチがあたったのかもね。こんなに長く生きるなんて思わなかった」
キミは淋しそうに言った。
美沙がこの話を聞いたのは、この1度だけだった。その後は聞いてはいけないような気がして、美沙も口にすることはなかった。
「本当に好きな人と結婚しても幸せとは限らないんだけどな……」
美沙からキミの話を聞いて、恵子は思わずつぶやいた。
「本当に好きな人と結婚しなさい」
キミは恵子にもよく言っていた。結婚相手として同僚の正志を紹介した時、キミは誰よりも喜んでくれた。正志が無類のギャンブル好きで酒癖が悪いことを知ったのは、美沙が生まれたばかりの時だった。誰にも相談できずに悩んでいたのだが、美沙が4歳の時、正志が酔っぱらって川に落ちて亡くなった。知らせを受けた恵子が最初に思ったことは、これで借金からも正志からも逃げられる! だった。
正志の両親から借金返済について催促はあったが、司法書士や弁護士を頼り、義実家とも縁を切ることもできた。
恵子や美沙は、何度かキミに戦時中のことを尋ねたことがあったが、いつも「忘れた」と言うだけで話してくれたことはなかった。キミにとっては思い出したくない出来事だったのだろう。
幼かった美沙には正志の記憶はほとんどない。美沙には正志との良い記憶のみ留めたいと思っているためか、恵子もまた正志の話は美沙にほとんどしたことがなかった。
そんなキミが美沙に自分の話をしたのは、老いや死期を感じたこともあったのかもしれない。
「お母さん、美沙に話して楽になった? 私は今まで1人で苦しんでいたけど、お母さんも同じように苦しんでいたと知って、少し楽になったよ。本当に好きな人と結婚することが幸せとは限らないけど、美沙が幸せになれるよう、見守っていてね」
恵子は新しく線香を追加してキミに手を合わせた。
キミの横には、恵子の父の写真もある。生前のキミが、父の写真に向かって話しかけている姿を、恵子は何度か見かけている。恨みだけではない夫婦の絆はあったのだろう、と恵子は信じている。
「お母さん、おばあちゃんには報告したけど、来週会ってほしい人がいるの」
「おばあちゃんに失恋の報告をしたんじゃなかったの?」
「あの言葉には続きがあったの。半年前にふられた彼氏をようやくふっきれたから、同じ幼稚園だったアキラくんと付き合うことにしたよ。幼馴染だから、きっとうまくいくよって」
***
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